「娘がテレビの前に立って、邪魔をする」

 

そんな出来事がありました。

私の友人の話です。

 

「どいて」

「テレビが見えない」

「そこに立たれると、悲しいな」

 

息子さんとふたりでDVDを見ているのを娘が何度も邪魔するので、

そのたびに娘さんを注意をしたのです。

 

あまりにもしつこいので、「どいて」と最後は怒ってしまったらしく。

その怒り方について、奥さまからは「居場所がなくなるような怒り方をしないで」と言われたそう。

 

 

「人が嫌がっていることをとめるのは、ダメなことなのか?」

「どう教えたらいいんだろうね」

 

 

そんな話になりました。

 

 

息子さんが楽しんでいるのを邪魔している。

だから友人は怒ったわけです。

そんなことをしたら、だめだろうと。

 
 
友人の目からみれば、それは正しいこと。
なのに、それを奥さまに咎められてしまったのです。
 
「じゃあ、どう言えばよかったんだ」と彼は落ち込んでいました。
 
奥さまは、彼の注意の仕方を聞いていて、多分嫌な気持ちになったんだろうと思います。
「娘を責めないで」と言われたそうです。
 
 

私が思ったのは、娘さんには娘さんの理由があっただろうということ。

 
テレビの前に立つのが純粋に楽しいからそうしたわけではなく、
娘さんはかまってほしかったのだろうと。

 


視界に入ることで、自分にかまってほしかった。

 

 

それならそうと言えよ、と思うわけですが、素直に言えないものなのです。

4歳の娘さんはもしかしたら、自分の気持ちをまだはっきりと、言葉にできないのかもしれません。

 

「パパがかまってくれないから、自分が寂しい気持ちになっている」というように、自分で自分のことを客観的に見て、それを説明するのは、かなり高度な心の働きです。

 

4歳の娘さんには、まだ難しいことかもしれません。

 

 

なんとなく、そう行動してしまう。

でもなんでそう行動しているのか、自分でもわかってない。

 

 

「遊んで」と一言かわいくお願いしてくれればいいのに、と思うわけですが、それが言えない。

 

 

それで邪魔をして、怒られる。

 

「だめ」

「あっちにいって」

「邪魔しないで」

「人がテレビを見てる前に立ったら、だめ」

 

自分の気持ちを否定されてしまって、悲しくなる。

でも、パパや弟も邪魔されてるから、嫌な気持ちになっている。

 

どこにも幸せがありません。

 

 

人が、ひとりで楽しい、ひとりで満足、と思えるようになるのは、いつからなのでしょうか。

自分だけの時間を楽しむ。

自分で自分を楽しませることができるようになるのは、いつからなのでしょうか。

 

おっぱいを飲んで、ごはんを食べて、遊んで、寝て、また起きて。

 

自分で立って歩けるようになってから、おもちゃを使って一人遊びができる子もいれば、できない子もいる。

 

ひとりでいることができな子は、楽しませてほしい、一緒に楽しんでほしいと、そう思う。

ひとりはつまらないから。

楽しませてほしい。一緒に楽しんでほしい。

 

 

ひとり遊びに興味がない子にとっては、喜びは、外側から与えてもらうものなのかもしれません。

 

誰かがいるから、何かがあるから、はじめて楽しい気持ちになれる。

 

自分が今、ここにいること、それ自体に満足することは、たしかに大人だって普通はできません。

 

自分で自分を満たすために、自分で必要なことをする。

大人になると、そのための方法が増えます。

人がいなくても、自分で自分を満たすことができるようになる。

 

 

でも、まだ子どもだから、どうしたら自分が楽しい気持ちになれるのか、まだわからないのかもしれません。

だから、一緒にいてほしい。かまってほしい。

楽しい気持ちになりたいから。

 

 

子どもは、自分中心の思考です。

自分と相手が違う、ということを理解できない発達段階です。

 

相手を嫌な気持ちにさせると、自分と一緒にいてくれなくなる、ということをまだ理解できない脳の状態です。

 

だから、自分の望みのことだけを考えて、テレビの前に立ってしまう。

なんでテレビの前に立っているのか、説明ができないけど、そうしてしまう。

 

 

相手に一緒にいて、ってお願いするのは、大人になっても難しかったりします。

自分が今こんな気持なんだ、って説明するのは、大人でもできなかったりします。

自分が何を考えているのか、大人だって言葉にできなかったりします。

自分で自分を満たせないときに、どうしたらいいかわからなくなるのは、大人もそうだったりします。

 

 

まだ、自分の心がどんなふうなのか、見ることができない年なのかもしれない。

あいまいなものを、言葉にするってことは、まだできない年なのかもしれない。

 

だって、まだしたことがないから。

言葉を覚えて、話し方を覚えているところ。

経験したことしかできないのが人間だから。

やったことのないことは、できないのが人間だから。

 

まだ子どもで、それをちょっとずつやっている最中だから。

 

 

そんな話を友人としました。

 

 

「確かになあ。わからないんだろうなあ。

 

 娘に聞いてみるわ。

 どうしたいの?って。遊んでほしいの?テレビがみたいの?一緒にいたいの?って」

 

 

 

自分がどうしたいのか。

 

みんなと自分が一緒に楽しくいるためには、どうしたらいいのか、一緒に考えよう。