世界的に有名な指揮者、小澤征爾氏が亡くなってマスコミ報道が数日にわたって続いています。同じ町内にお住まいでも、北西側は人気芸能人より文化人が多いエリアで、ここ数年で大林宣彦監督、ノーベル文学賞の大江健三郎氏、同じく指揮者の大町陽一郎氏が次々に亡くなられた。

 

小澤さん(と呼ばせていただきます)は駅近くのお家でもあり駅に出入りするたび前を通り、お車の手入れをしたり、近所の人とお話する様子を何度もお見かけした。目があえば会釈に応え、学校行き帰りの子どもたちも声をかけてもらったということで

「世界のオザワさんだと皆が知っていなければ、不審者扱いされてしまうね」と笑ったものです。

 

いそくみも成城に住んで20年を超えた。小澤邸は歴史的建造物ではないが二世帯(というより二区画ぶち抜き)の洋風の瀟洒なお宅で、引っ越してきた時は(外国人の方のお宅かな)と思ったものです。高齢女性だと、「奥様が装苑の人気モデルだった人」と、そちらへの憧れをも語っていました。

今と違ってブランド既製服が豊富でない時代、装苑を見て「このデザインのワンピースが、ブラウスがほしい」と、仕立て屋さんに注文した女性たちには永遠のアイコンなのかもしれません。

 

小澤さんと、今でも華があるその奥様と、会話らしい会話をしたのは駅前の洋菓子・喫茶「アルプス」で。

小澤さんの次に、いそくみと友人の大学教授(外国人女性)が順番待ちに並び、お店が「2名様のお席が空いたのですが…」と声掛けに来た。小澤さんが「妻がすぐ来るので、先によろしいですか」「どうぞどうぞ」とか、そんな会話だったと思います。友人がすかさずいそくみを「この人、区議会議員で成城に住んでいます」と果敢にも紹介してくれ名刺をお渡しし、そこへ奥様が到着してめでたしめでたし。

あとで友人に「こういうときにアピールしないと!」と言われ、まるで彼女の方が政治家みたいだと思ったものです。

 

最後にお見かけしたのは駅前の横断歩道で。何か考え事をされていたのか、歩道が赤信号なのにゆっくりと渡り始めた小澤さんに、車のほうが一斉に停まった。クラクションも鳴らない。運転手も町内の人ならそれが誰かわかっていたはずだから。

もうお一人での外出は危ないなと思った。

どんな世界的な著名人にも老いは来るのだと、ゆっくりゆっくり歩道を渡る小澤さんの姿に思ったのは私だけではなかったでしょう。

 

数えてみると雪の日にお亡くなりになったようです。お元気な頃の映像をみるにつけ、成城の偉人がまた一人旅立たれたのだと寂しい思いがします。