FBの方で何度か取り上げましたが、私が一員として所属する勉強会「学友の会」の主宰者、Hさんが胃がんのため亡くなられました。83歳だったかしら。知り合ったのは区議になる少し前の別の勉強会で、全盲の彼は盲人ガイドの女性と二人で出席していました。ウェーブのかかったロマンスグレイに彫の深い顔立ち、五木寛之に似てると思ったのが第一印象。そのガイドの女性が知的で素敵な方で(個人秘書かと思った)、その後の区議生活の学びにおいて、欠かせないお二人となったのです。

 

視力を失ったのが50代になってからとのことで、バブル期には建築家として大きな物件を手掛けたというHさん。勉強会で「生活空間」をテーマに探究されようとしていました。

私の事務所にも、地元落合貴之議員の講演会にも来てくれたし、昨年6月にはいそだ落選残念会を率先して企画していただきました。

外出がないときでも、ガイドの女性に書籍を調達したもらい大量に代読をしてもらっていたようです。もう盲人ガイドの域を超えていたが、編集者の経験もある彼女だからできたことでしょう。

東大出身の彼の話はしばし哲学的すぎて難しく、どうして数ある議員のなかから私を気に入って下さったかわからない。ただ、自分がまちづくりに特化したいという思う背景に、彼との哲学問答も影響した気がしています。

死への向き合い方もご立派、こんなに明るく前向きな“終活”には初めて出逢いました。胃の切除はせず好きなものを食べ、ぎりぎりまで自宅で過ごし、「遺稿集を出したい」と口述していたということ。入院先で最後のお見舞いの時も、他の人が持ってきた斎藤幸平の本が気に入ったと読み聞かせしてもらい、

「いそださん、次の勉強会では世田谷の成り立ちについて考察しなさい。世田谷は多摩川から生まれた、そして今後どうしていくのか」

最後まで哲学的なテーマを残して、その数日後に旅立たれました。

 

ガイドの女性からその連絡を受けて、なんとなく彼の名前を検索したら、昭和39年の大学院修士時代の論文が見つかった!この時から「生活空間」をテーマにしていたとわかります。

皆さん、人間死後も残るのは文章です!斎藤幸平を読んでる場合じゃない、これを一緒に読みたかったですね。

勉強会、お時間あれば化けてでも来ていただきたい。

現世の肉体を離れたら、私の姿が見えるでしょうか。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijsaxx/103/0/103_KJ00004496447/_article/-char/ja/