【絡まった糸がほどけた】柴田朋子さんコンサルレポ④ | 日々つれづれ

日々つれづれ

はづきのアタマの中。


続きです。


問題の二つ目。

【2】自分の本質を見失っている

について。



「天野さん、
『今の自分は本当の自分じゃない、仮の姿だ』って思ってますね」
と言われました。

「本当は都会が大好きで、都会でかっこよく生きていたかったのに、
なんでこの私が岡崎の田舎に引っ込んでなきゃいけないの?
ここは私のいるところじゃない!」

…って思ってるでしょ?と。



うわー!うわー!うわー!Σ(゚Д゚)


ず、図星!



でもそれは違う。

人の本質というのは、
どこにいても変わらないもの。
東京にいようが岡崎にいようが、
その人の本質は変わらない。


「東京にいる自分が好き」というのは、

東京に「光らせてもらっている」自分がいい、ということ。
それは本来自分が持つ本質ではない。
「光らせてもらっている」だけなのだから。

本来の街の豊かさは、そこに住む「人」にある。

私の好きな「都会」というのは、すべて作られた豊かさ。
もしそれらがなくなってしまったら、どう思うか?


もちろん、東京は楽しい。
名古屋にないものがたくさんある。

でも、それだけ。
どっちがよくてどっちが劣ってるとか、そういう話ではない。


渋谷ヒカリエを見て、
「すごーい!さすが都会!そんなところにいる私って素敵♡」
とか言ってるようでは、まだまだ自分の本質がわかってない。

「まあヒカリエなんてこんなもんだよね」
と冷静に見られるようになれば、
私もなかなかのもんになったな、ということ。


今のままでは、
どこに住んでも、
自分が自分じゃないような感じは変わらない。


都会という飾り付けをつけた自分を、

「それが本質」

と思うのは、それは違う。


どこにいても、私は私、のはず。


都会が好きでも構わない。
岡崎に染まる必要もない。
無理に好きになる必要もない。


だって、私は私、なのだから。


自分の欲望に素直になること。

本当の気持ちにフタをして、
あれやこれや言い訳を正当化しないこと。


家族だって、100%好きなわけじゃないよね?
でも、家族だし、ってことで丸ごと受け止めて暮らしてるよね。
住む場所だって同じこと。
それが「ホーム」ということ。



長くなったのでまたまた次に続く…