空襲下の空虚な恋
父の小説における、主人公(父の分身)ともう一人のヒロインとは、軍需工場の一隅でふとしたはずみで知り合い、ほとんど何の障壁にも遭遇せず、あっさりと相思相愛になってしまう。
小説の前半の山場は、この二人が、当時としては開催が難しくなってきたクラシックの演奏会に行くシーンだが、その直前に二人が昼間、B29の空襲に遭うシーンが描かれている。
といっても、空襲は彼らの勤め先である軍需工場を素通りしてしまって、直接的な、物理的な被害は受けなかった。
また、ヒロインは工場内の防空壕の中へ、主人公は、工場近くの丘へといった具合に別々の場所に退避している。
もともとその日の夕刻には待ち合わせ場所と時間を示し合わせて帰路を共にすることになっていて、その「ランデブー」つまり逢瀬には予定通り成功する。
しかし、二人は空襲の恐怖について、ほとんど共有することなく、駅での別れも極めてあっさりと済ませてしまうのだ。死の淵を覗き見た後の安ど感を確かめ合うようなやりとりも殆どなく。
父がどのような効果を意識してこのシーンを設けたのかは、わからない。もしかすると、作品設計上の意図は全くといっていいほど存在しなかったのかもしれない。
しかし、実際にはこの場面が描かれたことによって、「二人の恋が決して当人たちが望むようには成就せず、ここから徐々に破局への道をたどる」という、読者へのほのめかしが伝わる仕掛けとなっている。
アマチュア作家らしい、たとえるなら「目をつぶってバットを振ったら、ボールの当たり所が良くて辛くもヒットになった!」といった風な仕掛けに。