父の小説のレビューを書く(14)続続・恋愛か変愛か | ひとときのときのひと

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まずは英語から。

 

続続・恋愛か変愛か

 何度も読み継がれる物語と一度きりで読み捨てられる物語。その二つの違いは、受け手に「読む」ことのよろこびを与え続けられる力を持っているかどうかにある。

 

 たとえば、グルメ番組の食レポ。一流料亭や有名料亭などで、いかにその料理が美味であることを伝えようとするあのコンテンツを例にとろう。

 

 最近は、演出がいい加減になってしまったが、ほとんどの場合、最近はやりの言葉で言えば、「ベタで」おいしいと言う言葉は出てこない。

 

 そのかわり、セリフは、「思ったより、すっぱくないですね」とか「口の中で全く噛まなくても、とろけるような味わいですね」とかいった言葉になる。

 

 なぜか。

 

 「おいしい」を「おいしい」と発しても、受け手に伝わらないからだ。

 

 他の言葉を使って受け手に「おいしい」のだろうなと感じさせること。受け手においしいという感情喚起させる仕掛けがあること。

 

 そんな要領や仕掛けが不可欠だ。

 

 しかし、父説は、これを意識せずに、ほとんど知らずに書いてしまった。

 

 先の戦争末期、高校生である主人公(父の分身)は、憧れの女性(当時で言うところの女中)が自分の従兄に妊娠させられたことに伴い、その女性がその後、不遇の坂を転げ落ちようとするところをなんとか助けようとする。

 

 その援助の執着は、変な愛と言うほかない。というのは、主人公には、女中とは対照的といっていいような、富裕な家出身の女性をカノにしているのだから。

 

 しかし、父は、「義憤」から発した無垢な一若者の必至な救済を描こうとしたらしい。残念ながら、描き方がベタなのだ。

 

 ところが。

 

 終幕に向かって、主人公はもちろん、読者の予想もしない出来事が主人公を襲う。

 

 そのシーン前後については、ベタとか要領といった技術論を超越している。プロの作家でも、発揮できない怒涛と言ってもいいような訴求力に満ちている。

 

 だから、父の死後既に10年を過ぎようとしているのに、年に何度も自分は読まされるのだ。この父の小説を。