初めてこの映画を観たのは中学生くらいの頃でしょうか。
脱獄犯と少年の心の触れ合いを描いた爽やかな感動作、というイメージ。
そのイメージは決して間違ってはいません。
ケビン・コスナーの代表作と言ってもいいんじゃないかと思っています。
いい人ではないけど極悪人でもない、ただ変わってるだけの脱獄犯は
少年期の父親に対するトラウマから子どもを虐待することに異常に敏感、
一方、父親のいない少年は、そんな脱獄犯に父親の姿を重ね合わせる。
オープニングとエンディングの、芝生に横たわり昼寝でもしているかのような
ケビン・コスナーの映像がとても印象的です。
パンツ一丁で連れまわされる少年がとても愛らしい。
父親と息子という関係が軸にあるようにも思えます。
父親を決してよく思っていなかったケビン・コスナーも
脱獄し目指す場所は父親からの絵葉書に書いてあった地。
その絵葉書に父親の姿を見る主人公は少しせつないです。
さて、そんなとてもいい映画ですが、何が「パーフェクト」なんだろう…
という疑問が生まれてきたわけです。
子どもを虐待する者に対して強い嫌悪感を抱き
正義の行動をとるケビン・コスナーも、簡単に人を殺してしまう、
一見いい人に見えても、悪い面も持っているということを
逆説的に「パーフェクト・ワールド」としたのかなとかって思ってました。
しかし、映画というのは、製作者の言いたいことがあるんですね。
これも知識が無いと分からないことです。
この少年、母親の教育によりクリスマスやハロウィンなどを禁止されています。
なぜ禁止しているかというと、「エホバの証人」の信者だから。
実際、全然知りません。
キリスト教から派生したようですが、結構独特の価値観を持っているようです。
なるほど…
宗教というのは、世界感です、だから「パーフェクト・ワールド」か…
もしかすると、映画の中にいろんな伏線があるのかもしれません。
ちょっとした情報で勝手に考えているだけなので、違ってても許してください。
全く関係ないかもしれません。
でもまあ、いい映画であることには間違いはありません。
ケビン・コスナーと少年の姿を観ていると、爽やかな気持ちになれます。
★★★★☆
映画もいろいろ。

