4時半 灰色の下層雲が南から北へと流れゆく

  流れる雲間からほんのチョッピリのぞく青い空

      薄い あかね空、早起きの妙(たえ)

 

                            ほんの少しの青空

 

                 30分後 明け染める頃には

                  一面灰色に覆われて

 

 

 

 

 大雨にくれぐれもお気をつけください!

 

 

早く目覚めた朝は夢見のお話から

 

自 分 が 悪 く な い の に

いじめられ泣いている

汚い御不浄の何か なに?

     助けてくれると思っていたのに

    ー幾人かの人たちの中にいてー

 

(終戦後の御不浄(WC)は汚くてとても嫌でした。

未だにその嫌な記憶が消えないんです。)

「あれは試練なんだよ 戦略なんだよ 今にわかるよ」

とその人たち

ふむふむ そうなのよね~ 妙(みょう)に納得

 

 (以上 他愛ないよく分からない夢の話でした💦)

 

 

 

 

 

 

アセアセ 2.26事件 アセアセ

 

陸軍青年将校が1936年、国家変革を狙ったクーデター未遂事件「2・26事件クリップ」。青年将校に関する証言や史料は掘り起こされ、研究が蓄積されてきたのに対し、暗殺された側の研究はあまり進んでいない。今年に入り、斎藤実(まこと)元首相(1858~1936年)の資料調査が始まり、陸軍教育総監・渡辺錠太郎(1874~1936年)の評伝が刊行された。

 

クリップ1936年2月26日、青年将校らが斎藤実や渡辺錠太郎のほか、高橋是清蔵相ら重臣らを次々に襲撃し、警備の警察官を含め9人を殺害した。首都東京を占拠したものの、29日に鎮圧され、青年将校ら19人が死刑になった。陸軍は事件後、事件のもたらした威圧力を背景に、政治的発言を強めていったとされる。

 

ゆめみる宝石斎藤実(まこと)は海軍軍人として経歴をスタートさせ、海軍大臣などを歴任。朝鮮総監も務めた。1932年、5・15事件で犬養毅首相が政党政治などに不満を持つ海軍青年将校らによって殺害されると、穏健派で政党との関係の少ない斎藤が、非常事態を沈静化させる使命を帯びて首相に就いた。

 

2・26事件当時は内大臣だったが、青年将校たちにとって、国家変革実行のために一掃すべき重臣の一人と見なされ、暗殺された。

ところが斎藤の研究は十分なされていないのが実情。

「研究者によるまとまった伝記が戦後一冊も編まれていない。朝鮮総監時代の研究以外はほぼ手付かずのまま」

         (麻田雅文・岩手大准教授(近代史)) そんな中、

麻田氏は斎藤の出身地、岩手県奥州市の斎藤実記念館に未公開資料が残されていることを確認。

今年3月から、永島広紀・九大教授(日韓関係史)らとともに調査を開始した。

 

調査対象は約1万点に上り、約5000通の書簡を含む。差出人は数々の要職を務めた斎藤らしく、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎ら有力政治家から、徳富蘇峰、嘉納治五郎ら文化人まで多士済々。

 

香水斎藤夫人の春子が2・26事件発生時の様子を語った手書きメモも見つかった。

斎藤の体から医師が銃弾42個取り出したことや、事件直後、自宅を警備していた「巡査の頭」が「すみません・・・」と謝罪していたことなどが記されている。事件後も「何とか少し前に分からなかったものかと、つくづく考える」「今でも朝5時頃になると、目がさめる」といった春子の悲痛な心中が語られている。

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大正期海軍を研究する九大大学院の小倉徳彦氏「発見された資料を用いることで、海軍史の重要な一部分が解明できる」

     調査は今後3年ほどかけて行われる。

 

ゆめみる宝石渡辺錠太郎

歴史研究者・岩井秀一郎氏は『渡辺錠太郎伝』で、渡辺の再評価を試みている。

 

渡辺は愛知県の貧しい農家に生まれ、苦学の末、陸軍軍人となり航空本部長、台湾軍司令官と陸軍の要職を歴任した。

末娘はベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者、

キリスト教カトリック修道女、ノートルダム清心学園理事長;渡辺和子氏  (2016年、89歳にて逝去)。

 

膨大な読書家で知られ、戦略、戦術の研究にも熱心だった。

 

陸軍の派閥争いや軍人の政治関与には否定的で、国家革新を狙う皇道派の策動や、その影響を受けた青年将校の動きには批判的だった。青年将校が批判した天皇機関説についても、肯定的であったとみられていた。

 

派閥抗争の中で、教育総監の真崎甚三郎が更迭されると、渡辺が後任となる。真崎は青年将校らに影響力があったことから、この更迭劇が渡辺殺害の要因の一つになった可能性もある。

 

第一次大戦中に欧州に派遣された渡辺は、これからの戦争は総力戦になると認識した。永田鉄山ら一部の陸軍軍人も総力戦になるとみていたが、

ベル渡辺は、近代兵力を備えることで戦わないですむような強い国家を作ろうとした。(非戦思想) 

ベル渡辺が命を落とさなければ、陸軍の横暴を抑制することが出来た。「その死は大きな損失だった」

 

香水本書の白眉は、渡辺の死後に始まる物語。渡辺の命を奪った安田優少尉の弟、善三郎氏と和子氏との約30年に及ぶ交流が描かれる。命を奪った側と奪われた側の家族が、遺恨を乗り越えて信頼関係を結ぶ様は感動を呼び起こす。

岩井氏は「和子さんと善三郎さんの絆までを記すことで、はじめて渡辺錠太郎を書いたことになると思った」と話した。

 

     (2020・6・17 文化 歴史 から転記)

 

 

 

 

      

一駅ほど歩いて 4342歩。 2、3日 家に籠ってましたので、充実感を味わいましたゎ。

眼鏡を失くしてしまいあせる、数カ月間100均のもので間に合わせてたのですがようやく調達いたしました。一週間後に取りに行きます♪   絶対に失くさないようにしなければ・・・少しだけ奮発したんですよ。

 

 

 

 

 

    ♡♡♡ ありがとうございました ♡♡♡