
関空の本屋でブラジルに帰る直前に面白そう! と思って買った本。
本の帯にリリー・フランキーが出る映画に成るということで購入。
リリー・フランキーって演技に味があるので好きです。
買った時はノンフィクションであることを知らなかった。映画になるのだからフィクションだとばっかり思ってました。 読み始めて直ぐあれ!? っと思って読み続けると実際にあった事件であることがわかり、 うーんだったら面白く無いかも・・・・
と、思うまもなくどんどん引きつけられていく、ドキュメンタリーなのにまるで、すごく面白い小説のような展開なのである。
しかし、受けを狙ったお昼のお騒がせ番組とは完全に違う。 このドキュメンタリーを書いている人の真摯で誠実な事件に対するあり方が全体に一貫していて、読み手に陳腐な感想を微塵も与えることなく、まるで当事者になったような緊張感をドバーッと浴びせられながら、どんどん読まされていった。
週刊誌の記者って凄い! この人が凄いのか?
人が死ぬ(殺される)描写にリアリティーがあった。
そこに共通しているのはやる側もやられる側も、それを傍観しているものに共通する、死にゆくことにたいするリアリティの欠如である。
簀巻きにされて、橋桁から落とされる直前まで本当に殺されると思っていなかったヤクザ、 酒を無理やり飲まされて殺される被害者(本気で逃げようと思えば逃げることができる)。それを知りながら遠巻きに死ぬのを待つ家族。
など、その金を目当てに死を利用するのだが、まるでその時に実感を感じていない描写が凄まじく怖かった。
ブラジルに来て8ヶ月ほど立った時に、サンパウロのお寺に強盗が入った。
若い男3人組、それぞれ手に拳銃を持っていた。
私は台所で酒を飲んでいた。 泥棒が入ってきて私を見るなり、姿を消した。
その時私は直ぐに逃げるかどうかすればいいのに、そのまま酒を飲んでいたのだ。・・・
実際は30秒足らずだったか?
すると、強盗はピストルで同僚を人質にとり、私にもついてくるように命令。
隣の部屋で体を縛られ、金はないかと脅された。 その時頭や体を殴られているのだが、その時は全然痛くなくむしろ、「この強盗は優しい、本気で殴ってないからきっと命をとったりはしないだろう」と感じていたのである。 恐怖感も全くなかった。
しかし、実際は思いっきり殴られていたのである。 翌日開放されてしばらくたったら、殴られた場所はとても痛く、また当時感じてなかった恐怖や怒りは3ヶ月ほど定期的に自分をさいなんだ。 夜中などちょっとした音に怯えるのである。
実際に死ぬかもしれない目にあった時、アドレナリン?がでて、鈍感になるのかもしれない。 案外人間は死を覚悟すること無く死んでいくものが多いのかもしれない。
少なくとも自分自身はあの時何かの拍子に撃たれても「このくらいなら大丈夫」とか思いながら最後の最後まで、優しい強盗だ、などと呑気に思いながら死んでいったかもしれない。
つまり、こころのどこかで自分は大丈夫、自分だけはまだ死なないと崖っぷちまで来て、そこから落ち始めても思い続ける人は案外多いのかもしれない。
「死」を実感として持てない人間の性を感じたのである。
なにか、この今の人生のどこか向こうに死があると思っているうちは
死んでも死にきれんのではないかと思う。 無念ということとかでなく、
気がつかない、死んでいるのに死んでると自覚できない。
「お前は既に死んでいる」とか言われても、気がつかないで他の人の心配している。
映画シックスセンス状態。
逆に「うわ! 俺もう死んでるわ!」もうここ腐ってるし・・・
とかいう驚きというか、ええ!僕が死んでいたの? みたいな目がさめるような死の発見!?というビックリ仰天の事実を知った時「生」が始まるのか?
映画マトリックスのように。
生きることの果てに死があるのなら、死は永遠にやってこないのでしょう。
「生即死 死即生」
死によって生が奪われるのではなく、
死によって人生が全うされるの世界。
この「凶悪」の題名は人の人生を食い物にする輩の事を指していっている。「死」を傍観し、パッケージして商品にしつつ、日常の中でまだ自分は大丈夫、まだ自分は関係ないと生きている直ぐそばにいつ発動してもいいように寄り添っている狂気「凶悪」をえぐりだしたドキュメンタリーだと思う。
こんな風に心を抉ってくるようなドキュメンタリーがあるとは!
しかし、これはドキュメンタリー 本当の出来事なのだ。
なくなった方、被害に会った方にお悔やみ申し上げます。
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