能町みね子さんだけでなく、
最近母に対しても同感することが…。
先日、母からの手紙に、
「人生は波瀾万丈であり、悪戦苦闘しながら
進んでいかなければならない。
その試練に挑み立つ時、自らが磨かれ、
鍛えられ、強く、大きく成長していくんじゃ
ないのかなぁ」
と書かれてあったのだが、その通りだと思う。
「苦労した分、人は成長する」という手垢の
ついた言葉があるが、それは紛う方なき事実。
楽な人生しか送っていなかったら、痛みや
苦しみに対する耐性もつくられない。
また別の日に届いた母からの手紙には
このような言葉が。
「お母さんのことは大丈夫よ。案外逞しく
生きているから。ちょっとぐらいでは
負けない。見かけより強いからね…
笑ってないで…太一のこと、待ってるよ…」
事件から10年、俺が逮捕されてからも
10年が過ぎた。気がつけば残りの刑期も
満期であと5年だ。
「続・反証」の中で、母と外で再会出来ない
可能性もあることに覚悟はつくれていると
書いたが、こうして出口が見え始めてくると、
やはりどうしても色気が出てきてしまう。
それは高望みだと言われてしまうの
だろうか…。