続きです。
問題の二つ目。
【2】自分の本質を見失っている
について。
「天野さん、
『今の自分は本当の自分じゃない、仮の姿だ』って思ってますね」
と言われました。
「本当は都会が大好きで、都会でかっこよく生きていたかったのに、
なんでこの私が岡崎の田舎に引っ込んでなきゃいけないの?
ここは私のいるところじゃない!」
…って思ってるでしょ?と。
うわー!うわー!うわー!Σ(゚Д゚)
ず、図星!
でもそれは違う。
人の本質というのは、
どこにいても変わらないもの。
東京にいようが岡崎にいようが、
その人の本質は変わらない。
「東京にいる自分が好き」というのは、
東京に「光らせてもらっている」自分がいい、ということ。
それは本来自分が持つ本質ではない。
「光らせてもらっている」だけなのだから。
本来の街の豊かさは、そこに住む「人」にある。
私の好きな「都会」というのは、すべて作られた豊かさ。
もしそれらがなくなってしまったら、どう思うか?
もちろん、東京は楽しい。
名古屋にないものがたくさんある。
でも、それだけ。
どっちがよくてどっちが劣ってるとか、そういう話ではない。
渋谷ヒカリエを見て、
「すごーい!さすが都会!そんなところにいる私って素敵♡」
とか言ってるようでは、まだまだ自分の本質がわかってない。
「まあヒカリエなんてこんなもんだよね」
と冷静に見られるようになれば、
私もなかなかのもんになったな、ということ。
今のままでは、
どこに住んでも、
自分が自分じゃないような感じは変わらない。
都会という飾り付けをつけた自分を、
「それが本質」
と思うのは、それは違う。
どこにいても、私は私、のはず。
都会が好きでも構わない。
岡崎に染まる必要もない。
無理に好きになる必要もない。
だって、私は私、なのだから。
自分の欲望に素直になること。
本当の気持ちにフタをして、
あれやこれや言い訳を正当化しないこと。
家族だって、100%好きなわけじゃないよね?
でも、家族だし、ってことで丸ごと受け止めて暮らしてるよね。
住む場所だって同じこと。
それが「ホーム」ということ。
長くなったのでまたまた次に続く…