毎年恒例の帰省も今年は中止。
また例年参加していた8月5日~9日の合宿(仕事)も、8月2日の妻7度目の抗がん剤投与→副作用への対応のため、不参加。

いつもは夏の甲子園が一回戦終了するかしないかぐらいに夏休みがスタートするが、かなり早い始まりとなった。

今回も投薬内容は、抗がん剤とハーセプチンだったので、副作用は予想できるのだが、以前のものと違って出方がまちまち。今回は、割りと早い段階で妻が「あー、白血球下がってきてるのわかるー」とつぶやいていた(白血球減少で抵抗力が下がるため、口の中が荒れたり、関節や手指などに痒みが出るのでわかるらしい)。

さらに今回は、手足口病を発症!
(これは抵抗力の弱い子どもにかかりやすく、まず熱が出たあと手足や背中、口の中に赤い発疹が無数に出る。抗生物質も効かないのでただただ治るのを待つのみ。)
まともに歩けないほどの水疱が足に出来、手も大火傷を負った人のようだった。
その後長男次男も感染したのだが、症状の出方の差からして妻の抵抗力の低さがよくわかった。

続いて私も扁桃炎で発熱し、家の中でまともな大人が義父一人に。
間違いなく我が家は破綻していた。
その危機を救いに現れたのは、私の母だった。抗がん剤投与前後にいつも泊まりがけで支援をしてくれるのだが、今回はお盆前の忙しい時期にも関わらず、予定外に2泊して切り盛りしてくれた。

ありがとうという言葉以外見つからない。
自分も将来、我が子たちにこのように支援できるだろうか。


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平成23年7月19日(火)

仕事は夏の繁忙期を前にしばしの休暇。

我が家はこの時期、長野県の別所温泉の行きつけの宿に泊まりに行っていた。
今年は勿論、通院があるのでお出掛けは無し。

投薬から一週間経たないうちに、妻は身体の痒みや怠さに見回れていた。
投薬の日に、一週間後の白血球の数値を診てもらうために診察の予約を入れていた。やることは、採血と診察のみ。
現状も診てもらうのにもちょうどよかった。
いつも通り、いや、やや遅めに病院に着いた。少し違うだけで駐車場の混雑は別物。
車の中でもずっと目を閉じたままだった妻。
受付を済ませるために先に降ろし、待ち合い室で待ち合わせる。

台風の匂いがする空気。
やっと駐車場に入り、待ち合わせの場所(お互いに確認はしてないが、流れ上ここだろうという場所)に向かう。

待ち合い室のソファーを見ると、腰かけて目をつぶっている妻の姿。
どこか姿勢がおかしい。
「大丈夫?」と声をかけると、妻は朦朧としていた。
取り敢えず休めるところはないか看護士に尋ね、処置室のベッドに通された。
妻は青ざめて一人では立っていられない様子だった。
もともと血圧は低いのだが、計るといつもよりさらに低い。
ベッドに、数人の看護士に抱えられるように寝かされた妻。
その後、ソルデムというブドウ糖や塩化ナトリウム、乳酸カリウムなどが入った脱水症状などの際に投じる溶液を点滴した。

妻の話を聞いた医師の見解では、抗がん剤の副作用で味覚が変わったため、ふだん食べたり飲んだりしていたものが受け付けられなくなり、一時的な脱水症状になったということらしい。
一時間少々500mlの点滴を受けて、ようやく落ち着いた。

いろいろなファクターがあって起きた事態であったが、やっぱり少しずつ弱ってきているのかな…。
そう思う出来事だった。



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平成23年7月12日(火)

6度目の抗がん剤投与の日。
朝7時に家を出る。
7時30分に到着。
採血のあと皮膚科へ。
前回から新しい抗がん剤になり、皮膚の発疹が出た。先々週の予後を診てもらう。
その後、乳腺外来へ。
それはそれは長い待ち時間を経て、ようやく診察へ。
今日は乳腺甲状腺科長の医師。
以前述べたが、この病院はチームで患者を診るシステム。一人の医師がずっと見続ける訳ではない。
残り2回の抗がん剤の日取りは当初の予定通り8月中になること、9月中頃に乳房の切除、乳房の「再建」の意志の有無についての話だった。
乳房の再建は、その後もしもリンパ腺への転移が確認されたら放射線治療を必要とするため当面は不可能だ。
話の流れで、以前4月ごろに撮影したMRIの画像を改めて見た。
そこで医師から「授乳期直後で乳腺が発達していたから断言は出来ないが、リンパ腺への転移が疑われる。転移を否定できないね」と言われた。
5月の診察の際は、他の医師が画像を見て、「転移はない」と言っていたのだが…。
「前は『ない』って言われましたよ」とこちらが言うと、
「んー、でも可能性がないとは言えないね」と医師。

「チームで」と言っていたが、どうやら治療方針だけ統一して、あとはその場その場の医師の判断になっているようだ。
こちらは、医師同士のミーティングがありそこで患者一人一人の治療施策が練られ、どの医師が診ても同じように対応ができる、そう思っていた。

「やっぱり転移があったんだね…」と妻。
「でも、抗がん剤で全身に治療してきたんだからさ。あってもなくても治療計画は同じなんだろうし」と私。

「病は気から」と言うが、今、私たちの内心は気力を失いかけている。


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平成23年7月7日(木)

長男の幼稚園生活最後の七夕音楽会が開かれた。

前の抗がん剤と出方の違う副作用に苦しんでいた妻だったが、なんとかこの日は(厳重にマスクをして)参加できた。

この幼稚園では、必ず一人一回はイベント事での挨拶や選手宣誓などマイクを持つ機会を与える方針。
長男は今回「はじめのことば」を言う5人のうちの一人。順番にマイクをバトンタッチしながら、25~30字ほどの言葉をのべる。

勿論妻と私は、引っ込み思案な我が子を「一人だけ小っちゃい声だったらどうしようね」などと憂慮していた。
家でもしっかり練習していたが、外と内の顔が違うのが長男。

しかしながら、親の心配をよそに、長男は大きな声で練習の時よりもさらにはっきりと「はじめのことば」を成し遂げた。

なぜか震えていた私の足も安堵で落ち着き、妻とホッとため息。同じようなため息が他からも聞こえた。

年少・年中の時もその成長を喜んだが、年長の出し物は一気にレベルがアップ。私自身も子どもの可能性と不可能性とに向き合う仕事をしているが、わかっていても(わかっていているからこそ?)、我が子の頑張る姿を見るのはとても嬉しい。

ピアニカ・大太鼓・小太鼓・鈴・木琴・鉄琴・ハンドベルなどを駆使した「宇宙戦艦ヤマトの合奏」(これは大人が観てもかっこいい!!)、たくさんのダンスがつけられた「でこぼこ行進曲」など、たくさん練習してきたんだということがにじみ伝わる演目が続き…。
親たちの涙が止まらなかったのは、「みあげてごらん夜の星を」を手話をつけて唄う。
そして最後の演目。
ベートーベン交響曲第九番「歓喜の歌」をモチーフにした「希望の歌」。ポップオペラの藤澤ノリマサで有名だが、幼稚園児の合唱はまた聞こえかたはまた違う。

しあわせだからわらうんじゃなくて

わらっているからしあわせになれる

みんながえがおでいられるように


最後に園児が向き合って、笑顔でこの歌詞を歌う。

親なんて、結局子どものことなんて一部分しか知らなくて、親のいないところで「わが子」とは別人格で立派になっていく。

そりゃあ、親として満足したことなんてないけど、

100点取ってほしいと思っていてもなかなか80点ぐらいしか取ってくれないんだけど、




でも、たまに外で150点を取ってきてくれるときがある。



自分の力で一生懸命峠を乗り越えたと思ったら、その先に思っても見なかったとてもすばらしい景色が広がった。
そんな気持ちにさせてくれる。

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平成23年7月1日(金)

体調がすぐれず、特に湿疹がひどい妻。
背中・腕・太股に、火傷のような赤いものが浮き出た。
また、二日ほど前から熱も出始めた。
昨日は39℃近くまで上がり主治医に電話したところ、すぐ来てくださいといわれ、午前中から病院へ。
私は仕事があったので、義父が車で搬送。
昼過ぎ職場に電話があり、「入院かも」と。
その後、小さい子どもがいることを考慮し、医師から入院はしないで自宅にて病院と同じような処置をおこなうよう指示を受けた。
白血球の減少により発熱したものと考えられるため、病院では強めの抗生物質と、皮膚の炎症を抑える薬を点滴する処置を受けた。

あわや入院かと焦ったが、帰宅できてよかった。

しかしながら、抗がん剤は恐ろしい。
妻の姿は4ヵ月前とは全く違うものになってしまった。


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平成23年6月28日(火)

おととい辺りから妻の身体に今までなかった症状が現れ始めた。
吐き気を催し、さらに身体の様々なところに湿疹が出、口の中も荒れてきた。
以前の抗がん剤は投薬直後に副作用が現れたが、第2クールは5日後に現れ始めた。

「いつもなら白血球が下がる前の、わりと調子のいい頃なのに…」とつぶやく妻。
「新しい薬だから、また新たに付き合い方に慣れていかないとね。」と私が言うと、珍しく素直に「そうだね」と答えた妻。

困難の存在に気付くと落ち込むが、前を向けるまでに時間が掛からなくなり、素直になれてきたのは、ある意味病気のお陰かもしれない。



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平成23年6月21日(火)
「がん支えあいの日」

今日の投薬から、点滴内容がかわる。
まず、抗がん剤の種類がかわる。
これは今までのものと比べて、気持ち悪さが少ないと言われた(もちろん個人差はある)。まだ、発熱やダルさなどはわからない。
そして、ハーセプチンがスタート。なんでもかんでも抗がん剤で、でなく個人の乳ガンのタイプに合わせた治療が可能になった画期的な治療だそうだ。
この薬は、HER2タンパクというガン細胞の増殖に必要な物質を取り込むタンパクを持つガン細胞を攻撃する。
よくわからないので図で表すと、


ということ。
こうして、兵糧攻めにする。

今回の抗がん剤の良いところは、個人差はあれども、吐き気が少ないこと(もちろん初回なので気は抜けないのだが)。
実際のところ、これまで投薬当日は夕方には突っ伏していた妻だったが、昨夜は夕食を摂ることもできた。
白血球数低下も、これまでは二週間後だったが今度は10日後と、いろいろ変更点があった。

キツいのが先で軽いのが後でよかった。
「動ける」「食べられる」というだけで、妻も元気が湧いてきたようだ。

大人も子どもも、「やればできる」という根性論より、「できるからやる」がモチベーションなのは間違いない。


来月7日、長男の幼稚園では「七夕音楽会」という行事が行われる。年長組はそれまでと出し物のレベルがはるかに違うときいている。
長男は内容を内緒にしておきたいようだが、会話の端々でわかるのは、
①はじめの言葉を長男がやること
②『宇宙戦艦ヤマト』を合奏すること(長男は木琴。他にピアニカなども)
③『見上げてごらん、夜の星を』を合唱すること。しかも手話をつけて。
④『喜びの歌』(第九?)を歌うこと。
など。

見に行ったら間違いなくこちらは感涙しそう…ρ(・・、)

「ママ、この調子なら音楽会行けそうだよ~」と妻がいうと、
「やったー、じゃあがんばるよ!」
と長男大喜び。

「できるからやる」
「ママがこれるからがんばる」



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目の周りや耳の裏がガサガサになってしまった長男。肘の裏などもガサガサ。
寝ている間もかきむしってしまって、なかなか引かない。

だいぶ前からずっとゼロゼロ(気管の奥で痰が絡んでいるような呼吸音)が続く次男。掛かり付け医にもらったせきどめも効かず。

二人を連れて改めて病院へ。
診断は、
それぞれアトピーと喘息。
長男にはステロイド剤と飲み薬が、次男はネブライザを使った吸入を朝夕と、朝食・夕食時に飲み薬を、それぞれ処方された。
ステロイドはよく効くし、吸入をしたら次男は夜中に熟睡するようになった。

しかし、落ち込んだのは妻。
私も妻も、アトピーも喘息も持っていないので、哀れんでしまっている。風邪などと違ってすぐ治るものではない。
「わたしの病気といい、なんでこう病気に見舞われるんだろう…」
完全な健康体でなくなったのは、たしかに残念だ。子どもには病気になってほしくないのは当然。

ある日、「支援活動」に来ていた私の母。
夕食の時に、泣き止まない次男を自分の食事そっちのけであやしていた。
「ご飯冷めちゃうから俺がだっこするよ」と言っても「先に食べちゃいなさい」と言ってあやし続けていた。私と妻は、いつもどおり長男にご飯の食べ方について小言を言いながら、食事を続けた。

子供たちが寝静まった後、今日もありがとねと私が言うと、母がつぶやいた。

…あたしもあんたを育てている時、あれもやらせなきゃこれもできるようにさせなきゃと思ってた。
子供をちゃんと育てたいという気持ちと、親業を完璧にやらなきゃという気持ちの両方があった。
でも、今。
「おばあちゃん」になって思うのは、目指すところは「できるだけ永く、この子達と一緒にいたい」っていうことだけだから。だから、いいのよ。


思えば、妻が死んだ後のことを考えたこともあった。
妻の母の病気がわかったときから、私はサザエさんちのマスオさんと同じように妻の実家にいる。もう5年になる。
妻が死んだら、子供二人と義父との男4人の生活だな。同じ立場の人たちってどうしてるんだろう?
妻が死んだら、実家に帰っちゃうのかな?マスオさんなら福岡に帰っちゃうのか?
俺はどうする?実家に帰って…でも仕事はどうする?両親に横浜に移ってもらうのか?
しかし、地元に墓もあるし…墓といえば両親が亡くなったら、一人っ子の俺は実家をどうしたらいいんだ?

寝付いた長男をそっと抱きながら、「ママ死んじゃったらどうするのかな、この子たち」と妻がつぶやいていた。
子どもたちもそれぞれ何か患い、死の可能性のある病を負った妻がそれを憂う。


少しでも永くこの家族でいたいと思うことしか、今はできない。

ひとつひとつ与えられた時間を少しでも永く味わえるように、未来のことを楽しみしていくしかできない。


もうすぐ七夕。
長男の幼稚園では、七夕音楽会という行事が行われる。
まずはこれを楽しみにしたい。
平成23年5月31日(火)

予定されている抗がん剤全8回の投与のうち、やっとこの日で半分を終える。

この日、長男の幼稚園では授業参観があり、私はそちらに参加すべく、初めて抗がん剤投与に同伴しなかった。

次回からは抗がん剤の種類がかわり、さらにホルモン治療として「ハーセプチン」が始まる。
新しい抗がん剤は今までより気持ち悪さは少ないが、ダルさは倍増するらしい。
ハーセプチンは女性ホルモンを抑えることで、それを糧にして増殖するタイプのガン細胞を飢餓状態にして滅する。それゆえ、更年期障害と同じ様な症状が出る。
投与される本人の不安や気の滅入り方は半端じゃないが、それでもとにかくやるしかない。

今回の抗がん剤投与後はわりと早く気持ち悪さがやってきたが、対処の仕方はこれまでの経験で覚えてきたようで、昼食の量を摂りすぎないことや動き方のコントロールなどをしていた。


さて、幼稚園ではピアニカの演奏や合唱を披露してくれ、あっという間の一時間だった。
年長ともなると合唱もしっかりしているし、なにより上手い。
子供向けの歌はやはり、子供たちが歌うから素晴らしい。
元気な声で「手のひらを太陽に」「世界中の子どもたちが」を歌い上げ、見ているこっちはウルウル。

※ちなみにこの写真は…
長男が通う幼稚園で、保護者の方のお仕事関係がきっかけで、「Smile for Japan ~音楽はこころのライフライン~」というプロジェクトに参加したときの写真。
パパイヤ鈴木を中心に、布川敏和や北陽の二人、水木一郎などが集まって、被災地に日本の歌のCDとラジカセを届けるというもの。
そのプロジェクトの撮影が5月25日にあった。YouTubeでも公開されるとのこと…。以上余談(^-^;

授業参観は平日ということもあり、やはりママばかり。パパだけの参加は我が家だけ。

幼稚園行事に来るのはパパばかりでごめんねと言おうと思っていたが、幼稚園から帰ってくるなり「今日もパパが来てくれてうれしかったー」と言ってくれて、ホッ…。

参観を終えて幼稚園から先に帰る際にも、
「先に帰るね」
「うん、気を付けてね」
と声をかけてくれる。

いつも何かしら辛いときは、息子が何気なく持ち前の優しさで、私たちの心のささくれを和らげてくれる。

次男も最高の笑顔を振り撒いて、こちらの顔にも笑みをうつしてくれる。








こどもたちがいなかったら、どうなっていただろう。

感謝。




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平成23年5月10日(火)

抗がん剤第3弾の日。

真っ赤な液体が、投与する抗がん剤の一つだ。



気象予報の通り蒸し暑い日だった。

朝7時30分に家を出た。
朝イチで採血が出来れば、化学療法を行う患者は優先的に、当日血液検査の結果を伝えてもらえるためだ。

保土ヶ谷バイパスが混んだため、阪東橋の出口に着いたときには8時になろうとしていた。

病院は、節電のため空調温度がやや高め。マスクをしていると苦しくなる感じだった。

採血から診察(医師と現状の確認と今後の治療の相談をする)までの時間がとにかく長い…。

じっとしていられない私はトイレにいったり売店を見たりとうろうろしていた。
妻は暑いねといいながらも待合室のソファーにかけていた。

しばらく病院内を散策してきた私が待合室に戻ると、妻は待ち時間に読むために持ってきた文庫本はほぼ開かずに、どこかを見つめていた。マスクをしていたが、微笑んでいるように見えた。

ソファーに戻ると、妻は「あのね」と小さな声で話しかけてきた。

患者の中に診察前に院内で血圧を計るように指示を受ける人もいる。
妻はそこにいた初老の夫婦を見つめていた。
奥さんが患者で、旦那さんは付き添いだとのこと(確かによく見ると、奥さんの髪は妻同様にウィッグのようだった)。

「さっきね、あのご主人が奥さんの血圧を書類に記入しようとして、脈拍数のところに書いちゃったの。そしたらね…」

ご主人『あれ?間違えたゃったか、俺!』
奥さん『なにやってんのよ、あははははは!』

「って。病院来てるのに思い切り笑ってて、お母さんみたい。」


妻の母は、3年前に6ヶ月間の闘病を経て、白血病によって天に召された。
底抜けに明るくって、ずぼらなのだけれど失敗しても常に前向きだった。生前にいろんな面白エピソードも残してくれた。
当時、私は結婚して長男が生まれ、もう少しで2年が経とうとしていた。
私と妻が何かちょっとしたケンカをして、妻がお母さんに愚痴をこぼすと、
「何言ってんのよー、○○(私)くんだって仕事たいへんなんだからー!」とか
「○○くんだから、大丈夫よ!」
と娘ではなく100%私の味方をしてくれていた。

亡き母が3年前に投与していたものと同じ抗がん剤を使う妻。

妻は言う。
「いつもさ、お母さんって何かにつけて、何の根拠もなく『大丈夫よ!』って言っててさ。お母さんに一体何がわかるのよ!って心の中で思っていたけど…根拠なんかどうでもいいから、今、お母さんに『大丈夫よ』って言われたい。

病院から帰ってしばらくして、幼稚園から長男が帰ってきた。
その日のことを話す長男。
抗がん剤投与後、普通でいられる数時間を惜しむように、息子の話にうんうんと耳を傾けていた。

どこかで「大丈夫よ!」と言ってあげたいのだろう。

子にとっては、今を乗り切る、未来を乗り切る、絶対の支えになるに違いない。



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