この映画は、

激しい銃撃戦が繰り広げられ、兵士たちが次々と倒れていき、

目を覆いたくなるような映像が繰り広げられる…というものではありません。

激しい戦闘シーンの映画だけが戦争の悲惨さを伝えるものではないこと、

映像によって視覚的に訴えかけてくる戦争映画は、

実は表面的なものだということを感じてしまいます。


ボスニア軍とセルビア軍の中間地帯、

ノー・マンズ・ランドに取り残された、ボスニア軍兵士とセルビア軍兵士、

2人の横で、動くと爆発する地雷の上に横たわる1人のボスニア軍兵士…

殺すか殺されるかの一触即発な状況下で、助かろうとする2人と1人…

両軍ともノー・マンズ・ランドの兵士たちに気付き、

国連監視軍が出動し、取り残された兵士を助けようとする…が…


このボスニア軍兵士、

ローリング・ストーンズのTシャツにコンバースのオールスター、

とても戦争をしている格好ではない…でも実際そうだったようで…

それはごつい戦闘服や様々な武器や道具で身を包んだ兵士とは違い

兵士も生身の人間だという印象が強く伝わってきます。


国は隣同士、話す言葉も同じ2人、

お互いの国をののしりあい、どちらが戦争を始めたのか言い争う、

銃を付き付けられた方が「…自分の国が戦争を仕掛けた…」と言う。

そんなばかばかしい会話、でも自分がそうなったら多分そうする…

時々、2人はいい方向へ向かおうともするけど、

そこはこの映画のブラックなところで、決して心を許さない、

同じ人種を憎しみ合う戦争のばかばかしさ…

どちらが悪いわけでもなく、2人の兵士は戦争の当事者であり被害者…


ではなにが悪いのか…マスコミや、国連?

兵士を助けようとした国連監視軍の兵士の言葉、

「殺戮を目の当たりにして傍観してるのは、加勢してるのと同じ事だ」

マスコミは自分たちの利益のためだけに動き、

決して戦争の真実をカメラに写そうとはしない、

テレビ局のレポーターが、ノー・マンズ・ランドの中を写さなかったように。

でも、実際はジャーナリストによってこの扮装は終わったらしいです。

ジャーナリストが世界に伝えたからです。


マスコミや国連が悪いわけでもない、ただし正しくもない、

何が悪くて何が正しいのか、それが分からない、

被害者は誰なのか、それがこの映画の描く戦争。


とんでもなくどうしようもない終わり方…

しかしそれがこの映画を完璧なものにしてるんです。完璧です。


この映画の監督、記者会見でこう言ったらしいです。

「あなた達は今私が銃で撃たれたら、

取材を中止して私を病院に連れて行きますか?

それともその様子を取材しますか?」


★★★★★


もう1人の兵士は…

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