昨年末、多くの原稿を頼まれたうちの一つに「軽井沢の文化遺産&資料集」があります。このブログを長く読んでいる方は経緯をおわかりと思いますが、一昨年夏、旧軽井沢を歩いていた時に「三井三郎助別荘写真展&保存要望の署名」活動に出逢いました。
古民家鑑定士としても、歴史的建造物の保存と利活用、行政のかかわりの難しさを知るきっかけとなった出来事でした。
https://ameblo.jp/iso-kumi/entry-12508663185.html
残念ながら三井三郎助別荘は土地開発目的の外資の手に渡り、移築の手立ても間に合わず取り壊しとなってしまったのですが、その時に知り合った「軽井沢新聞」元編集長の広川小夜子さん、日本女子大名誉教授の増淵宗一先生とはその後メールなどで意見交換。増淵先生は都内在住なので、成城の歴史的建造物ツアー(結局2人で挙行)にも来て頂きました。
https://ameblo.jp/iso-kumi/entry-12547533781.html
増淵先生からのご紹介で軽井沢文化遺産保存会にも入会しましたが、あれからコロナで全く現地に行けていません。
さらに、「軽井沢の歴史や建物保存に関して冊子を作るので、世田谷の建造物保存について書いてほしい」と言われ書き起こしたのがこちらです。
他のメンバーが、ご自身が歴史上の人物の子孫とかそうそうたる顔ぶれで、別荘族でもない私が寄稿するのははなはだ僭越ではありますが、齢のせいか、1つでも自分の文章を印刷物に遺したい気持ちになりました。ネット投稿など時期がくれば消えてしまいますからね。
*特に軽井沢と関係が深い人物、尾崎行雄邸(豪徳寺2丁目)の保存についても書いてくれと言われ、女性漫画家さんたちが買い取ったところまでは書いています(現在進行形)。
私がテキトーにスマホで撮った写真が、プロの写真と並んでしまった。恥ずかしい・・・
世田谷と軽井沢(長野)は関係が深く、かつては新町は「東京の軽井沢」として売り出され、瀬田の国分寺崖線上には財界人の別邸が立ち並びました。麹町や麻布から見れば世田谷は日帰りリゾート地(≒田舎)だったようです。
私ごときの文章より他の方の寄稿が素晴らしく、近代史の書籍でも通る内容です(非売品)。
直接知り合いの方でご希望あればお貸出しします。
<私の原稿だけはホームページに掲載>