短 歌
新聞切り抜きから
四 季
長谷川 櫂氏 選歌&解説
竹重百合枝 歌集 『こぼれまゆ』 より十首
のうち 八首を転記 (切り漏れありの為)
みづからを灼きつくすごと首振りて
夜すがら絲の炎吐ける蚕
玉繭、美しい言葉である。蚕が二つこもって作る双子の繭だが、規格外として弾かれた。作者はそんな「落ちこぼれ繭」の糸を紡ぎ、草木で染め、布に織ってきた。切実な命の営みをみたからである。
天地の未だ別れぬ渾沌(こんとん)に
経緯の始源(はじめ)さやにありしか
機にかけた縦糸(経)の間に横糸(緯)を通してゆく。これが古今東西、布を織るということ。東経、北緯という言葉からわかるように、女たちが織る織り物の縦糸と横糸は人類の世界認識の基本構図となった。
二百反織りし無数の杼(ひ)の軌跡
もつれみちたる機屋のぞくな
縦糸の間を滑って横糸を走らせる「小さな舟」が杼。一反の布を織るのに杼は何千回何万回、行き来するのか。二百反なら? 機屋の空間には杼の見えざる軌道が入り乱れる。繭にこもる蚕の吐く糸にも似て。
夜の間に億光年の星にふれ
帰り来しごと朝の杼はあり
朝、機屋に入ると光の中に杼が置かれていた。その姿に宇宙的な静かさを感じるのだ。杼は織り物の右と左を往復するだけの道具である。
しかし宇宙の端から端への往復にも匹敵する。それが織り物というもの。
琴座より解かれてヴェガは万年後
北極星となるとふ流転
星座は地球から見える幻影。遠い星も近い星もあるから宇宙が拡大しつづけるかぎり徐々に形を変えてゆく。悠久の時をかけたベガの変転に思いをはせる。ベガは七夕の織り姫星。作者にはゆかりの星である。
いつの日か己も解かむあんず色に
わが歳月の透きとほりゆけ
生家の大納屋を解体したときの一連の歌のあとに置かれている。私の体も心も納屋と同じように解かれる日が来るだろう。納屋を解く、私を解く。「解く」という、これも織り物にかかわる言葉から生まれた歌だろう。
上州の大川小川の川沿ひに
製絲場ありて国興(お)こせし日
生糸の生産に欠かせぬもの。清らかな水と少女たちのしなやかな手。
この二つを供給できたのが各地の山村だった。明治時代、製糸場ができると貧しい村が活気づいた。少女たちの過酷な歴史はあるにしても。
苦しみの杼を置き草に看取られて
露と消えむ日おもひまぶしむ
草に倒れ伏す。そして草におく露のように消えてゆく。昔から心の奥に秘め、ときおり見える死の幻想だろう。「苦しみの杼」とある。機を織るのはやはり命を削る苦しみなのだろうか。
「生涯に一冊」という歌集『こぼれまゆ』から。