その気持ちに偽りなし | 石元太一のブログ

石元太一のブログ

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 この年末の記事も、

 

もし満期で出ることになったとしても

 

あと4回書けば終わりとなります。

 

この長旅、過ぎてみればあっという間なので

 

しょうけど、今はまだ旅路の途中なので、

 

その言葉は控えておきたいと思います。

 

 今、今年一年を振り返ると、

 

本当にいろいろなことがありました。

 

再審請求の棄却、国家賠償請求での勝訴、

 

母のガンの発覚、YouTubeチャンネルの

 

開設など…どちらかというとネガティブなこと

 

の方が多かった気がします。

 

そしてその母ですが、実は11月に帰らぬ人と

 

なりました。

 

自分は家族からの電報でそれを知ったの

 

ですが、その悲報を幹部職員の方から

 

聞かされた時は涙が止まりませんでした。

 

それからしばらくの間は喪失感と悲しみ、

 

後悔ばかりが募る日々を送り…

 

改めて死生観というものについて

 

考えさせられました。

 

また、こういった身近な人の死に

 

直面することが一番の罰なのだなとも

 

思いました。

 

懲役刑として自由を奪われることも

 

十分な罰だと思いますが、

 

「どこかに旅行に行きたい」、

 

「好きな物を食べたい」

 

などといったことはテメェ(自分)が

 

我慢すればいいだけのこと。

 

そんなのはきちんと自分をしつけていれば

 

すぐに慣れます。

 

特に十代の頃から施設で生活をしてきた

 

私にとっては、それは大して難しいことでは

 

ありません。

 

でも、私にとって身近な人の死となると

 

それは全く別の話で、自分の内に湧き上がる

 

悲しみや後悔をコントロールすることは

 

出来ませんでした。

 

時には「控訴審で何の証拠や根拠も

 

示されない中、過去に最高裁が出した判例を

 

無視して4年も量刑を跳ね上げられることが

 

なければ、母と外で再会を果たせたのに…。

 

いや、もしかしたら母は亡くならずに済んだ

 

かもしれないのに…」などと、

 

その怒りや悲しみをどこかにぶつけようと

 

不健全なことを考えてしまう自分もいました。

 

それが人というものなのでしょうか…。

 

 コロナ過の間、母が高齢だったこともあり、

 

面会に来てもらうのを控えてもらって

 

いました。

 

今年に入り、

 

コロナもやっと落ち着いてきたので、

 

「これからは会えるようになるだろう」

 

と思っていた矢先に母がガンであることが

 

わかり…。その時は本当にやるせない

 

気持ちになりました。コロナ過中、

 

せめて母と“電話による通信”でも出来れば

 

よかったのですが、それはよい工場に

 

配役された一部の受刑者にしか認められて

 

いない特権のようなもので…。

 

ならばせめて入退院を繰り返していた母に

 

刑務所の制度を利用して、私の写真を撮って

 

送りたいと願い出たのですが、

 

それも2類という優遇区分の上、

 

2年以上面会をしていないなどの条件を

 

満たさないと認められないとのことでした…。

 

その時改めて「日本の刑務所というところは

 

本当に明治時代から何も変わっていない

 

特殊な空間なのだな…」と思ったものでした。

 

 実は母が亡くなった直後、弁護団の先生方が

 

私が母の葬儀に出席出来るように、

 

東京高等検察庁に私の“刑の一時執行停止”を

 

求めて“申立書”を提出してくれました。

 

長女が亡くなった時に

 

葬儀に参列出来なかったこと、

 

刑事訴訟法482条の「重大な理由」に

 

該当すること、

 

今現在仮釈放の条件を満たしていること、

 

身元引受人と保護責任者がいること、

 

申立人の全行程に刑務所の職員などが

 

付き添うことと、

 

GPSの装着にも同意すること。

 

以上のことを申立書に記載し、

 

刑の一時停止を求めましたが、

 

結果は「不相当で認められない」というもの

 

でした。

 

一体これ以上に“相当な理由”というのは

 

果たして存在するのでしょうか…。

 

実母の葬儀にも参加させてもらえない…

 

前述した通り、日本の刑務所のルールや

 

このシステムに疑問を感じました。

 

私にはもう父も母もいませんが、

 

今後私と同じような状況に陥った人が

 

現れたら、その時にはどうにか認めて

 

もらいたいなと願う今日この頃です。

 

全ての受刑者に平等に電話などによる通信も。

 

ひいてはそれらのことが、

 

その受刑者の立ち直り、

 

更生に必ずつながると思うので…。

 

 でも、そのような中、「本当に有り難いな」

 

と思えることもありました。

 

一つは、弁護士の先生方が「石元さんなら

 

きっと『やれることは全てやりたい』と言うと

 

思ったから」と言って、私がお願いする前に

 

自発的に刑の一時執行停止を求めた申立書を

 

すぐに作成してくれていたことです。

 

私の気持ちをそうやって推し量ってくれた

 

ことが本当に嬉しくて、有り難くて…。

 

 そして、もう一つ私が有り難いと思った

 

ことは、ここ横浜刑務所の職員の方達から

 

温かい言葉や慰めの言葉をかけてもらえた

 

ことです。

 

言葉の持つ力というのは本当にすごいです。

 

さり気ない一言がどれだけ嬉しかった

 

ことか…。

 

それはこのブログに下さる皆さんからの

 

コメントに対してもそう思います。

 

母がガンになったことを公表した後、

 

多くの温かいコメント、

 

励ましのコメント、

 

そして手紙をいただきました。

 

「反証」の中で、

 

 

『ブログを読んでくれていた人の中には、

 

心配をしてわざわざ北海道から面会に来て

 

くれた人もいた。突然のことで、その日は

 

控訴審の打ち合わせが入ってしまっていた

 

ので、残念ながらその人とその日は面会する

 

ことが出来なかったが、今も頻繁に手紙の

 

やり取りをさせてもらっている。

 

 ボクシングをはじめた、嫁とトラブルに

 

なったなど、そんな些細な近況報告が

 

ありきたりな毎日の中で楽しみのひとつと

 

なっており、俺の心を安らげてくれている。

 

 相手の立場になって冷静に考えてみれば

 

俺みたいな奴に自分の家の住所を教えること

 

自体、危険に感じてしまうだろう。

 

そんなことを考えると泣けるほど嬉しい。

 

 信用してもらえているという気持ちと

 

心配してくれている想いには本当に深く

 

感謝している。

 

 面会や手紙は一日一回と決められている

 

ので、せっかく来てくれても面会

 

出来なかったり、手紙を返すのが遅くなって

 

しまったりすることがあるのは非常に申し訳

 

ないと思う。

 

 外にいる頃、ブログをやっていて

 

良かったと、このような出来事を通じて

 

改めて思う。

 

 ネットは匿名性が高いせいか、何でも書き

 

込めてしまう。時に人を傷つけ、死にまで

 

追い込むこともあったり、犯罪の温床だと

 

指摘されたりすることもあるが、

 

普段関わることがないような人たちと

 

関わることが出来るというありがたい一面を

 

感じることが出来た。

 

 そして、使い方次第では人を助けたり、

 

成長させたりも出来る素晴らしいツールの

 

一つでもある。

 

 現に今の俺は、そんな人たちから助けられ、

 

支えられていることを実感している。』

 

 

 と書きましたが、その気持ちは今も全く

 

変わっていません。だから改めて今日、

 

このブログの読者の皆さんに対してお礼を

 

言わせて下さい。

 

本当にいつもありがとうございます。

 

母からは毎週のように手紙が届いていたので、

 

突然届かなくなったことに時折淋しさや

 

悲しみを覚えることがありますが、

 

その悲しみも皆さんのおかげで少しずつ

 

癒やされ始めています。

 

だから来年からは前を向いて、

 

またくだらない笑い話でも

 

このブログに書き綴っていきたいと思います。

 

いつものように。

 

 では皆さん、今年もよい年末を

 

お過ごし下さい。

 

 

 追伸

 

 今年は母が愛犬のきくりんを

 

抱きかかえている写真を。