来年の一月で81歳になりますが心だけは未だ青春しております♪ ただ、日記の如くのブログを読み返しますと、後期高齢者となる頃からあちこちと不調が出始めてるのが分かります。その都度解決すべく行動してますが、これからもこのような有り様は続くことでしょう。
「これまでの生活で十分満足!」と思うことはなく、まだまだ前々から実現させたいと思ってることは山のように持ってるのですよ。人間というものは贅沢にできてますゎね。 介護中の身としましては非常に難しいところなのですが・・・。
新 聞 記 事 か ら
千葉県銚子市の屛風ヶ浦
銚子の名洗町から隣の旭市・刑部(ぎょうぶ)岬 まで続く約10㌔の断崖絶壁。長年、海水に寝食されてできた40~50㍍の崖。
英仏海峡のイギリス側にある「ドーバーの白い崖」に似ているため「東洋のドーバー」ともいわれている。
(千葉の友人たちと「犬吠埼灯台」とともに是非訪れてみたいです)
香川県観音寺市の「銭形砂絵」
縦122㍍ 横90㍍の砂浜に作られた巨大な砂絵。
近くの琴弾公園展望台から眺めると素晴らしい。
案内板①<寛永10年(1633年)、藩主;生駒高俊を歓迎するため一夜で作られたといわれる> 史実ではなく、いつ誰が何のために作ったのか定説はない。②伊能忠敬が測量した時に地元民が作ったという説 ③明治時代に陸軍が訓練で堀った説など。
(昔昔の若き頃、香川県出身の主人に連れられて行った事があります。)
(2020・7・19 私の探景 から)
我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ
見えてよに忘られず (わかやまとべのみまろ)
若倭部身麻呂
恋人の面影がちらつく。 今は自分が相手を慕うからだが、古代は逆。相手が自分を深く思う証しだった。西国防衛のため遠江(とおとうみ静岡県)から連れてこられた防人(さきもり)の若き庶務係の歌。愛する妻を国に残してきたのだ。『万葉集』巻第二十から。
妻の夢見ることもなき昼寝かな
茨木和生
亡き妻の夢を見たなどというのは愛妻家を演じている人。しかし夫婦の実際は異なる。妻の夢を見ることもあれば見ないこともある。水や空気のような仲なら、わざわざ夢に見ることもないだろう。
そんな句である。句集『恵(めぐ)』から。
(長谷川 櫂氏選&解説 四季 から)
静岡県小児科学会はホームページにて、赤ちゃん用フェースシールドについて熱中症や鼻圧迫などへの注意を呼び掛けている。
リスクを把握し、状況に応じて必要性を判断してほしい。
(2020・7・20 新聞記事から)
日本女性法律家協会長就任
佐貫葉子氏(71才)
女性裁判官、検察官、弁護士、法律学者ら約900人で構成する団体の会長に就任。
会の性格上、政治的な中立性を保ちながら、司法や法学、女性の地位に関する調査研究、意見表明などを行う。
2019年4月より よみうり新聞「人生案内」回答者を務める。
(2020・7・20 顔 より転記)
短歌 俳句の巨人たち
中
(7・19 上 続き)
金子兜太 1919~2018年。
1962年 同人誌「海程」創刊。後に結社誌となり主宰に。
2002年 『東国抄』で蛇笏賞。08年、文化功労者。
69年1月、<(飯田)龍太の「忘音」が(読売文学賞を)受けたことをきき、軽いショック(同世代に来たという感慨とジェラシー)。
そのショックが車中も継続、いまもある>。兜太49歳。
<現状は龍太一番手、小生二番手につけて走っているが、二番手は楽だ。一番手は気にしている。疲れている>と書いたのは87年11月。それから5年を待たずに龍太は俳壇から退いた。
金子兜太の戦後の出発点、戦争で米軍の捕虜になったトラック諸島から最後の復員船で引き揚げるときの光景を詠む。
水脈(みお)の果て災天の墓碑を置きて去る
日銀に復職し、東京帝大出身ながら組合活動のため出世
コースから外れ、地方を転々とした。
銀行員等(ら)朝より蛍光す
烏賊(いか)のごとく
小林一茶や種田山頭火など漂泊の俳人に傾倒し、「定住漂泊」を提唱。生命の豊かさに共感して「生きもの感覚」を詠み、句境はアニミズムの世界に至った。
おおかみに螢(ほたる)が一つ付いていた
晩年は戦争で非業の死を遂げた純真な工員たちを「存在者」と呼び、自身も存在者として生きる決意をする。
2017年5月、主宰誌「海程」の翌年の終刊を宣言。そして
18年2月、98年の生涯を閉じた。
河より掛け声さすらいの終るその日
19年9月、最終句集『百年』が刊行され、郷里の埼玉県皆野町で「百年祭」が行われた。
兜太死後、長男の眞士氏(72)は父が認知症だったことを公表した。「主宰誌を閉じる要素として明確だった。文章を書くのは難しかったが、亡くなる直前までインタビューを受けることができるなど認知症の不思議さを感じた。本人には伝えなかった」
月刊「俳句会」 今年5月号「金子兜太の真実」と題する特集を組む。執筆陣は「海程」の後継誌「海原」の俳人が多く加わる。
「龍太と兜太ーー戦後俳句の総括」が特集のテーマ
「兜太 Tota」は3月発行の第4号で終刊。
龍太の露と兜太の霧 (俳人;宇多喜代子氏84 から)
露ふかし山負うて家あることも 龍太
霧の村石を投(ほ)うらば父母散らん
兜太
龍太 露の句が多い
兜太 霧の句が多い 山国が産土(うぶすな)2人は、作品は
異質でも地下脈で重なり合っている。 死後を生き続ける
俳人。
(2020・7・21 文化から転記)
♡♡♡ ありがとうございました ♡♡♡