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びっくりされるかもしれませんが、左胸にあるのはガンです。
と言われたあの日から今日で丸2年が経過した。
病院から帰ってきて、幼稚園バスで帰ってきた長男を迎えにいった帰りに震災が起きた。
妻は、現在は女性ホルモンを栄養とするガン細胞を飢餓状態にしてやっつけるためのホルモン剤を服用している。
閉経後と同じ状態で、更年期障害のような様子もある。イライラしたり、ホトフラ(顔だけカーッと熱くなったりする)が来たりする。
以前と比べて違うのは、通院の回数が減ったことで診察の度に抱えるストレスも減ったこと。
髪も増えて、ウィッグなしに外出するようになったこと。
「治癒」ではなく「寛解」なのだが、これらの変化は彼女が2年命を繋いで来た証拠でもある。
さて、仕事場の商品でパズル系の教材があるのだが、最近自宅用に横浜のヨドバシカメラで購入。
早く帰宅した日は、夕飯のあと長男(7歳小学1年生)とそれで遊ぶ。対戦型のパズルだが、数回の練習で強くなる。
「これをやってると算数に強くなるよ。算数に強くなると、将来お医者さんになれるかもね。」と持ち上げてやっている。
長男の夢はパン屋さんになってママを店員として雇うことなのだが、最近は少し変わったようだ。
「これを練習して、お医者さんになって、ママの病気を治す」
小さい頃の夢は純粋で素直でいいなと思った。
iPhoneからの投稿
と言われたあの日から今日で丸2年が経過した。
病院から帰ってきて、幼稚園バスで帰ってきた長男を迎えにいった帰りに震災が起きた。
妻は、現在は女性ホルモンを栄養とするガン細胞を飢餓状態にしてやっつけるためのホルモン剤を服用している。
閉経後と同じ状態で、更年期障害のような様子もある。イライラしたり、ホトフラ(顔だけカーッと熱くなったりする)が来たりする。
以前と比べて違うのは、通院の回数が減ったことで診察の度に抱えるストレスも減ったこと。
髪も増えて、ウィッグなしに外出するようになったこと。
「治癒」ではなく「寛解」なのだが、これらの変化は彼女が2年命を繋いで来た証拠でもある。
さて、仕事場の商品でパズル系の教材があるのだが、最近自宅用に横浜のヨドバシカメラで購入。
早く帰宅した日は、夕飯のあと長男(7歳小学1年生)とそれで遊ぶ。対戦型のパズルだが、数回の練習で強くなる。
「これをやってると算数に強くなるよ。算数に強くなると、将来お医者さんになれるかもね。」と持ち上げてやっている。
長男の夢はパン屋さんになってママを店員として雇うことなのだが、最近は少し変わったようだ。
「これを練習して、お医者さんになって、ママの病気を治す」
小さい頃の夢は純粋で素直でいいなと思った。
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ブログを更新するのは8ヶ月ぶりになる。
平成24年6月5日(火)
今日もいつも通り小学校に行く長男(6歳)を見送り、すぐさま妻の病院へ向かう。
自宅から車で約30分の横浜市大附属医療センター。
妻はここの乳腺・甲状腺外来に掛かっている。担当は科長のI医師。
平成23年3月11日(金)といえば、東日本大震災の発生した日。震災は午後2時47分ごろだったと思う。
ちょうどあの日の午前中に、妻は「乳がん」と診断された。
前年の9月に次男が生まれまだ母乳を与えていた時期だったが、治療のため母乳をつくる機能を停止させるための錠剤を呑んだ。最後の授乳は、次男がおなかいっぱいになるまで飲ませた。
3月22日に初めての抗がん剤を投与。
それから妻の姿は、面影も無いほどみるみる変わっていった。
そして昨年の10月、手術を行った。
手術から8ヶ月が経とうとしている。
抗がん剤は手術前までに全日程終了したため、脱毛・吐き気・倦怠感などの副作用は今は無く、体調も日常生活には大きな支障がない程度まで回復したように見える。
現在の治療は、女性ホルモンの活動を抑えるホルモン剤を毎日服用することと、ハーセプチンという点滴を受けにいくこと。
ハーセプチンは、一般名を「トラスツズマブ」という。女性ホルモンをエサにして増殖するHER2という乳がんの予後因子となる遺伝子たんぱくを攻撃する化学治療薬である。
これ自体の副作用は、抗がん剤のようなものはないが、女性ホルモンを抑制するため更年期障害のような症状がでたり、心臓の機能が衰えるなどの点が現在までに確認されているとのこと。
この日も、術後1年間続けることとなったこのハーセプチンによる治療を受けに病院へ向かった。
投薬の前には必ず医師による診察がある。
ただきかれることといえば、「お変わりは無いですか?」程度。
手術前とはまるっきり診察時の内容がちがう。
妻は、自分のブログを通じて同じ乳がん患者との交流を持つようになり、たまに「オフ会」なども通っている。他の患者の話を聴いたり、こちらの話に共感してもらったり、というのが目的のようだ。
そのため、自分に施されている治療と他の患者の治療経過との差や相違が気になるのだ。
診察のたびに、「他の人に訊くと、・・・だっていうのも聴くんですけど・・・」と医師に尋ね、そのたびに「他の人は他の人ですから気にしすぎてはかえってよくない」と窘められている。
妻の気持ちもわかるし、医師の言うことも納得。
この日も妻が気になることを医師に訊いた。
ハーセプチンを投与しに行くのはいいが、この病院はあまりにも検査が少ない。途中経過をMRIなどで検査するどころか、触診すらない。
医師いわく「仮に転移などが見つかったとしても、すでに抗がん剤を終え、ハーセプチンを投与されている患者さんには、治療方法の変更があり得ないから。だとしたら、CTやMRI、放射線を使っての検査などをするのは、被曝のリスクだけを負うことになる」だそうだ。
妻は検査が無いことで自分の現状がどうなっているのかわからず不安を抱いている。思うに、検査をして、転移が無いなら無いで安心したいのだ。
医師は言う。
「あなたは、ご主人も含めて、病気に対しての不安を抱えすぎている。それはかえってよくない。手術が終わっても、そこにまだがんがあるような気がしているのでしょう。それでは病気は治らない」
続けて、
「病気のことをできるだけ考えないようにするしかない。検査は症状が出てきたらします。」
医師は「私たちはいい情報も悪い情報も正しく、すべて出しています。」と言う。
5~10年この病気と付き合っていかなければならない妻と我が家。
この長い期間、まるで「目をつぶって歩け。転ぶと思うから転ぶんだ」と言われているかのような状況で続けていけるとは思えない。
医師は手術をするところまでが仕事なのだろうか。
気持ちは患者次第?
検査しながらで薬剤の投与をするなら、診察もいらないのではないだろうか。
極論、わざわざ朝早く遠くの今の病院まで車で行く必要もないのではないか。
不安からの不満が蓄積されてきている。
平成24年6月5日(火)
今日もいつも通り小学校に行く長男(6歳)を見送り、すぐさま妻の病院へ向かう。
自宅から車で約30分の横浜市大附属医療センター。
妻はここの乳腺・甲状腺外来に掛かっている。担当は科長のI医師。
平成23年3月11日(金)といえば、東日本大震災の発生した日。震災は午後2時47分ごろだったと思う。
ちょうどあの日の午前中に、妻は「乳がん」と診断された。
前年の9月に次男が生まれまだ母乳を与えていた時期だったが、治療のため母乳をつくる機能を停止させるための錠剤を呑んだ。最後の授乳は、次男がおなかいっぱいになるまで飲ませた。
3月22日に初めての抗がん剤を投与。
それから妻の姿は、面影も無いほどみるみる変わっていった。
そして昨年の10月、手術を行った。
手術から8ヶ月が経とうとしている。
抗がん剤は手術前までに全日程終了したため、脱毛・吐き気・倦怠感などの副作用は今は無く、体調も日常生活には大きな支障がない程度まで回復したように見える。
現在の治療は、女性ホルモンの活動を抑えるホルモン剤を毎日服用することと、ハーセプチンという点滴を受けにいくこと。
ハーセプチンは、一般名を「トラスツズマブ」という。女性ホルモンをエサにして増殖するHER2という乳がんの予後因子となる遺伝子たんぱくを攻撃する化学治療薬である。
これ自体の副作用は、抗がん剤のようなものはないが、女性ホルモンを抑制するため更年期障害のような症状がでたり、心臓の機能が衰えるなどの点が現在までに確認されているとのこと。
この日も、術後1年間続けることとなったこのハーセプチンによる治療を受けに病院へ向かった。
投薬の前には必ず医師による診察がある。
ただきかれることといえば、「お変わりは無いですか?」程度。
手術前とはまるっきり診察時の内容がちがう。
妻は、自分のブログを通じて同じ乳がん患者との交流を持つようになり、たまに「オフ会」なども通っている。他の患者の話を聴いたり、こちらの話に共感してもらったり、というのが目的のようだ。
そのため、自分に施されている治療と他の患者の治療経過との差や相違が気になるのだ。
診察のたびに、「他の人に訊くと、・・・だっていうのも聴くんですけど・・・」と医師に尋ね、そのたびに「他の人は他の人ですから気にしすぎてはかえってよくない」と窘められている。
妻の気持ちもわかるし、医師の言うことも納得。
この日も妻が気になることを医師に訊いた。
ハーセプチンを投与しに行くのはいいが、この病院はあまりにも検査が少ない。途中経過をMRIなどで検査するどころか、触診すらない。
医師いわく「仮に転移などが見つかったとしても、すでに抗がん剤を終え、ハーセプチンを投与されている患者さんには、治療方法の変更があり得ないから。だとしたら、CTやMRI、放射線を使っての検査などをするのは、被曝のリスクだけを負うことになる」だそうだ。
妻は検査が無いことで自分の現状がどうなっているのかわからず不安を抱いている。思うに、検査をして、転移が無いなら無いで安心したいのだ。
医師は言う。
「あなたは、ご主人も含めて、病気に対しての不安を抱えすぎている。それはかえってよくない。手術が終わっても、そこにまだがんがあるような気がしているのでしょう。それでは病気は治らない」
続けて、
「病気のことをできるだけ考えないようにするしかない。検査は症状が出てきたらします。」
医師は「私たちはいい情報も悪い情報も正しく、すべて出しています。」と言う。
5~10年この病気と付き合っていかなければならない妻と我が家。
この長い期間、まるで「目をつぶって歩け。転ぶと思うから転ぶんだ」と言われているかのような状況で続けていけるとは思えない。
医師は手術をするところまでが仕事なのだろうか。
気持ちは患者次第?
検査しながらで薬剤の投与をするなら、診察もいらないのではないだろうか。
極論、わざわざ朝早く遠くの今の病院まで車で行く必要もないのではないか。
不安からの不満が蓄積されてきている。
平成23年11月22日(火)
手術で摘出した乳房を1ヶ月かけて病理診断し、その結果が出る日。
転移と今後の治療について、医師から説明がある。
摘出した乳房の中にあった腫瘍は1.2×018×1.0㌢に小さくなっていた。
癌の種類は、浸潤性と非浸潤性の両方。普通、浸潤性の乳癌は早期とはされない。
リンパ節への転移はなし。
Android携帯からの投稿
手術で摘出した乳房を1ヶ月かけて病理診断し、その結果が出る日。
転移と今後の治療について、医師から説明がある。
摘出した乳房の中にあった腫瘍は1.2×018×1.0㌢に小さくなっていた。
癌の種類は、浸潤性と非浸潤性の両方。普通、浸潤性の乳癌は早期とはされない。
リンパ節への転移はなし。
Android携帯からの投稿
平成23年10月17日(月)
とうとうこの日がやってきた。
抗がん剤に続く二つ目の山。
前日の日曜午後3時に病院に入り、翌日朝9時半にお呼びがかかった。
本人は至って落ち着いた様子。むしろ、周りのほうが落ち着かない感じ。
昨日の夜9時以降何も食べておらず、「お腹が減って仕方がない」とばかり言っていた。
「あとでメール読んどいてね」
手術室に入る前に、入り口のところでそう言われたので、電話使用可能域で自分の携帯電話を確認してみた。
そこには、
「こんなことにならなければ、●●(長男)にもさびしい思いをさせることもなかったのに…」
「あなたも乳がん患者の妻を持ってたくさん不安があるでしょう…」
「ごめんね」
と書かれていた。
しかし、メールの最後には、
「これからも●●(長男)と○○(次男)の成長を少しでも永く見守りたいから、キツイ治療もがんばります」
「ありがとう」
と締めくくられていた。
約2時間の手術が終わり、担当医師と面談することになった。
そこには、摘出されたばかりの妻の左乳房もあった。
医師の説明によると、
・無事に患部とされる部分は全摘出できたこと。
・センチネルリンパ節への転移は、検体2のうち0であったこと(つまり、この時点でのリンパへの転移はないとされる)。
(※センチネルリンパ節…「見張りリンパ節」ともいう。乳房のがんがリンパ管を通じて最初に流れ着くリンパ節がセンチネルリンパ節であり、ここに転移が無ければそれ以上のリンパ節の摘出を省略する。手術中に、センチネルリンパ節を同定し、術中迅速病理診断する。同定出来なかった場合と転移を認めた場合ははリンパ節郭清手術を行う。センチネルリンパ節転移が無かった場合は、リンパ節郭清を省略した手術を行う。術後の検査で転移が認められた場合は、リンパ節郭清手術または腋窩放射線照射を行う。)
・標本(摘出した部位)はホルマリンに固定し、病理での検査を行う。結果は約1ヵ月後に判明。その後の治療方針はそこで決めること。
…などが、わかった。
いずれにしても、状況として悪い内容はなかったように思う。
とりあえず手術後の本人の状態が心配。
看護士から「30分後ぐらいにご本人も病室に戻られますよ」と言われ、病室で待つことに。
しばらくして…、看護士二人に押されるベッドの上に妻がいた。
朦朧としているようだが、すでに目は覚めていた。
「お疲れ様」
「本当に寝ている間に終わったよ」
胸からは、摘出した部分のわずかな隙間に溜まる体液を抜くためのドレイン(排出用のカテーテル)が数本ついている。
また、生理食塩水を入れる点滴が右手の甲に付けられていた。
この日はまだ禁食。
翌日には消化器などの状態を見て、数本の管を外すとのこと。
状態がよければ、今週末には退院も可能になりそうだ。
今まで暗闇の中を手をつないで走ってきた我が家にも、やっと一筋の明るい光が見えた。
そんな日だった。
夜。
子どもたちを寝かしつけたあと、妻にメールの返事を書いた。
『今日は大変な一日でしたね。
おそらく今は痛みより空腹の方が辛いことでしょう。
手術の日が決まってからずっと、あなたが身体の一部を切除しなくてはならないということが可哀想で可哀想でなりませんでした。
身体の毛という毛が抜け、爪が剥がれ、激しいダルさや気持ち悪さに見舞われていましたが、いつか元に戻れるということがわかっていることが救いでした。
しかし、乳房を切除するということは、あなたがあなたのお母さん(※3年前に白血病で他界)から授かった身体の一部とサヨナラをしなければならないということ。
そう思うと、とても可哀想でした。
術後、先生との面談で切り取られた乳房を見ました。
色素の注入により一部が青く染まった乳房は、戦いに疲れたような面持ちでした。
●●(長男)を健康優良児に育て上げ、○○(次男)に丈夫に育つ必須要素を注入した乳房。
癌が分かったことで持ち主の身体と心を苦しめてしまった乳房。
変な表現ですが、この左胸に人格があるのならば、その表情は「今まで苦しめてごめんね」と「今までありがとうね」の両方を訴えるような、とても安らかなものでありました。
病室に戻ったあなたは、麻酔によって朦朧としながらも、とても晴れやかな表情をしていました。
今まで、一歩、また一歩と歩みを進める度に、前進しているのか後退しているのか分からない日々でしたね。
でも、今日のあなたの表情を見て、我が家は確実に前に進んでいっているのだと確信をしました。』
■病室
■排出される体液を収めるドレインのポシェット
■面会の時に渡そうと長男が描いた絵
■面会の時にママの肩をもむ長男
■ママが入院してるなんてことを知る由もなく、もりもりごはんを食べて成長し続ける次男
とうとうこの日がやってきた。
抗がん剤に続く二つ目の山。
前日の日曜午後3時に病院に入り、翌日朝9時半にお呼びがかかった。
本人は至って落ち着いた様子。むしろ、周りのほうが落ち着かない感じ。
昨日の夜9時以降何も食べておらず、「お腹が減って仕方がない」とばかり言っていた。
「あとでメール読んどいてね」
手術室に入る前に、入り口のところでそう言われたので、電話使用可能域で自分の携帯電話を確認してみた。
そこには、
「こんなことにならなければ、●●(長男)にもさびしい思いをさせることもなかったのに…」
「あなたも乳がん患者の妻を持ってたくさん不安があるでしょう…」
「ごめんね」
と書かれていた。
しかし、メールの最後には、
「これからも●●(長男)と○○(次男)の成長を少しでも永く見守りたいから、キツイ治療もがんばります」
「ありがとう」
と締めくくられていた。
約2時間の手術が終わり、担当医師と面談することになった。
そこには、摘出されたばかりの妻の左乳房もあった。
医師の説明によると、
・無事に患部とされる部分は全摘出できたこと。
・センチネルリンパ節への転移は、検体2のうち0であったこと(つまり、この時点でのリンパへの転移はないとされる)。
(※センチネルリンパ節…「見張りリンパ節」ともいう。乳房のがんがリンパ管を通じて最初に流れ着くリンパ節がセンチネルリンパ節であり、ここに転移が無ければそれ以上のリンパ節の摘出を省略する。手術中に、センチネルリンパ節を同定し、術中迅速病理診断する。同定出来なかった場合と転移を認めた場合ははリンパ節郭清手術を行う。センチネルリンパ節転移が無かった場合は、リンパ節郭清を省略した手術を行う。術後の検査で転移が認められた場合は、リンパ節郭清手術または腋窩放射線照射を行う。)
・標本(摘出した部位)はホルマリンに固定し、病理での検査を行う。結果は約1ヵ月後に判明。その後の治療方針はそこで決めること。
…などが、わかった。
いずれにしても、状況として悪い内容はなかったように思う。
とりあえず手術後の本人の状態が心配。
看護士から「30分後ぐらいにご本人も病室に戻られますよ」と言われ、病室で待つことに。
しばらくして…、看護士二人に押されるベッドの上に妻がいた。
朦朧としているようだが、すでに目は覚めていた。
「お疲れ様」
「本当に寝ている間に終わったよ」
胸からは、摘出した部分のわずかな隙間に溜まる体液を抜くためのドレイン(排出用のカテーテル)が数本ついている。
また、生理食塩水を入れる点滴が右手の甲に付けられていた。
この日はまだ禁食。
翌日には消化器などの状態を見て、数本の管を外すとのこと。
状態がよければ、今週末には退院も可能になりそうだ。
今まで暗闇の中を手をつないで走ってきた我が家にも、やっと一筋の明るい光が見えた。
そんな日だった。
夜。
子どもたちを寝かしつけたあと、妻にメールの返事を書いた。
『今日は大変な一日でしたね。
おそらく今は痛みより空腹の方が辛いことでしょう。
手術の日が決まってからずっと、あなたが身体の一部を切除しなくてはならないということが可哀想で可哀想でなりませんでした。
身体の毛という毛が抜け、爪が剥がれ、激しいダルさや気持ち悪さに見舞われていましたが、いつか元に戻れるということがわかっていることが救いでした。
しかし、乳房を切除するということは、あなたがあなたのお母さん(※3年前に白血病で他界)から授かった身体の一部とサヨナラをしなければならないということ。
そう思うと、とても可哀想でした。
術後、先生との面談で切り取られた乳房を見ました。
色素の注入により一部が青く染まった乳房は、戦いに疲れたような面持ちでした。
●●(長男)を健康優良児に育て上げ、○○(次男)に丈夫に育つ必須要素を注入した乳房。
癌が分かったことで持ち主の身体と心を苦しめてしまった乳房。
変な表現ですが、この左胸に人格があるのならば、その表情は「今まで苦しめてごめんね」と「今までありがとうね」の両方を訴えるような、とても安らかなものでありました。
病室に戻ったあなたは、麻酔によって朦朧としながらも、とても晴れやかな表情をしていました。
今まで、一歩、また一歩と歩みを進める度に、前進しているのか後退しているのか分からない日々でしたね。
でも、今日のあなたの表情を見て、我が家は確実に前に進んでいっているのだと確信をしました。』
■病室
■排出される体液を収めるドレインのポシェット
■面会の時に渡そうと長男が描いた絵
■面会の時にママの肩をもむ長男
■ママが入院してるなんてことを知る由もなく、もりもりごはんを食べて成長し続ける次男
平成23年10月13日(木)
午前10時30分頃、
病院から手術日と入院日を知らせる電話があった。
入院は明日。
手術は週明け17日。
これでやっと諸々の予定が立てられる、と妻は言う。
前回の診察の際にある程度このあたりだろうという候補日は聞いていたので、10月10日~11日で慰安と壮行を兼ねた家族旅行に奥湯河原まで行ってきた。
初日は宿泊のみ、二日目はみかん狩りと真鶴での海鮮ランチ。
真鶴から望む相模湾を前に、
「パワー注入!」と気合いを入れていた妻。
手術はもちろん全身麻酔。
術後はしばらくの間、妻は不自由な身体になる。
そんな不安を私たちの分まで吹き飛ばそうと、妻は旅行中、常に笑顔でいた。
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午前10時30分頃、
病院から手術日と入院日を知らせる電話があった。
入院は明日。
手術は週明け17日。
これでやっと諸々の予定が立てられる、と妻は言う。
前回の診察の際にある程度このあたりだろうという候補日は聞いていたので、10月10日~11日で慰安と壮行を兼ねた家族旅行に奥湯河原まで行ってきた。
初日は宿泊のみ、二日目はみかん狩りと真鶴での海鮮ランチ。
真鶴から望む相模湾を前に、
「パワー注入!」と気合いを入れていた妻。
手術はもちろん全身麻酔。
術後はしばらくの間、妻は不自由な身体になる。
そんな不安を私たちの分まで吹き飛ばそうと、妻は旅行中、常に笑顔でいた。
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平成23年10月4日(火)
ハーセプチンの日。
この日の診察で手術の日程などについて説明があった。
手術は10月17日(予備日が19日)。
左胸の全摘出。
入院は前週の金曜日から(土日は自宅に「外泊」となる)。
入院指示の電話はなんと入院前日に来るとのこと。
今掛かっている市大付属医療センターの乳腺科は、担当医師は固定ではなく、綿密な打ち合わせのもとでのチーム制をとっているのが特徴だそうだが、科長とその他の医師で説明が違う部分が散見され、結局どうするのかギリギリまでわからないことがよくある。
やっとこさ手術というところまで来たが、またまだ不安は大きい。
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ハーセプチンの日。
この日の診察で手術の日程などについて説明があった。
手術は10月17日(予備日が19日)。
左胸の全摘出。
入院は前週の金曜日から(土日は自宅に「外泊」となる)。
入院指示の電話はなんと入院前日に来るとのこと。
今掛かっている市大付属医療センターの乳腺科は、担当医師は固定ではなく、綿密な打ち合わせのもとでのチーム制をとっているのが特徴だそうだが、科長とその他の医師で説明が違う部分が散見され、結局どうするのかギリギリまでわからないことがよくある。
やっとこさ手術というところまで来たが、またまだ不安は大きい。
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平成23年9月13日(火)
今日はハーセプチン(増殖に必要なエサを取り込む手の役割を抑制するとされる薬物)の投与と、一週間前に行ったMRIとCTの結果を医師から聴く…など。
長男の幼稚園の見送りを済ませ、その後すぐに阪東橋の病院へ。
10:30病院着。
11:00皮膚科
両手のすべての爪が剥がれそうな状態。
それらの治療進捗を見る。
次は13時のハーセプチン。ちょうど昼またぎ。
白血球も回復しつつあったので、横浜橋商店街のT水産という店に海鮮丼を食べに行こうと思っていた。
乳腺外科にポケベル(患者を呼ぶのに使うツール…建物の外に持ち出すと「電波が受信できません」とメッセージとアラームが鳴り、落ち着いて外出できない)を預けようと思ったら、受付事務に「X腺行ってください」と。
たしかに患者は全快のために病院に通っている。しかし、そっちのペースでテキトーにやっていいとは言ってない。こっちはわざわざ仕事の公休日をこの曜日に合わせてきてるんだぞ。いい忘れたのかどうか知らないがその検査は聴いてないぞ!
と、言いたいが、検査の間に皮膚科で処方された薬をもらい(乳腺科事務の許可を得て)に薬局に。
「終わったら、外で待ち合わせよう」
とメール。
タイミングよく検査の終了と薬局の終了が重なり、50分弱の空き時間ができた。
病院から歩いて5分ほどの商店街の中にT水産がある。
少し早足で移動。とにかく暑い。
カウンターの席しかないお店。
たまたま2人分席が空いていた。
おじさん・私・妻・ガイジンサン
という並びになった。
見た目はひょろいのだが、会話はいっぱしの浜の人、という感じの若大将が
ガイジンサンに、
若大将「はい、おまちどう。サンマ丼ね」
キャク「あ、はい」
若大将「お茶のおかわりいるかい?」
キャク「おねがいします」
若大将「あいよ。お兄さん、日本語うまいね」
キャク「ありがとう」
すると女将(?)が出てきて、
女 将「こっちは長いの?」
キャク「大阪3年、横浜8年だよ」
女 将「ほんまでっか?」
キャク「ほんまやで」
というベタな会話が繰り広げられたが、
妻は丼を待ちながらずっと笑っていた。
午後。
13:00からハーセプチン。
14:00から麻酔科。
全身麻酔などの方法やリスクの説明を受ける。
15:00から乳腺外科。
乳腺外科の責任者と面談。
いよいよ、MRIとCTの結果をきく。
画像を見て医師が、
「画像を見る限りだと…腫瘍は見えなくなってるね」
「!!」
妻の今までの道のりが少し報われた瞬間だった。
抗がん剤の効用で、乳房の左右差はなくなっているとのこと。
今のところ、リンパ節への転移も見られないという。
(以前、リンパへの転移が見られると言ったのもこの医師なのだが…)
乳房を切除して病理の検査をした上で癌が消滅しているかどうか判断する。
ホルマリンに入れて1ヶ月、その後に判断となる。
その際リンパ節(センチネルリンパ節)の郭清(切除)も行い、転移の可能性も見る。
リンパを採ると腕の浮腫みや痺れが出るという。
手術が行われるのは月・水曜日のどちらか。
おそらく10月3日か5日あたり。
ちょうど週末は長男の幼稚園の運動会だ。
医師が言うには、「アメリカでは乳がん手術は日帰り。当院でも術後3~4日で退院」だそうだ。
術後に患部に溜まる体液を抜くための管をつけた状態で退院する人もいるとのこと。
また抜糸もないそうだ。
やっと頂上が見えてきたような気がした。
帰ってきたのは、夕方5時。
この日は私の父母も来ていた。
長男が玄関まで来て、
「ママ、おつかれさまー!」
妻は長男の笑顔を見て、
「ママ、がんばるよ」
今日はハーセプチン(増殖に必要なエサを取り込む手の役割を抑制するとされる薬物)の投与と、一週間前に行ったMRIとCTの結果を医師から聴く…など。
長男の幼稚園の見送りを済ませ、その後すぐに阪東橋の病院へ。
10:30病院着。
11:00皮膚科
両手のすべての爪が剥がれそうな状態。
それらの治療進捗を見る。
次は13時のハーセプチン。ちょうど昼またぎ。
白血球も回復しつつあったので、横浜橋商店街のT水産という店に海鮮丼を食べに行こうと思っていた。
乳腺外科にポケベル(患者を呼ぶのに使うツール…建物の外に持ち出すと「電波が受信できません」とメッセージとアラームが鳴り、落ち着いて外出できない)を預けようと思ったら、受付事務に「X腺行ってください」と。
たしかに患者は全快のために病院に通っている。しかし、そっちのペースでテキトーにやっていいとは言ってない。こっちはわざわざ仕事の公休日をこの曜日に合わせてきてるんだぞ。いい忘れたのかどうか知らないがその検査は聴いてないぞ!
と、言いたいが、検査の間に皮膚科で処方された薬をもらい(乳腺科事務の許可を得て)に薬局に。
「終わったら、外で待ち合わせよう」
とメール。
タイミングよく検査の終了と薬局の終了が重なり、50分弱の空き時間ができた。
病院から歩いて5分ほどの商店街の中にT水産がある。
少し早足で移動。とにかく暑い。
カウンターの席しかないお店。
たまたま2人分席が空いていた。
おじさん・私・妻・ガイジンサン
という並びになった。
見た目はひょろいのだが、会話はいっぱしの浜の人、という感じの若大将が
ガイジンサンに、
若大将「はい、おまちどう。サンマ丼ね」
キャク「あ、はい」
若大将「お茶のおかわりいるかい?」
キャク「おねがいします」
若大将「あいよ。お兄さん、日本語うまいね」
キャク「ありがとう」
すると女将(?)が出てきて、
女 将「こっちは長いの?」
キャク「大阪3年、横浜8年だよ」
女 将「ほんまでっか?」
キャク「ほんまやで」
というベタな会話が繰り広げられたが、
妻は丼を待ちながらずっと笑っていた。
午後。
13:00からハーセプチン。
14:00から麻酔科。
全身麻酔などの方法やリスクの説明を受ける。
15:00から乳腺外科。
乳腺外科の責任者と面談。
いよいよ、MRIとCTの結果をきく。
画像を見て医師が、
「画像を見る限りだと…腫瘍は見えなくなってるね」
「!!」
妻の今までの道のりが少し報われた瞬間だった。
抗がん剤の効用で、乳房の左右差はなくなっているとのこと。
今のところ、リンパ節への転移も見られないという。
(以前、リンパへの転移が見られると言ったのもこの医師なのだが…)
乳房を切除して病理の検査をした上で癌が消滅しているかどうか判断する。
ホルマリンに入れて1ヶ月、その後に判断となる。
その際リンパ節(センチネルリンパ節)の郭清(切除)も行い、転移の可能性も見る。
リンパを採ると腕の浮腫みや痺れが出るという。
手術が行われるのは月・水曜日のどちらか。
おそらく10月3日か5日あたり。
ちょうど週末は長男の幼稚園の運動会だ。
医師が言うには、「アメリカでは乳がん手術は日帰り。当院でも術後3~4日で退院」だそうだ。
術後に患部に溜まる体液を抜くための管をつけた状態で退院する人もいるとのこと。
また抜糸もないそうだ。
やっと頂上が見えてきたような気がした。
帰ってきたのは、夕方5時。
この日は私の父母も来ていた。
長男が玄関まで来て、
「ママ、おつかれさまー!」
妻は長男の笑顔を見て、
「ママ、がんばるよ」
妻は典型的なA型の性格。
時間があれば、「今のうちにあれをやっちゃわないと」と動いている。
患ってからもそれは変わらない。
次男が寝付かず就寝が深夜になり起床が早朝になろうとも、
私が「次男が昼寝してる間に自分も寝たら?」と午睡を勧めても、「時間がもったいないから」と動き続けている。
そんな妻に「生き急いでるなぁ」と私は言ったことがある。
病気がわかって死を意識した時、妻は「生き急いでいるからからかなぁ」と呟き、苦笑した。
亡くなった母親に似て
髪が多かった妻。
薬でその髪もきれいに抜け、
副作用で白血球が減少したことで、
ちょっとした切り傷や擦り傷でリンパに腫れが出て、
口内炎がやたらとでき、
爪が剥がれそうになり、
肘や膝やかゆくてたまらなくなり…
なんてことを
彼女はこれまで8回繰り返してきた。
それもやっと
平成23年8月22日(火)
この日の抗がん剤でひとまず最終回。
治療はまだ続くのだが、とりあえず区切りがひとつ。
妻が癌になって、妻や私や家族を不憫に思う人もいたかもしれない。
でも、
病む母を気遣う長男はおかげでとても優しく育ってくれた。
幼い次男の面倒を見ることをかって出ようとしてくれるし、祖父母以外にはあまりワガママも言わない。
それから…
火曜日に朝7時半に車に乗り込んで病院に向かうその車内や、
長い待ち時間の間、日の半分過ごす病院で、
「この間さぁ、○○(長男)がさぁ…」
「●●くんのママからのメールでね…」
と、ごく当たり前の、休日の夫婦の会話ができた。
生き急いでいては、家の中では惜しんだ会話かもしれない。
捻出したわけでもなく、こうやって夫婦で時間ができたからこそできた会話。
やっと、
元気になったら何しよう?
という会話が夫婦でできるようになった。
今月は、いよいよ手術を迎える。
時間があれば、「今のうちにあれをやっちゃわないと」と動いている。
患ってからもそれは変わらない。
次男が寝付かず就寝が深夜になり起床が早朝になろうとも、
私が「次男が昼寝してる間に自分も寝たら?」と午睡を勧めても、「時間がもったいないから」と動き続けている。
そんな妻に「生き急いでるなぁ」と私は言ったことがある。
病気がわかって死を意識した時、妻は「生き急いでいるからからかなぁ」と呟き、苦笑した。
亡くなった母親に似て
髪が多かった妻。
薬でその髪もきれいに抜け、
副作用で白血球が減少したことで、
ちょっとした切り傷や擦り傷でリンパに腫れが出て、
口内炎がやたらとでき、
爪が剥がれそうになり、
肘や膝やかゆくてたまらなくなり…
なんてことを
彼女はこれまで8回繰り返してきた。
それもやっと
平成23年8月22日(火)
この日の抗がん剤でひとまず最終回。
治療はまだ続くのだが、とりあえず区切りがひとつ。
妻が癌になって、妻や私や家族を不憫に思う人もいたかもしれない。
でも、
病む母を気遣う長男はおかげでとても優しく育ってくれた。
幼い次男の面倒を見ることをかって出ようとしてくれるし、祖父母以外にはあまりワガママも言わない。
それから…
火曜日に朝7時半に車に乗り込んで病院に向かうその車内や、
長い待ち時間の間、日の半分過ごす病院で、
「この間さぁ、○○(長男)がさぁ…」
「●●くんのママからのメールでね…」
と、ごく当たり前の、休日の夫婦の会話ができた。
生き急いでいては、家の中では惜しんだ会話かもしれない。
捻出したわけでもなく、こうやって夫婦で時間ができたからこそできた会話。
やっと、
元気になったら何しよう?
という会話が夫婦でできるようになった。
今月は、いよいよ手術を迎える。







