石川くんのドロドロ地獄 -2ページ目

石川くんのドロドロ地獄

映画と音楽と本をドロドロ…

とあるDVDレンタルショップ。

『キャタピラー』のジャケット片手に苦虫どころか東国原秀夫を
噛み潰したかのようなツラで悩む人をあなたが見掛けたなら
彼は乱歩オタクである。

もしくはそれ、僕である。


岩松幸二が監督し、寺島しのぶが好演し、キネ旬でバカ誉めされ、
ベルリンで鬼の様に大絶賛されたこの映画。

原作が江戸川乱歩の『芋虫』であることは、(本当に)びっくりする位
誰も語らない。


僕は江戸川乱歩が大好きだ。


『芋虫』はもちろん読んだ。
でも『キャタピラー』はまだ見ていない。

借りる寸前までいくものの、結局『忍者VS芸者』とか『ロボメイド』みたいな
しょーもない映画を片手にウヒャウヒャやってる自分が居るのである。

理由はある。

乱歩映画は、「危険」なんである。

なぜ危険なのか
それは乱歩文学が、実はぶっ飛ぶくらいしょ~もね~からだ。


誤解されそうだからもう一度、今度は太字にし、更には中坊の期末テスト直前
社会の教科書の如く赤字を以てして再び書く。


僕は乱歩作品が大好きだ


江戸川乱歩の文学世界は、くっきりとした光と闇に分かれているところが
大きな特徴だと、僕は考えている。


乱歩の光は日本文学会に、まさに光明を指す。

大正時代、都市機能や住宅設計が欧米諸国と根本から異なる日本には、
推理探偵小説は根付かないというのが、大正文学会の常識だったようだ。


不可能と思われれる犯罪(いわゆる「トリック」)をどのように日本の住宅
都市設備に当てはめるか、前例が全くないからだ。

しかし乱歩は、『D坂の殺人事件』を皮切りに、この不可能を可能にする。

大正日本の住宅事情や都市建設更には衣料習慣にまで着目したトリックを、
発表し続ける。

日本推理小説のエポックメイキングとして、乱歩の存在は不可欠なんである。


乱歩の光の光源は、明智小五郎という名探偵すら、この世に誕生させた。

『D坂』の時は天パーで、ワンポーズをユ○クロとし○むらで揃えて、
でも聴いてる曲は意外にPFMとか細野晴臣なんかで、
えっ!!お前それどーいう趣味!?みたいな明智だったけれど、
(何この例え)


探偵業で成功すると、麻布に事務所兼自宅を構え(事実)、
ダンヒル辺りで冗談のような値段のスーツでワンポーズを揃え、(事実)
ストパーを当て(多分)、
iPodの中身が殆ど浅川マキかジャコバスになったりするのである。
(だから何この例え)


少年探偵の小林君と名探偵明智小五郎は、少年探偵団として、
怪人21面相を追い、日本に探偵小説の礎を築いたのである。


しかし光が強ければ闇もまた濃いものだ。

乱歩は怪奇小説において、まさに鬼才だった。


異常心理・異常性欲・奇形・人体改造・残酷趣味・フェチズム・SM心理
などなど…

エロ・グロ・怪奇を書かせれば乱歩はそれこそ狂気の如く筆が休まず、
この怪奇性こそが乱歩の真骨頂と考える人も少なくない。

冒頭に挙げた『芋虫』は、
軍人である夫を後天的なサディスト。
銃後の弱い妻を後天的なマゾヒストとし、
夫が両手両足や声帯までもを失ったことで、両者のSとMの
関係性が逆転し、暴走していく様を描いた、名作である。

更には、乱歩の闇の面は、『パノラマ島奇譚』という奇跡の様な物語を
この世に生み出す。

売れない小説家が資産家に成り代わり、自身の描く理想の世界を
この世に作り出すというこの一大名作は、乱歩の最高傑作として、
ドス黒い輝きを放っている。

掌編も負けてはいない。

人と交わることが苦痛ですらある主人公。
絶世の美女である舞台女優に、彼は報われない恋をする。
彼女は振り向かない。
彼女を殺すことで恋を手に入れた主人公は、彼女に化粧を施し、
キレイにしようと奔走する…。


この『蟲』という物語は、乱歩のダークサイド濃縮30倍青汁の様な
凄まじい迫力を放っている。

『D坂』のようなシステマチックなプロットや、『パノラマ島』のような幻想的な
筆が、全て主人公の狂気性や腐っていく恋人の死体に注がれ、
「蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲…」
なんてセリフが出てくるもんだから、
あれ!?夢野久作読んでんだっけ今俺!?
みたいにビックリする。


乱歩の光の部分が、推理小説として小学校の図書室でガキんちょの心を
ときめかせているように、乱歩の闇の部分もまた、多くの大人たちを
ときめかせている。

ミュージシャンや漫画家、映像作家が度々乱歩作品をモチーフに
様々な作品を生み出すことも、乱歩が発信する異常なインパクトに、
様々な表現者が呼応するからだと思う。

でも。

でもである

冷静になって考えてみる。

この平井っておっさん…(乱歩の本名ね)

言ってることしょ~もね~じゃねーか!!!!


れーーせーーになって考えてみると、このおっさんのホラ話、
とてつもなくぶっ飛んでるんである。

西荻で飲んだ後吉祥寺のカラ館までの移動中、ペラい後輩が話す
ペラいバカトークにも似た水準のオタンチンストーリーばっかなんである。


『屋根裏の散歩者』
覗き趣味のにーちゃんが屋根裏で覗き敢行!!
アレコレやってるうちにエスカレートしちゃって最終的に見つかって説教!!
S1辺りが単体で出しそうなエロDVDのような展開!

『鏡地獄』
ちょっと頭の残念なアングラ兄ちゃんが「究極の母体回帰」みてーな
こと考えて360度鏡張りのデカい球の中で終始ゴロゴロ!!
ネコか!

『人でなしの恋』
ダッチワイフの話!!
よそで話せそんなもん!!


いかがだろうか?

大時代的なタイトルと、圧倒的な乱歩の筆力で我々は翻弄されてしまうもの
だけど、冷静になると、だからなんじゃい!!と、ちゃぶ台をひっくり返し
たくなるような、アホストーリーの目白押しなんである。

他にも『大暗室』『防空壕』『人間椅子』や『黄金仮面』など、
笑い飯のダブルボケ・システムを遥かに凌駕するすっとぼけっぷりが
爆発する名作がまだまだ存在する。


乱歩という人は、イマジネーションとその表現力のバランスが、
もうメチャクチャなことになっているのだと思う。

冷静に考えると西荻・高円寺居酒屋級バカトークも、乱歩の
フィルターを通すと、幻想と怪奇とデカタンスが満ち溢れ、
たちまちと名作と化してしまうのではないだろうか。


だから、乱歩の映像化は危険なのだと僕は考える。

そりゃそうだ。

もとを辿れば、「闇太郎」とか「まんねん」(居酒屋の名前です)で、
ヘロヘロになったバンドマンが話すバカトークと、中身はそれ程
違わないのだから。

だから映画監督たちは、そこをデコレーションする。

エロやグロでデコレーションする昔気質も居れば、『乱歩地獄』の
様に、ファッションや映像美で脚色する若手も居る。


しかし、僕がそうであるように、乱歩にハマるようなひねくれ者達は
思うのだ。

「何かたりない…。」


『キャタピラー』レベルの巨匠になると、持ち出す武器も違ってくる。

「反戦」
「人間の心の闇」
「剥き出しの獣性」

そんなテーマを盛り込んでくるのである。

僕はそんな姿勢はすごく大好きだ。

巨大な原作に負けず、考えて考えて考え抜かれた作品は、
どこかに光るものがあって、すごく楽しめる。

やっぱ映画ってCGとか製作費じゃなくて工夫だよな!
と感動できる。


(考えることから逃げて、音楽とスタイリストとカメラさんに逃げた
『さくらん』は、だからクソつまらない。
虻川監督は『ニンジャタートルズ』実写版を見て坊主にする様に。)


でも、僕は乱歩のしょーもなさを維持したまま、あの圧倒的な世界観を
再現した乱歩映画をまだ知らない。

世界観やアンビエントなニュアンスを武器に出来る音楽や文学とは違って、
映像作品の難しさはここにあるんだと思う。

でもだから、期待値は上がる。
だけどすかされる。

乱歩映画に付き物の「なんか深い感じ」「おしゃれ感」「エログロ」
確かにそういう要素はあるけれど、全てではない。

センスの欠片すらない、あの凶暴な空気感の再現を、乱歩ファンは
待ち望んでいると思うのだ。

アカデミックな思想やファッションやエロやグロに逃げない乱歩映画を、
僕は待ち続けている。


(キムギドク先生、次回作そろそろ『孤島の鬼』なんかどうスか?)




孤島の鬼 (江戸川乱歩文庫)/江戸川 乱歩



¥510

Amazon.co.jp



困っているのである。


「一番好きな映画なに?」って聞かれた時に、鬼のように困るのである。


喫煙室や飲みやメシの席。

相手が初対面やよく知らない人の場合、このテーマはひじょーに困る。


「一番好きな映画とは?」

この話題の裏テーマは、「俺ってこんな人間です。」と表明する行為に等しい。


これが、その日初めて会った女子が飲み屋で聞いてきた話題であったなら、

困っちゃうな俺度はさらに沸騰する。


マジで俺困っちゃう。


断言するが、映画を多少漁った人間は、こうした状況における模範解答を

用意しているはずである。


「俺ってこんな感性の人間ですよ。」という空気を多少匂わせ、

尚且つ話が脱線せず、しかも自身の眼の確かさを主張できる作品を、

あらかじめ用意しているのである。


模範解答【1】

「ギルバートグレイプか、シザーハンズはグッときたなあ」

(カルーアミルク牛乳多めで遠い目)


さわやか系草食系男子がそんなセリフを言えばそりゃ絵になる。

しかし僕にはさわやかの欠片すら存在しない。


模範解答【2】

「ゴッドファーザーか、ブラックレインね。熱いんだよ!!」

(残波片手にセッター2箱目開封。)


血気盛ん系男子にはピッタリ。しかも多分コイツはモテる。

但し僕には全く異次元の世界の人種である。


僕にも模範解答はある。


「時計仕掛けのオレンジか、AKIRAかなあ…」



しかしこれは模範解答である。


時計仕掛けもアキラも大好きだけど、

「キューブリックの定義した暴力ってのは斬新でねぇ」

とか

「大友は映像と音楽の融合を達成した時点で偉大でさあ!」

とか語ったところで、なんかきもちわりーのである。


相手に申し訳なくなっちゃう。


嘘とは言わないまでも、最大公約数的に僕の感性の中で

名作と言われている作品を挙げて、矛先を逸らしているんである

本当は。


本心は、

「ホーリーマウンテンはいいよ!ウ○コ食って錬金術会得する話!」

とか喋りたいんだけど、相手が高校三年三学期の体育館履きを見るような

ドン引きの目で僕を見ることは分かり切っている。


だからキューブリックの話なんか繰り出して、お茶を濁しているんである。



映画は元来大好きだ。


中2の頃、仲の良いグループで爆発的に映画収集ブームが起こり、

そのうちにメインカルチャーの映画で満足できなくなった僕たちは、

古今東西の映画を漁ったものである。


皆で深夜に集まって『ロッキーホラーショー』を見たり、

僕が『アメリカンサイコ』のクリスチャンベールの変顔に爆笑している

その時、友達のゆーすけ君が『銀河』を見てしょんべんちびりそうに

なってたりしたものである。


「主人公がロッド・シュツワートあるあるを発表しながら女の子殺すんだぜ!!

この監督は天才に違いない!!!」

みたいなことをずっと語り合っていた。


僕の感性とはつまり、こんな感じなのであって、これをほぼ初対面の女子に

全開にしようもんなら、もう冥王星よりも遠く相手は引いていくのである。


先日も、キムギドク監督の『サマリア』を見ていたく感動した僕が友人に

「ギドクはすげー!!女子の可愛さと暴力を撮らせたら天下一品だ!

天才か、真正のロリコンだ!」

と熱く語ったところ、2週間後僕の呼び名は「ロリコン」になってしまった。


おい!!


でもしょうがないのだ。

『サマリア』を撮ったギドクが悪いのだ。


体を売って海外旅行を夢見る女子中学生を、もうしつっけー位に可愛く撮ろうと

腐心しまくってるのだギドク先生ったら。


先生…大丈夫っすか?

と思いきや先生全然大丈夫ではない。


ロリコンパワーが大炸裂する前半。

後半は娘の売春に発狂したパパの凶行で埋め尽くされる。


しかもパパ、殺しの方法がいちいち凝ってる。

1、 パパ、殺しの前に買春男の高級車破壊!

2、 パパ、殺しの前に買春男の一家団欒を破壊! 

3、 パパ、殺しの前に無関係のカップルをボッコボコ! 


もうパパのテンションの上り具合がたまらんのである。


吐くほど面白いのである『サマリア』は。



しかしこういうことは、世間ではなかなか声を大にして話が出来ない。


だからここではキューブリックに逃げたりせず、ドン引きされる映画

事情を書いていこうと思う。



いや、キューブリックも大好きですよ。


アメリカン・サイコ [DVD]/クリスチャン・ベール,クロエ・セヴィニー,ウィレム・デフォー
¥2,625
Amazon.co.jp


サマリア [DVD]/クァク・チミン,ハン・ヨルム,イ・オル
¥3,990
Amazon.co.jp


しかしアメリカンサイコもサマリアも、内容とジャケットが全然違ってておもしれーな。


ジャケットで判断してDVD借りた人しょんべんちびっちゃうぜこりゃ。







高円寺阿波踊り理論というものが、この世には存在する。


高円寺阿波踊りは、毎年八月下旬・夏が終盤に差し掛かるその時に、

日本のインド・中央線のデトロイトである高円寺で催される、

阿波踊り大会である。


阿佐ヶ谷の隣でインドであり、杉並区内でデトロイトである高円寺には、

数多のバンドマン、写真家デザイナー志望、役者のたまご、K-3級格闘家

が闊歩する。


夏の終わりの高円寺は、決まって連中を憂鬱にさせるのである。



理由は様々だと思う。


「俺将来どーなんのかな…」

「俺って本当に才能あんのかな…」

「もう金ねえな。今月どうしようかな…」

「なんで高円寺のラブホってどこもベッドが若干ジメっとしてんのかな…」


理由は本当に様々である。



そんな連中に、夏の終わりの高円寺は高らかにアジテートするのである。



『踊るアホウに見るアホウ♪  同じアホなら踊らにゃソンソン♪』


悩む高円寺ヤングに、このアジテートはさらに追い打ちを掛けるものだ。



このメッセージを小難しく考えると、様々なメッセージが浮上してくる。


自主性の喚起。


逆に連帯感の発揚。


もっとひねった見方をすると、日本人に古くからプログラミングされている

共同体(ムラ)帰属意識に立脚する、付和雷同による思考停止の理論。



でも夏終盤でいちいち高円寺で悩んでる連中にはそんな小難しいこたあどーだっていいのである。


「俺って踊るアホなのか? 見るアホなのか?」


クソ暑い中ディッキーズの黒パンはいて、クレープ(トッピングはチョコバナナ)片手に、

そんなことを遠い目で考え出すのである。




高円寺にはとかく、「俺には才能がある! 俺は何か成し遂げるのだ!」

みたいな奴らが集まる。


そんな中で特に理由もなく落ち込むような連中は、自身の才能や将来にふと

疑問を抱き、高円寺阿波踊りのあのアジテートを受けて、考え込んでしまうのだ。


なぜなら才能は目に見えない。

それまで自分が培ってきた感性も、真に自分のものであるという根拠も無い。


自分が今していることは、本当に価値あることなのか?

それとも価値があると言われていることをして、ただ無為に時間を浪費しているのか?



「俺って踊るアホなの?  見るアホなの?」



5年前の8月下旬、当時バンドをしていた僕は、20000Vの本番前、

高円寺阿波踊りを見ながら、高円寺阿波踊り理論を発見した。


僕とボーカル君は黒のディッキーズでクレープ片手に憂鬱な気分になったものである。


(でも高円寺の次に吉祥寺ラブホのベッドはジメっとしているという

ボーカル君の情報にはもっとゲンナリした。

ベッドメイクのおばちゃんは室内の湿気取りにもっと気を配るように。)



僕は高円寺阿波踊り理論を、なにも表現者だけに限定して考えていない。


バンドやってるやつが偉いとか、びんぼーだけど絵を書いてる奴が偉いとか、

そういうこっちゃないのである。


仕事でも恋愛でも友達関係でもなんでもいい。


僕は人生を大暴れ出来るのかどうか。


生き方として「俺は踊るアホか見るアホか?」

それを考察するのが高円寺阿波踊り理論である。



もっと言ってしまえば、踊るアホが偉いとか、見るアホがダメとか、

そんなこともどーだってよい。

そういうこと言う奴が決まって一番ダメな奴である。


つまり自分の生き方をより楽しくするために、僕は踊るアホなのか見るアホなのか

見極めたいのである。



それを図るためにうってつけのツールがある。



映画

音楽



僕が作品に感動している間は、僕は踊ろうが見ていようが「アホウ」で

居れるのである。


僕が踊るアホウなのか見るアホウなのかは知らない。


但し「アホウ」では居たい。


だって「アホウ」でない限り、阿波踊りを見ることも、踊ることも出来ないのだ。



えっと…もういいかな、今まで書いたこと全部前置きです。



つまり僕今後、

「ネクロマンティックを中3の時見てしょ○べんちびりそうになった」

とか

「クリムゾンの哲学変拍子聞いてたら感動でゲ○吐きそうになった」

とか

「ちょっと気に入った子に鬼のように『蟲』の話をしたら二度とメールが

来なくなった」


みたいなことを述べていきます。



ちゃらんぽらんに。


ネクロマンティック1 完全版 [DVD]/ダクタリ・ロレンツ,ハラルド・ランド,スーシャス・コルテッド
¥5,040
Amazon.co.jp
レッド デビュー40周年記念エディション(紙ジャケット仕様)/キング・クリムゾン
¥4,410
Amazon.co.jp


D坂の殺人事件 (創元推理文庫)/江戸川 乱歩
¥546
Amazon.co.jp


しかしネクロマンティックのジャケットは本当にイカしてるなぁ~