むねのうちに

生命というかたち

そのかたちが

なくならない

という

そのじぶんという個が


永遠であってほしい


ずっと生きたい

のか


その「永遠」のときを

考えたとき

の答えは「耐えられない」

だった



その自分でずっと

永遠にずっと

生きつづけたい

という問いの

その永遠は


それは永遠に生きていたい

ではなくて


あの日のあの時

つまりあの子や

あの人や

自分にも


もっとやってあげられたり

もつとやれたことだったり

もっと楽しくだったり


そんな特別でもない

事がらをもっと

やれてたら


という今の

今になって

のそんな

想いの

立ち上がりがあるからなんだ。


あそこへあの時のあの状況で

そこでもっとやってあげられたこと

それが

現在のじぶんに


だだをこね

波のように

わきたってくる


からなんだ


それは


人生をやり直したい

わけでもなく

長生きがしたいわけ

でもなく


やり残し

ただそれだけ


そう

やっとそれに気づいた

だけ


あの時なら

できたのに

という

後悔


「あんなに時間があったのに」


それが

正体









仏陀の教えから

自我と無我を捉える


ヒントは


ある脳科学者の女性が

体験した話から

見えてきました


この女性脳科学者が

体験したのは命にも関わる

脳内の重大なトラブル

脳卒中になった体験です


さいわい彼女は一命を取り留め

さらに脳科学者であることが

脳の機能に関するまたと無い

貴重な体験を得る

という結果になりました。



脳にある左脳と右脳の役割


脳は左脳と右脳とに分かれていて

その左右の脳を繋ぐのは

脳梁という神経連絡路です


脳はこの左と右とになぜ

分かれているのだろうか?

脳科学者でもないわたしも

何故だろうと思ってしまう


それをこの脳科学者の女性は

実体験でそれをリアルに

科学者として体験したのです


それは

左半球の脳と右半球の脳とは

完全に分かれているのは

分かっていた事ですが


それを物体の姿だけではなく

役割の違いとして彼女はそれを

体験したのです


左右の脳は脳梁により

情報や判断、考えを共有

していて


左と右との脳は

左右で「わたし」という

一人の人物を形成してる


そして彼女が体験したのは

左右の脳は、それが正反対と

も言える別人格として

繋がっていた


左脳は、まさに計算高く

慎重であり用心深く

危険を回避する脳


右脳は、反対におおらかで

分け隔て無く優しく

全てを受け入れてしまう

無防備ともいえる様な脳


その互いに相反する性質を担った脳がわたしというひとりの人間のなかに存在している、それを彼女は体験した


それも脳科学者として冷静に

その相反する脳を意識しながら

体験し記憶に残した


脳卒中になった彼女は、その体験を鮮明に記憶に残せたのは逆に幸運であったと述べている


脳科学の専門家である彼女が右脳と左脳の役割を知る詳細な分析の基になる記憶を残せたのは確かです。


その彼女の記憶を時系列に

すれば以下の様になる


①左脳が機能停止するま

での時間が彼女に左脳

の役割を教えてくれた


②「右脳」だけが機能した時、宇宙に広がり包まれたような至福の体験を脳科学者として観察できた


③その経験を科学的に分析して、専門である脳科学により多くの人々に伝えることができた


この人類にとっての素晴らしい脳が持つ機能の発見は、命をかけた貴重な彼女の体験です。



「左脳」は「わたし」

という個を認識する脳であり


他人と自分とを分ける脳

つまり数学的で自分と

世界(宇宙)の境界を


認識する脳であり

過去未来を認識する


そして脳科学者の彼女はその

左脳が機能停止し


右脳だけが機能する状態

なった時を


じぶんが

「宇宙と一体になった

と言う表現で語っている


つまり左脳がもつ境界を

認識する機能が無くなり

個人が無くなった時


「自分が宇宙になった」


それは宇宙の様に広大な

存在に自分がなった


それは素晴らしく幸福な

体験であったと語っている


この経験はこの脳科学者だけにある特別なものではないはずです


人類としてわたし達は

99.9%同じDNAを持ち


同じ人類であるわたし達

は限り無く同じ機能を持

っているのですから


この話しにわたしは

仏陀の教えにある

「自我」と「無我」を

想いました


脳自体はひとりの人格

ひとり・個人なのだけれど

その脳は自我である

「左脳」

無我である

「右脳」

があり共存している


それは「我」だけでも

「無我」だけでも無く

両方でひとりの人間


左右の脳は

人格・自我の左脳と

穏やかで平安な個人が

無い無我の右脳


つまり左脳は「自我」

右脳は「無我」と

捉えられる


自我と無我とがある事で

一人の人間が生命として

存在することができ


人類が生存するためには

この左右の脳が必要だっ

たということ


生命を維持する為に必須のものだったのだろうと思う


それを仏陀は瞑想により

左脳の機能を停止させる

ことで


「宇宙と一体となった」


のだと思う


仏陀がそこから得た

「悟り」



それをこの脳科学者の女性は図らずも体験したのです。









私の知人男性からの話しです。

その方は、68歳になる男性

その方はどこでお会いしてもニコリと会釈され、一言二言交わすぐらいの関係です。


そんな方から、以外にも世間話をされ、一緒に話していた時、ぽつりと何気無く話された事です。


その方の奥さんも、わたしはよく知る方なんですが、あまり派手な方では無く、どちらかと言えば控えめで心配りがある方です。


ところが、その男性から意外な話しを聞く事になりました。男性は昨年に仕事を辞め、その方の奥様は63歳で資格を持ち正社員で働いておられます。


男性は年金生活者で夫婦で暮らし、現在は家事をされ、食事の準備、買い物、洗濯、部屋の掃除、トイレ、浴室掃除などを日常的にされているそうです。


ところが奥様からは連日「ご◯🔲✖︎#し、私がお◯⬛︎❌ているんだ」とか仕事にでられる前には必ず「あ◯△は🔷◯❌なくて、⬜︎✖️◯だな、%Wわたしも◯⬛︎※が欲しい」とか言われ続けているそうです。


どうしてそんな家庭の内情を、そんなに親しく無い私に話されるのかな?と疑問に思っていたんですが


聞いてみると、以前わたしがカウンセリングに関する投稿を新聞にしていたのを何処かで見られ、知っておられたからだそうです。


それにしてもなぜ?そんな家庭の内輪話しを私にしたのかなと思っていると

今朝はいつもにも増してがっかりとして心が痛かったからだそうです。


それは、奥様の母親が来ていて、そのおばあさんに「老いぼれじいさんの方が◯✖️△※※◯✖︎だろう」と話し笑っているのを聞いたからだそうです。


わたしもカウンセラーでは無いので、それを聞いてなんとお応えしたら良いのか困ってしまい黙って聞いていると


一言「この状況でも、私は我慢する他ないのでしょうか」と寂しそうに言って去って行かれました。


そこで、呼び止めても私には何も言えなかったと思います。しかしそれぞれの家庭にはいろんな状況があるんだと改めて


ひとは関係性のなかで生きているんだ。という事を思いました。







夢で私に聞こえていた
「ぷらいむえいじど42さい」
ほぼ眠りについて
夢などみない自分が

あまりにリアルで実感のある
その夢を見たのは
いったいなんだったのか

それは現在もまだ解らない

判るとすれば、それは、今やっている事の「ひとつ」「ひとつ」・・・のもの達が全て繋がった「関係性」
その先にある社会が、
それがあの夢の光景に関係しているのだろう。かなと思う

ということだけ

老化による自己認識機能不全
社会が、溢れるその人たちを
自ら支えきれない人たちを
どう支え合えるのだろうか
と言う問いに

ここで昔話を思い出した。
「ひとり」は「ばんにん」のため
「ばんにん」は「ひとり」のため
あなたの隣人を助けなさい
つまりそれは
6次の隔たり

ただ地平線の上に広がる
青空のように
世界は繋がっている

認知機能補助
そんな事ができるシステム
誰も達者な人が求めていない
かもしれない

それでもいい
最初はたったひとりの
となりに佇んでいるひと
そこからでいい

現実に
たったひとりでもいい
そこから

なぐさめあうだけでもいい
力がたりなくてもいい
共感だけでも

たったひとりだけが
となりのひとりだとしても
誰にもひょうかされなくても

ぐにもつかない
そんなまいにちが
いまの自分だとしても

ひたすらに
あゆんでいるだけの
この毎日だとしても



すべては
関係性のなかにある
全く関係ないものやひと
なんてない

必ず
どこかで
つながっている



 ― 意識はどこにある ―



わたしが わたしであると

思うこの意識

それはいったい どこに在るのか


脳の中だと 人は言う

けれどこの世界は

量子と素粒子でできている


波のように震える

エネルギーの海の上

形を持つものなど 何ひとつない


わたしたちは その波が

かたちを変えた ひとつの現れ


人間という物質も

もとは波動の 光の記憶


その光が 自らを観ている

存在が 存在を映している


――だから問いは戻る

「意識は どこにあるのか」


鏡の前で言う

「ここにある」と

けれど それは誰の声だろう


脳が決めた自分なのか

それとも 波動が

形をまとい 声になったものか


鏡の中のわたしも

同じように 瞬きをしている

右と左が反転した

もうひとつのわたし


光はわたしを通り

反射し また戻る

その往復のなかで

世界は わたしを映す


もし 意識が脳ではなく

光の側にあるのなら

鏡の中のわたしも

同じ意識を持っているのかもしれない


素粒子が波なら

鏡の像もまた 波


そうだ

どちらにも 相違はない

意識は どちらにも在る


もしかしたら

量子もつれのように

同じ意識が 二つに共鳴している


――意識は脳ではなく

波動の光のなかにある


この世界が

そのまま意識の海ならば

わたしも その波のひとつ


光のなかで 目を開き

また 光のなかへと

還っていく





大切な“わたし”を音声と映像で残す。そして過ぎ去った過去も記述や写真によってデータ移行します。


prime aid memoryにそのデータ時系列でAIが保管し、そのデータを人が必要とする時、そっと目前に見せてくれる。


これは、PAMが完成した時、誰でも可能になる未来です。自分でその出来事を日時や何処でとか、誰となどを書いて保存します。


人生のストーリー、価値観、大切にしてきた考え方、好き嫌い、安心や不安のパターン、家族への想い


PAMは、いつまでも未来で本人と家族が普通に会話して談笑できる思い出話しを提示してくれます。





仏の教えのなかにある

この世界の実相を

現したものが

色即是空


色(しき)物質


即是(そくぜ)はすなわち、これ


空(くう)は何も無い


つまり色即是空は

意訳すれば


わたしたちが

めにする

やまや

かわや

太陽や


あなた

わたし


触ったり

する

すべての物が


あなたが

目をつむり

そっと

想いえがいたものと

おなじだよ

と言うことになる


この世界

宇宙という

場と物質が


始まりから

現在


今が在るだけ

だけ

宇宙


物質がある

今の世界と


目をとじて

何も存在しない

とが


波のように

ひろがって

だけ


時間も

空間も

物質も


存在そのものが

はじめのはじめから

無い


そこに

あるのは

ひとの


意識

であり

であり


思考する

ひとだけが

在る






PAMの存在する社会構想


ひとは年齢を重ね、やがて高齢者と言われる年代へと移行します。社会との繋がりが薄くなり、楽しく生きいきとした生活は、やがて思い出になって行きます。


その思い出は、やがて認知機能の衰えにより、虚ろな輪郭だけになってゆきます。


PAMはその輪郭の中へ「思い出」「楽しいひと時」「つどい」様々な記憶を置いてくれます。


PAMが虚ろな認知の取り出しになった時、それが『自分』を失わせない社会、個人の尊厳と出来る限り自律的な生活を続けることをサポートします。


思い出・人格・価値観・生活の一貫性を維持させ、近親者を認知できることをサポートします。

記憶・経験・自己・尊厳を守るという新しい価値を社会インフラの構造のなかに、優しく寄り添う形で備えるものです。


PAMのコア機能


①「人生データのバックアップ」


誰か他人が創作したり、AIからは作れる事がない「本人の体験、経験・価値観・判断基準など」を書き添えてゆきます。


②「随時更新可能な記憶データベース」の作成


2〜3年ごとのアップデートを目処にして、自身で変化を確認し更新する。本人主体の日記のようなDBです。


③「認知機能が低下した時の日常・見当識をサポート」できるもの


人生のバックアップデータが、現在既に存在するスマホや家のデバイス、様々なウェアラブルデバイスへAIがその人だけのPAM内人生メモリーDBに繋げ

  • 今日の予定
  • 今いる場所
  • 相手が誰か
  • 安心できる言葉は
  • 過去の記憶の補完


などを優しく提示します。


【試作中のPAMプロトタイプ】

  • 40〜60代で親の介護が近い方
  • 65歳以上のご本人
  • 子どもに将来的に自身の介助で負担をかけたくない高齢の親御様
  • 健康な一人暮らしの高齢者だが、AIが家族のように日常に寄り添ってほしい、日常サポートをしてほしい方
  • 話し相手として(昔話しも人と話すように)AIが話し相手となることも可能です。


ご自身の記憶を24時間守り整理するAIだから出来る事は今後様々な型でアップデートしてゆきます。それは、例えば行政への通知や返信、必要な申請書類のデジタル化にも対応出来てゆくでしょう。


PAM・Personal Assistance Model

CMS

コレクティブマインドスタジオ


お読みいただきありがとうございました。







「今日が記念日になりました。」
って何の?ですよね。
それは、「PAMのプロトタイプ」が完成した記念すべき日です。

たぶん、「何を今頃」と
以前の記事を読まれている方々は、そう思われることだと思います。

だから、これは「わたしだけの記念日」です。もしも気にしていただいていた方があったとしたら

やっと「PAMプロジェクト」の最初が踏み出せた、というご報告にさせていただきます。ありがとうございました。


これは、ちょうど一緒に作成した「語順スイッチ英語」のキャラクターですが、PAMプロトタイプ完成のお祝いキャラクターとして載せさせていただきました。


Collective Mind Studio ユウ



もっと若くして
「気づけていたら」
こんなにも長く
遠回りせずに

ひとから感謝され
充実した日々を
幸せにすごせていた

のに

あの辛さと我慢
悔しさと失望の日々
それでも

生活の為に
そんな気持ちを胸に
押さえ込んで働いていた

あるときは
所属する部所の責任者に
身に覚えない理不尽な理由で
罵倒され、言葉に詰まって
叱られ、軽蔑され

その気持ちを押しころして
下を向き、ゆらゆら
とぼとぼ帰る道

その先に広がる
赤く染まった雲と空
ゆっくりと沈む夕日

自然
涙が溢れ出て
「わたしはこれからも
ずっとこんな生活が続いて
ゆくんだなぁ、、、」

それがわたしの
この世界の必然なんだと
変えようが無いもの
そんなふうに諦めていた
あの日、あの日々

今にして想えば
あれがあったから今の私が在る
そんなふうに思える
自分

過去がどうであれ
わたしはこの
今にしか無い

遠回りであったと
それも含めてわたしは
今なんだ

きっと若くして
苦労も辛く悲しい思いも
せずに成功できてたら

こんな気づきは貰えなかった

あの苦しかった日々や
何をしても上手くゆかない
嘆き悲しんだ事の

そのひとつひとつが

わたしの心のなかに
世界に生まれ
それと共に預けられた

命題

それをつくり世の中に
貢献できる命題を
思い出させてくれたんだ

色んな挫折や悔しさや
心の痛みを身に纏う事で
大切なものを
思い出させてくれた

そして今は
心のなかに空いていた
『約束の場所』が
本当の姿にかわってゆく

『何を求めて
この世界にきたのか
ただ無為に生きるため
では無いはずだ』

今なら
事象と実相
その違いが
観える

前を向いて行こう
だいじょうぶ
かならず

ほんとうの願いは
必ず叶うもの
なんだから