2006/8/6 午後4時
広島県中区の本川左岸の「ポップラ通り
」で女子高生が一人芝居を演じた。
「夕凪の街」 という題の芝居。
兄に「うちの子供を連れて行ってやってくれ」
と言われて。
兄は中国新聞の記事を見せてくれた。
「島根県の女子高生」という言葉が目に入った。
「女子高生「夕凪の街」独演」という大見出しに次いで「平和の尊さ伝えたい」とある。
なぜ、女子高生が原爆を題材とした一人芝居を?しかも島根県の子とは。
被災者の高齢化によって、原爆や戦争に反対する心が伝わりにくくなっている現代に、
1人の女子高生が立ち上がったのは何故だろう?
本川の岸辺は美しい。小高い岸辺のポップラの木の傍で芝居が始まった。
舞台にはイスが一つ用意されているだけ、午後とはいえ、太陽は川面をギラリと照らしている。
原爆が落ちて7時間45分後の8月6日午後4時。
兄の子供達と用意されたパイプイスに座って芝居を見た。テントは無い。
4年生になる長女が、「あつい、あつい」とだれにも言うでもなくつぶやくので、主催者が配ってくれた冷たく冷えたお絞りを
「頭にかぶせて、その上から帽子をかぶりんさい」と言う、中学生になる長男は帽子を持ってこなかったにもかかわらず、じっと座っていて愚痴を言わない。
となりのおばあちゃんが、自分自身にかぶるようにさしていた日傘を長女の陰になるように差し出してくれた。
僕がありがとうございます、でも結構ですからと何度いっても、おばあちゃんは「ええんよ」とさし続けてくれる。
芝居は心のこもった素晴らしい演技だった。登場人物が沢山でてくるし、回想シーンなどもあり、芝居を一通り見ただけでは、はっきりとストーリーが分からない部分もあったが、少女から発する芝居の迫力、ところどころのセリフが心を打った。
演じた後に涙を流しながら、「原作に描かれている場所で演じる事が出来てうれしい」と喜んでいる青木さんはまるで原作の主人公、皆実のようだった。
一緒に芝居を見に行った子供(兄の長女)が「原作が読みたいから買って」と私にせがんだのに、びっくりした。
子供には難しいかなと思っていたのに、芝居の迫力をしっかりとうけとめていたのだ。
こうやって、1人の女子高生から、子供へ何かが伝わった。8月6日の今日。
こうの史代 作 の『夕凪の街 桜の国』は今までにない形で原爆(戦争)を描いている漫画作品である。
- こうの 史代
- 夕凪の街桜の国
なぜ、原子爆弾が落ちて61年がたった今、17歳の女子高生が「夕凪の街」を演じる事が出来たのか、それが私には不思議でならなかった。
以下 中国新聞の抜粋である
原爆から十年後の広島。皆実という二十三歳の被爆女性が主人公だ。好きな人と心が通う。でも生き残った自分が幸せになっていいのかと悩む。「生きとってくれてありがとうな」。男性の言葉に、幸せへの一歩を踏みだそうとした。が、間もなく女性は死んでしまう。
青木さんは言う。「平和学習が嫌いだった。戦争の話は怖くて重い。もう過去の話じゃんって思っていた」。作品に出合ったのは昨年一月。ネット上で「話題作」とうたわれていた。きれいな表紙にひかれて買った。「ドバッと涙が出た」。何度も読み返した。
「うちはこの世におってもええんじゃと教えてください」。皆実の言葉が胸をついた。自ら中学時代のいじめが原因で体調を壊した。入院までした。生きるってしんどい、逃げ出してしまいたいと思っていた。
原爆で一瞬にして奪われた多くの命。その後も原爆症に苦しみ、死んでいった命。何だか申し訳なくなった。「戦争は過去のこと」と目を背けていた自分が—。
青木さんは演劇部。仲間に「一緒にやろうよ」と持ち掛けたが「戦争ものはいや」と断られ一人芝居になった。「ポップラ通りはこうのさんの作品の舞台。八月六日に演じてみないか」。広島の市民グループ「CAQ(セアック)」の誘いで実現した。
当日、青木さんは初めて平和記念式典に参列する。平和を祈る人たちの姿を目に焼き付け、力に変えたいと思っている。「私なりに平和の尊さを伝えたい。同じ世代のみんなに」。
開演は夕方4時から
とある。
平和学習が嫌いだった一人の女子高生が一つの漫画との出会いで平和の尊さを伝えたいと思うに至ったのには、平和学習からではなく、入院するほど心を痛めた、いじめの体験があった。
彼女にとって戦争は過去のものではなくて、現実の今にあったのだ。
原爆を題材にしたマンガから「生きとってくれてありがとうな」という言葉に出会った。
彼女にとって芝居を演じると事は、以前起にこった戦争の過ちを反省することでなく、またこれから始まるかもしれない戦争を防ぐためにではなく。
平和と言われている現在ここにある地獄を共感したところにあった。
原爆、戦争によって、いわれも無く人生を奪われ、辛苦をなめながらも、生きていく姿を描いた「夕凪の街」にいまの自分自身そのものを感じた。
演技中のセリフを抜粋する。(原作そのままです)
8月6日
水を下さい
助けて下さい
何人見殺しに
したかわからない
塀の下の級友に今助けを呼んでくると言ってそれきり戻れなくなった
死体を平気でまたいで歩くようになっていた
時々踏んづけて灼けた皮膚がむけて滑った
地面が熱かった靴底が溶けてへばりついた
腐ってないおばあさんを冷静に選んで
下駄を盗んで履く人間になっていた
誰もあの事を言わない
いまだにわけが わからないのだ
わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われていること
思われたのに生き延びているということ
そしていちばん怖いのは
あれ以来
本当にそう思われても仕方のない
人間に自分がなってしまったことに
自分で時々
気づいてしまう
ことだ
・・・・・・
教えて下さい
うちは
この世におっても
ええんじゃと
教えて下さい
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そして、現代に生きる若い人々が、今この平和と言われている現代で、死体を踏みつけずには、自分が生きていく事が出来ない罪悪を痛烈に感じて、
教えて下さい
うちは
この世におっても
ええんじゃと
教えて下さい
と叫んでいる。
それはいじめにあったり、いじめたり。防空壕に隠れるが如くに、引きこもりになる者の心の叫びのようにも聴こえる。
生きとって
くれて
ありがとうな
お芝居が終わった瞬間、風が強くなり、川面がチラチラと小波をたてた。
ざわざわと、川原の草がなびき、ポップラも枝を振るわせた。
少女の芝居に本川やポップラが応えたようだった。
長女のとなりのおばあちゃんは、最後まで日傘をさしつづけてくれていた。
原爆の時代を経験しているお歳だと想像される。
どんな気持ちで傘をさしつづけながら、お芝居を見ておいでだったのだろうか。
一人の少女の演技は私に教えてくれた。
原爆は今ここでまだ爆発し続けている。戦争はすでにもう始まっていると。