『古都』川端康成 | 京都市某区深泥丘界隈

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綾辻行人原作『深泥丘奇談』の舞台、京都市某区深泥丘界隈を紹介します。内容は筆者個人の恣意的な感想に過ぎず、原作者や出版社とは関係ありません。

 『古都』は、1962年に発表された川端康成の代表作の一つで、タイトル通り、京都の名所が美しい文章で綴られ、今に続く京都観光ブームのきっかけにもなった作品です。

 

 京都の呉服問屋の娘である佐田千重子が、幼馴染の大学生真一と、『細雪』のところでもご紹介した、平安神宮神苑へ花見に出かけるところから話が始まります。正に『細雪』へのオマージュとなっており、「まことに、ここの花をおいて、京洛の春を代表するものはないと言ってよい」という一節を引用していますが、より多くのスペースを割いて神苑全体を描いており、千重子の表の顔を、京都の華やかな一面に重ね合わせて表現しています。

 

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 写真は、東神苑の栖鳳池対岸から、橋殿を望んでいるところです。『細雪』では描かれなかった東神苑も、『古都』では詳細に書かれています。

 
 このあと、二人は夕暮れ時の清水寺を訪れます。清水寺はご存じのように京都の中でも最も混雑する人気の観光地ですが、実は鳥辺野という古くからの葬送の地に面した場所にあります。平安神宮神苑の華やかな様子から一変して寂し気な雰囲気が漂っている場面で、千重子は真一に自身の出生の秘密を明かすことになります。呉服問屋の娘という恵まれた環境や、彼女の美しい外見からは想像できないその内容を、真一は信じることができません。あまりに有名な作品ですので、ほとんどの方が千重子の秘密をご存じとは思いますが、ここではネタばらしを控えさせていただきます。
 
 一方、呉服問屋を経営する千重子の父は、商売に不熱心で尼寺に引きこもり、麻薬を使用しては売れそうにもない帯の図案を書くという厭世的生活を送っています。その尼寺のある場所が、京都では鳥辺野と並ぶ葬送の地、化野の近くにあるという設定となっています。『古都』執筆中、川端は長年常用していた睡眠薬を止めようとして、禁断症状で入院してしまいましたが、入院中、10日ほど意識不明となったそうです。また、『古都』発表の10年後、72歳でガス自殺を遂げてしまいます。そういった情報による先入観があるためか、何となく作品全体に死のイメージが漂っていると感じてしまうのですが、私だけでしょうか?
 
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 川端は、1961年から62年にかけて、下鴨泉川町に家を借りて滞在し、『古都』を執筆しますが、現在も「泉川亭」として残されています。これが何と前回『夢の浮橋』のところでご紹介した谷崎の住居、「石村亭」と小道をはさんだ真向いに建っています。やはり、『古都』執筆にあたっては、『細雪』をかなり意識していたのでしょうね。