量子物理学


全く興味も接する機会さえ


まるで知る由もないものだった


なぜその本を読んだのか


ただ弁当箱の様に分厚いその本


京極夏彦さんの


姑獲鳥の夏


なんだか気味の悪そうな


その本の始まり


とにかくその分厚さに


負けない読み進めるほどに


面白く興味深い内容


かなり前に読んだ本で


内容は漠としている


ただそのなかで印象が


あまりに強烈だったのが


シュレディンガーの猫


むろんシュレディンガー方程式なんて

まるでわからない


 だけど

箱のなかの猫は

箱を開けるまでは

生と死が合わさった状態で

それは蓋を開けるまで

どちらか決定していない


そんな事があるはずない

なんと意味がわからない

愚にもつかない話しだ

と思わせて


それが量子物理学という

科学の最先端の回答だと言う


それを砂糖菓子を食べながら

嘘かまことか喋っている


ところでお釈迦様の

遺骨仏舎利が

世界中に分けて

寺社にあるが

その全てを合わせると

象よりも大きくなる

などの話しが


とにかく興味深く面白く

ほら話しで無く


この分厚い本を読み終えてしまった。

今ではとても読めない

でもその本を処分は出来ない


わたしはその量子について

ときどき

ブログに書いています。

備忘録ですね。


わたしが今興味があるのは

「ひとが死ぬ」

そのあとはどうなるのか?

永遠に亡くなって

全くの「無」なのか?


物は壊しても粉々にしたも

全くの「無」にはならない

しかし人は生命を無くしたら


そこからは全くの無になる

この現実との

あまりに断絶した

「死」

というものが


無慈悲に本当に

生命・人間に与えられた

未来だということが


この世界の物質の基である

素粒子

その波動と粒子を併せ持った

不思議な素性の意味が


生と死との

断絶があるのか?どうなのか?

を解き明かして

くれそうな気がしています。



処分しづらい本

 

 

 

 

 

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