あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」展中止の件が、大村県知事と河村市長が対立するコメントを出す事態になっています。「シャルリー・エブド事件」を思い出したいそくみ。その時はおフランス対イスラム過激派だし、襲撃で死者が出たこともあり世論はシャルリー・エブドに傾きがちだったが、自分は「表現の自由といっても他国や特定の人物・宗教を侮辱するのはNG」という立場でした。今回も「表現の自由といっても何やってもいいわけじゃない」という河村市長の言葉に賛同します。

一番問題になっているのは、韓国がしばしば従軍慰安婦問題の象徴として用いる少女像や、昭和天皇の肖像写真を焼く展示らしいですが、多くの国民が不愉快に思ったり、まして脅迫や襲撃につながるような展示は中止するのが、「表現の自由」より優先すべき行政の責務でしょう。

ただ、ここまで準備しOKを貰って来たはずの芸術監督・津田大介氏からすればハシゴを外された感はあるかもしれません。

私見では「展示が不適切と言われたものを再び展示」は、半世紀くらい時間を経ていないと難しいと感じます。

次善の策として例えば、発表方法を変える。ウェブ上で、「表現の自由」を強く支持する会員限定で見られるようにするとか、雑誌の特集企画にするとかどうだったのでしょう…昔だったら「太陽」、今はSPA!あたりか。

 

今は問題にならないが、マネの「草上の昼食」は1863年当時、女性のリアルは裸体を描いたことが不道徳とされ落選、その後の「落選展」でも批判されたといいます。小学生の頃この絵を見て「なんでピクニックで食事するのにハダカなんだ?服着てから食べなよ」とは思いました。今なら芸術として許容・・・いや、男性は服を着ていて、女性が裸体なところがセクハラで引っかかるかな?

 

落選展をやって、「何でこれがだめなの?」「やっぱりこれはだめだよね」という作品はあると思う。なぜだめなのか、意見交換する場はいつの時代も必要でしょう。テロを誘発しない範囲内で…