第十章「日本と発展する中国」を要約しての感想 | ひとときのときのひと

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まずは英語から。

 日本研究の第一人者であるケネス・B・パイル氏。同氏の未邦訳「Japan Rising」の第十章「日本と発展する中国」の要約をしました。

 

(未読の方は↓ご一読願います)

 

1.「おひとよし」日本に対する疑問

 本章では、米中によるいわゆる頭越し外交で先を越された日本が日中国交回復した1971年から2000年ごろまでの約30年の動きが、分析されています。

 

 この数十年間を貫く一つの軸となっているのが、日本の対中ODA(政府開発援助)です。

 

 中国が国交回復後、日本の戦後賠償を放棄した、その一方でこのODAが実質的な賠償金の役割を果たしていきます。

 

 しかし、このパイル氏の分析を待つまでもなく、このODAの存在は中国国民には、知らされていません。日本は、何もしていないことになっています。

 

 それどころか、2000年ごろ、中国が既に大国の片りんを見せ始めた時期にやっと「ODA卒業」の言葉が日本側から出たにもかかわらず、実際には2022年3月まで続いていました。20年もです。

詳しくは↓をご一読ください。

 

 しかも、援助をしている側である日本が援助されている側からのさんざんな批判や非難を受けても、こちらは敗戦国だからといって、ほとんど反論したり無視したりしません。

 

 それは、「和」を尊ぶ国ならではの美点なのである。他のどの国も、なしえないこと。

 

 などと言えば聞こえはいいかもしれませんが、単なる「おひとよし」なのではないでしょうか。

 

 島国という限られた、非常に狭い空間の中では「和」をもって他者との関係を調整するしかないかもしれません。

 

 皆がそこそこ「おひとよし」であることにより、めぐりめぐって、そこそこ自分も報われる社会ということになるのでしょう。

 

 しかし、この、国際社会で、今まさに食うか食われるか、たとえば、今、ウクライナで発生している、あの現実を目の当たりにすれば、このODA政策を延々と続けてきた日本、その能天気といってもいいような振舞い方に大きな疑問符を付けざるを得ません。

 

2.パイル氏の現代中国観への疑問

 「日本は、鎖国により長く国際社会の外にあったのに、明治維新以後は、先の大戦に至るころを除けば、折々に柔軟に外交方針を変え、戦略的に対応してきた国だ」

 

 そうパイル氏は、この著作の冒頭でも述べていました。しかし、どうも対中政策に関しては、彼の分析が揺らいでいるように感じます。

 

 ここに紹介している2006年初版の未邦訳「Japan Rising」の内容は、その後、2020年出版された「アメリカの世紀と日本 黒船から安倍政権まで」(原題:Japan in the American Century))でも、重ねて記載されています。

 

 黒船来航の時代から2000年ごろまでが、多少の順序・配列・記載が異なるとはいえ、相当部分、今風に言えばコピペされているのです。

 

 ところが、なぜか中国に関しては、ごっそりと言っていいほど抜け落ちた形になっています。

 

 ニクソン・キッシンジャーの頭越し外交や、米中が共有する日本に対する冷酷な見方は記載されています。しかし、ODAや日中間の摩擦についての記載は2020年出版の著作では殆ど消えてしまっています。

 

 安倍政権の動向に関する記載がその削除のかわりになっています。

 

 これは、何を意味するのでしょうか。

 

 もちろん、パイル氏は日本政治を分析しているわけであって歴史家ではありません。

 

 とはいえ、1990年代から2010年代にかけての日中関係、特に中国の振る舞い方についての記載が省かれていることには、疑問を感じてしまいます。