音楽編1822 C Dir en grey #1839 | 大日本文化革命連合亜細亜共同戦線の石原マリアンヌのブログ

詩…6

メロディー…4

サウンド…4

構成…4

総合…18


ハードコア・パンクとラウド・ロックを併せ持ったような曲調が耳に残りました。そして「実際 愛したい目の前の世界を~」という叫びにも似た歌声は心に響きました。
私もXX年生きていたら様々な経験をしました。甘い経験をしたり、辛(から)い経験をしたり、苦い経験をしました。すると「目の前の世界」を愛することは難しいのが正直な気持ちです。このような境地に陥った私には「dead freedom oh dead freedom
」と歌う京さんの歌声が優しく響きました。
本曲を知ったのはおよそ10年前でした。当時の私は苦いことが重なり最悪な状況に陥っていました。当時も音楽を聴きながら通勤していましたが、嗜む余裕はありませんでした。改めて詩を読んでいたら印象的なものがありましたので、引用させて戴きます。
「そうさ肉の裂け目通う豚に問いかけてみな
 満たされた数だけ金をバラ撒き心を失う」
現在、所属している会社の社長を示しているようでした。社長は「豚」のように肥えています。「金」のことしか考えていない節があります。新たな「金」(利益)を手に入れるために「金」をバラ撒いているような噂を聞きます。もはや社長失格、人間失格なのかもしれません。その姿は人間の「心」を失った醜い豚でしかないのでしょう。
「俺を見つめている貴方様はおっしゃるばかり」
私の職場は古い体質が罷り通っています。上司の言うことには絶対に逆らえない風潮があります。そして、上司様たちは「おっしゃるばかり」で体を動かさないことが多いのです。あくまでも私という感覚のなかに走った個人的な考えではありますが、仕事がきっちりと出来る人が「おっしゃるばかり」の態度をとっていても構わないのです。しかし、仕事が大して出来ないのに「おっしゃるばかり」の態度をとる人間がどうしても許せないのです。其が私の会社の直属の上司でした。彼は偶然にも「豚」のように醜い体型をしております()
「叫ぶことを忘れたのならばここで叫びここで生きろ」
「何度死んでも叫び向かうさ声を壊し 心で叫べばいい」
「叫ぶこと」はとても大切な行為です。自身の感情を吐露することが出来て、気持ちを整理することが出来るからです。しかし、昨今は「叫ぶ」人を厄介者扱いする風潮があります。ストレスは蓄積され、抑圧が厳しくなる現代社会。身体は死んだも同然となってしまうのではないでしょうか。
このような状況下において、京さんは「叫ぶこと」の大切さを歌っております。また「生きろ」とも歌っております。その手段としては「心で叫べばいい」と示してもくれています。
混迷とした現代社会において、明確な解を示す人は誰もいません。偉そうな大学教授も政治家センセイも自分だけの慰めにしかならない論理ばかりを押し付けてきます。此らと比較すると、京さんの示した解は明快で優しさも帯びています。政治でも学問でも人を救うことは出来なくとも音楽ならば人を救うことが出来るかもしれないと感じた一曲でした。