室内からガラス窓越しに美しいスーパームーンを眺め、手を
合わせました! 前方にお月様 後方にドア―です。
昨日の散歩道から
2020・4・6 新聞 文化から転記
『病が語る日本史』の著書がある、医学博士・順天堂大特任教授
(医学史);酒井シヅ氏 に語ってもらう。
日本人は古代から疫病に苦しめられてきた。結核、痘瘡(天然痘)、マラリア、麻疹、コレラ、ペスト・・・。
そして、それらの疫病が政治に大きな影響を与えていた。権力者は大規模な祈祷をし、遷都や改元を行った。誰が疫病に架かるかで、権力構図が入れ替わることもたびたびあった。
鎖国をしていたはずの江戸時代も、世界各地で繰り返していたインフルエンザやコレラが長崎などから何度も日本に入り、猛威を振るった。幕末が典型的だが、健全な政治が行われていない時には健康な社会も損なわれる。現代は昔と同じではないが、全く関係がないとも言い切れない。
これだけ疫病に苦しめられてきたのに、人間には常におごりがあった。疫病が沈静化すると克服したつもりになり、すぐに忘れてしまう。1918年に始まるスペイン風邪(インフルエンザ)は名前が珍しく、死者も多くて記憶に残っているが、大正期や昭和期には他にも様々な感染症がしょっちゅう流行し、多くの人が亡くなっていたことは、忘れられている。
確かに、人々は少しずつ賢くはなっている。今回の新型コロナウイルスの感染拡大を見ていても、外出自粛や手洗い励行といった行政からの要請に、多くの人が素直に従っている。学校の休校措置や在宅ワークなどの試みも、ウイルスを運ぶ媒体を減らすという意味で良かった。これは今後のモデルにしていけばいい。
他方、感染の実態を正しく捉えて正しく怖がっているようには思えない。多くの人はニュースなどを見て、自分で自分を怖がらせている側面もあるのではないか。
今の日本では感染症に対する法律も整備され、隔離も現時点では出来ている。それでも怖くなるのは、医学では説明できないことがあるからだろう。確かに病気を科学的に裏付け、理論で説明できるようにはなった。だが、人々は自然に神様に手を合わせ、つらい時には神頼みをしてしまう。私たちの先祖が持っていた感覚というのは、言葉では伝わらなくても、心で伝わってきた。医学がどれだけ進んでも、体は自然の中に生きていることや、自然の威力に逆らう恐ろしさを覚えているのだろう。
歴史上の疫病は人がバタバタと死に、もっともっと恐ろしかった。新しい疫病は人間の歴史が続く限り必ず出てくる。人類はずっと、病との闘いを繰り返しているのだ。
♡♡♡ ありがとうございました ♡♡♡