どこへ行くにも必需品だった双子用ベビーカーと、お別れをした話をママ友にした。
ゆっくり育つ双子が「歩けた」あの日、あんなに喜んだのに。なのに気づけば、その喜びは少しずつ薄れて、“歩けることが当たり前”みたいな顔で、育児に手を焼く私がいた。
そんな私の心を揺さぶったのは、療育の懇談会でのママのひと言。
「絶賛イヤイヤ期の双子が、朝から大泣きして…」とこぼした私に、そのママはにこっと笑って、こう言った。
「うちの子はほとんど泣かないから、泣いたら“わぁ、泣いた!レアなの見れた!”って喜んじゃうの。」
胸に、すとん、と落ちた。
そのママのお子さんは子ども用車椅子に乗り、言葉で伝えることも、歩くこともできない。
そのママにとっては——
泣くことも、歩くことも、伝えることも、
本当はすべて“奇跡”で、“尊いこと”だった。
子どもの“できた”が当たり前になってしまうと、かえって大事なものが見えなくなる。私は、その感覚をすっかり忘れていたんだなぁと、深く反省した。
双子用ベビーカーに、酸素ボンベ2本と大量のオムツとミルクを乗せて歩いた日々。
あの頃の必死さも、涙も、不安も、喜びも、全部、今思えば宝物だった。
育休中に、私は本当にいろんな経験をさせてもらっている。
人としての器を育ててもらっている。
そのことに、もっと感謝しなくちゃいけないなと思った。