「出会い」と「出逢い」の違いとは? | 【 天国おじい 】

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これまで「出逢い」についておじいの魂論的な話をいくつか紹介してきましたが、「恋愛・結婚・交友・ビジネスなど、どんな出会いも本質は同じだ」とおじいは言います。では、ジャンルを問わない「出逢い」の本質とは何なのでしょうか?

 

細かい話だが、「であい」には「出会い」と「出逢い」という2つの表現があって、(今となっては同じ意義だけど)本来はまったく意味合いが違ったんだ。簡単に言えば、誰かと誰かが知り合うという「事象」が「出会い」で、「何かしらの意味合い」があるのが「出逢い」。その「意味合い」とは何か?がポイントで、「逢」は「豊かさ」も意味しているから、「発展性のある関係性」が出逢いの本質になる。

 

ここで大切なのは、「出逢い」であろうが「出会い」であろうが、「であった」という事象自体は同じで、その後の「関係性の質」で豊かさが変わってくること。恋愛を例にすると分かりやすいのだが、色んな人と「であう」なかで「特定の誰か」と濃密な関係に発展する。結婚は、そこに「共有」「譲り合い」が加味されてくるわけだが、そこに「幸せ」を感じるということは豊かさが内包されている出逢いということになる。

 

何が言いたいのか?と言うと、(上記した意味での)「出逢い」が欲しいなら、ただ「であいたい」と思うのではなく、【「発展性」と「内面・外面での豊かさ」を実現したい】という明確な目的をもって出逢いを祈り・求めること。「私はこういうふうな幸せな毎日をおくりたいので出逢いがほしい」としっかり自分の「幸せ像」をイメージして求めるんだ。

 

そうすると、当人の想いとエネルギーの質が同調するから運が流れる。もしかしたら無目的に「とにかく、であいたい」と出会う事象を求めているのかもしれない。無目的だと「出会い」は起こるが「出逢い」は起こらない。この違いは大きよね。

つまり「意識内容」が現実に影響を与えるということ。意識は目的がないと「単なる状態」でしかないし、無目的な状態を繰り返すから。引き寄せも同じ原理だよね。

 

 

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