平成23年10月17日(月)

とうとうこの日がやってきた。
抗がん剤に続く二つ目の山。

前日の日曜午後3時に病院に入り、翌日朝9時半にお呼びがかかった。

本人は至って落ち着いた様子。むしろ、周りのほうが落ち着かない感じ。
昨日の夜9時以降何も食べておらず、「お腹が減って仕方がない」とばかり言っていた。

「あとでメール読んどいてね」
手術室に入る前に、入り口のところでそう言われたので、電話使用可能域で自分の携帯電話を確認してみた。

そこには、

「こんなことにならなければ、●●(長男)にもさびしい思いをさせることもなかったのに…」
「あなたも乳がん患者の妻を持ってたくさん不安があるでしょう…」
「ごめんね」

と書かれていた。

しかし、メールの最後には、
「これからも●●(長男)と○○(次男)の成長を少しでも永く見守りたいから、キツイ治療もがんばります」
「ありがとう」
と締めくくられていた。


約2時間の手術が終わり、担当医師と面談することになった。

そこには、摘出されたばかりの妻の左乳房もあった。


医師の説明によると、
・無事に患部とされる部分は全摘出できたこと。
・センチネルリンパ節への転移は、検体2のうち0であったこと(つまり、この時点でのリンパへの転移はないとされる)。
(※センチネルリンパ節…「見張りリンパ節」ともいう。乳房のがんがリンパ管を通じて最初に流れ着くリンパ節がセンチネルリンパ節であり、ここに転移が無ければそれ以上のリンパ節の摘出を省略する。手術中に、センチネルリンパ節を同定し、術中迅速病理診断する。同定出来なかった場合と転移を認めた場合ははリンパ節郭清手術を行う。センチネルリンパ節転移が無かった場合は、リンパ節郭清を省略した手術を行う。術後の検査で転移が認められた場合は、リンパ節郭清手術または腋窩放射線照射を行う。)
・標本(摘出した部位)はホルマリンに固定し、病理での検査を行う。結果は約1ヵ月後に判明。その後の治療方針はそこで決めること。
…などが、わかった。

いずれにしても、状況として悪い内容はなかったように思う。


とりあえず手術後の本人の状態が心配。
看護士から「30分後ぐらいにご本人も病室に戻られますよ」と言われ、病室で待つことに。

しばらくして…、看護士二人に押されるベッドの上に妻がいた。
朦朧としているようだが、すでに目は覚めていた。

「お疲れ様」
「本当に寝ている間に終わったよ」

胸からは、摘出した部分のわずかな隙間に溜まる体液を抜くためのドレイン(排出用のカテーテル)が数本ついている。
また、生理食塩水を入れる点滴が右手の甲に付けられていた。
この日はまだ禁食。
翌日には消化器などの状態を見て、数本の管を外すとのこと。
状態がよければ、今週末には退院も可能になりそうだ。


今まで暗闇の中を手をつないで走ってきた我が家にも、やっと一筋の明るい光が見えた。
そんな日だった。


夜。
子どもたちを寝かしつけたあと、妻にメールの返事を書いた。



『今日は大変な一日でしたね。
おそらく今は痛みより空腹の方が辛いことでしょう。
手術の日が決まってからずっと、あなたが身体の一部を切除しなくてはならないということが可哀想で可哀想でなりませんでした。
身体の毛という毛が抜け、爪が剥がれ、激しいダルさや気持ち悪さに見舞われていましたが、いつか元に戻れるということがわかっていることが救いでした。
しかし、乳房を切除するということは、あなたがあなたのお母さん(※3年前に白血病で他界)から授かった身体の一部とサヨナラをしなければならないということ。
そう思うと、とても可哀想でした。

術後、先生との面談で切り取られた乳房を見ました。
色素の注入により一部が青く染まった乳房は、戦いに疲れたような面持ちでした。
●●(長男)を健康優良児に育て上げ、○○(次男)に丈夫に育つ必須要素を注入した乳房。
癌が分かったことで持ち主の身体と心を苦しめてしまった乳房。
変な表現ですが、この左胸に人格があるのならば、その表情は「今まで苦しめてごめんね」と「今までありがとうね」の両方を訴えるような、とても安らかなものでありました。

病室に戻ったあなたは、麻酔によって朦朧としながらも、とても晴れやかな表情をしていました。
今まで、一歩、また一歩と歩みを進める度に、前進しているのか後退しているのか分からない日々でしたね。
でも、今日のあなたの表情を見て、我が家は確実に前に進んでいっているのだと確信をしました。』


■病室



■排出される体液を収めるドレインのポシェット



■面会の時に渡そうと長男が描いた絵



■面会の時にママの肩をもむ長男


■ママが入院してるなんてことを知る由もなく、もりもりごはんを食べて成長し続ける次男