「死後の夢」 | 京都市某区深泥丘界隈

京都市某区深泥丘界隈

綾辻行人原作『深泥丘奇談』の舞台、京都市某区深泥丘界隈を紹介します。内容は筆者個人の恣意的な感想に過ぎず、原作者や出版社とは関係ありません。

「死後の夢」は、主人公の「私」が奥さんとドライブし、紅叡山の北側から回りこみ徒原の里のトンネルを出たところで事故を起こし、死後の世界を彷徨う夢を見るお話です。

 

紅叡山は『深泥丘シリーズ』に何度も登場する、比叡山がモデルになっている・・・ような気がする山です。滋賀県側から比叡山の北側を通って京都側に回りこむと、徒原の里ならぬ三千院で有名な大原の里に入ります。この大原の古知谷町というところに阿弥陀寺というお寺があります。ここは即身仏が安置されている日本で最南端かつ最西端の寺院なのです。

 

即身仏とは、僧侶が瞑想を続けて入定し、原型を保ったままミイラ化したものです。通常、人間が死亡しそのまま放置すると、自己融解や自己消化や腐敗あるいは動物による損壊によって白骨化します。自己融解とは細胞内小器官であるリソソームが含んでいる加水分解酵素が蛋白質、脂質、核酸などが分解されて組織が融解することです。生体内では細胞質はpH7.2に保たれ酵素の働きが抑制されていますが、死後は細胞質内に乳酸が蓄積し酸性化するため酵素が活性化するのです。自己消化とは膵臓等消化液を分泌する臓器が細胞死によって遊出した自らの消化液によって分解されることです。腐敗とは主に大腸菌やブドウ球菌や連鎖球菌といった腸内細菌によって起こる組織の有機分解です。動物による損壊で最もよく見られるのはハエおよびその幼虫であるウジによる蚕食です。ハエは腐敗臭を好み眼、鼻、口腔、耳、肛門などに産卵し卵は早いもので半日、遅いものでも1~2日で孵化してウジとなり死体を蚕食します。その他、アリや甲虫などの昆虫、カラスやトンビなどの鳥類、野犬、キツネやタヌキ、ネズミなどによって貪食されることもあります。これらの現象をいかに防ぐかが白骨化せずにミイラ化する、すなわち即身仏になるための鍵となります。

 

自己融解を起こす酵素の活性化至適温度は35~40℃といわれています。また、適度な温度と湿度は腐敗菌の働きを活発にし腐敗が進行します。逆に極端な高温や低温下あるいは乾燥下では進行は抑制されます。死体の水分が50~60%位まで低下すると、腐敗菌の増殖が抑えられミイラ化しやすいといわれています。また、ハエの活動最適温度は15~35℃といわれています。従って、まず内的条件を整えるために入定する数年前から穀物を絶ち、木食をして腸内細菌を減少させると共に腐敗しやすい脂肪を落としていきます。時には腸内細菌を駆除する目的で漆を飲むこともあったようです。最終的には全ての食と水分を絶ち入定します。次に外的環境として、寒く乾燥した場所で出来るだけ寒い季節に動物による損壊の恐れがない棺や地中等外部と隔離された空間で入定する必要があります。外部とは小さな穴だけで繋がれ節をぬいた竹で空気を確保し、読経をしながら鈴を鳴らします。鈴の音が聞えなくなったとき入定と判断され穴が塞がれます。数年後に遺体が取り出され、ミイラになっていれば仏として祀られます。ときには、燻されたり柿渋を塗布されたりして保存処理が施されることもあったようです。

 

上記のように、内的条件を整えるための凄まじい苦行を乗り越え、外的環境が整った場合にのみ即身仏が完成することになります。従って、現在残っている即身仏は土方正志氏の『日本のミイラ仏をたずねて』によると僅か18体に過ぎません。このうち出羽三山信仰系の即身仏が11体で山形県内に8体と集中しています。即身仏が残りやすい気候的な理由もあるのでしょうが、やはり思想的な影響が大きいと思われます。即身仏信仰は月山、羽黒山、湯殿山の出羽三山のうち湯殿山系が中心ですが、湯殿山系は真言宗なのです。開祖弘法大師空海が即身仏となり高野山奥の院で今も禅定を続けているという伝説の影響があるのかもしれません。しかし、司馬遼太郎は『空海の風景』の中で、『続日本後記』に空海が荼毘に付されたことが書かれており、即身仏になったとする資料は没後100年以上たってから見られるようになることを根拠に、「おそらく空海その人はただ普通に死んだのであろう。」と述べています。『続日本後記』が完成したのは空海没後34年後の869年であり、空海の入定に関する初出のものは、入寂後100年以上を経た968年に仁海が著した『金剛峰寺建立修行縁起』ですので、歴史学的には空海は即身仏になっていないというのが定説のようです。

 

また、空海は数多くの著書を残していますが、即身仏の思想について一言も述べていません。即身仏と似た言葉である即身成仏は密教の中心教義ですが、現世においてこの身のままに悟りを得て仏になることを言います。空海は『即身成仏義』の中で『菩提心論』の言葉を引用し、「父母所生の身に、速に大覚の位を証す」つまり父母からもらった肉体そのままに仏になることを説いています。命を捨てることで仏になろうとする即身仏の思想と、現世において大日如来と一体になる即身成仏の思想はある意味正反対なのではないかとも思います。もちろん、即身仏となった僧侶たちはそんなことは百も承知で、それでも敢えて即身仏になろうとしたのでしょうが、私のような凡夫にはその動機を理解できるはずがありません。

 

ところで、阿弥陀寺の即身仏は、この寺を開基した弾誓上人ですが、彼は尾張国で生まれ美濃で出家し諸国で苦行を重ね、佐渡の壇特山の岩窟で開悟を得ます。その後古知谷へ阿弥陀寺を建立し1613年に入定しました。阿弥陀寺はその名が示すとおり念仏道場であり真言宗ではありません。湯殿山信仰との直接の関係もありません。京都という場所に存在することも即身仏として極めて異例です。非常に不思議ではあります。ただ、弾誓上人が美濃で修行した時の師である日龍峰寺の徳元は真言宗高野山派です。弾誓上人が即身仏になった動機について知るヒントになるかと思い、『弾誓上人絵詞伝』を基にして吉田幸平が創作を加え著した『弾誓譚』を読みましたが、入定の様子は淡々と描かれており、やはり理解をすることは出来ませんでした。ただ、佐渡で悟りの境地に至った後にも、般若心経を唱えながら「『色即是空、空即是色』は往生するまで真の解脱はできないのではないか、・・・」と悩む様子が描かれており、印象に残りました。

 

 
阿弥陀寺の山門です。ここから本堂までは山道が続きます。三千院は年中観光客で賑っていますが、ここまで訪れる人は殆どいません。参拝客は私一人でした。京都市某区とは言え山奥であり、冬は雪で閉ざされるため、即身仏を残すことができたのでしょう。
 

 

 

このお堂の奥に洞窟があり、その中の石棺に弾誓上人の即身仏が納められています。石棺の扉は固く閉ざされ、明治初年から開帳されていないとのことです。

 

薄暗い洞窟の中に入りました。冷気が身体を包み込みます。山から染み出た水滴の落ちる音が洞窟内に響き渡ります。石棺の前で手を合わせました。不思議と畏怖の念がこみ上げてくることはありませんでした。心が穏やかになり身体が浄化されていくようでした。弾誓上人は、即身仏になることで、この世と死後の世界が繋がっており、死を恐れる必要がないということを私たちに教えてくれている・・・ような気がしました。

 

このブログを書くにあたり、下記資料やWikipedia等のサイトを参考にさせていただきました。

『日本のミイラ仏をたずねて』土方正志(天夢人)、『日本・中国ミイラ信仰の研究』日本ミイラ研究グループ(平凡社)、『法医学』福島弘文(南山堂)、「死後変化および検体採取後の組織変化 自己融解と腐敗」尾花ゆかり(Medical Technology 2012年40巻6号)、「縊頸後の晩期死体現象」山崎滋(犯罪学雑誌 2003年69巻1号)、「実践法医学カリキュラム 死体現象(解説)」池田典昭(日本法医学雑誌 2008年62巻2号)、『空海の風景』司馬遼太郎(中公文庫)、『空海の思想について』梅原猛(講談社学術文庫)、「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」空海/加藤精一編(角川ソフィア文庫)、『弾誓譚』吉田幸一(中日出版社)