永遠のサッカープレイヤー、大越典一先生が95歳の生涯を閉じられました。
大越先生には、助川中の校長時に生徒会やサッカー部でご指導いただきました。大越先生は茨城師範学校を卒業後、助川小学校に着任してから子供達を集めてサッカーを教え始め、故・檜山さんと共に日立市サッカー少年団を創設されました。読売ランドでの少年サッカー全国大会にも出場するなど、日立市の少年サッカーの強化に大きく貢献されました。日本代表としてエースストライカー釜本選手と共にメキシコ五輪で銅メダルを獲得し、初代鹿島アントラーズ監督の宮本征勝さんも教え子の1人です。
その後、大越先生は日立市教育長に就任され、教育力の向上にも手腕を発揮されました。ご自宅に伺うと、その頃の事を良く話されていました。大越先生の手帳には全国で自殺した子供の記事が全て記してあり、学校は子供達を絶対に護らなくてはいかんと強く仰っておられました。そういえば中学校の登校時、ほぼ毎日校長室の前で生徒に声を掛けておられました。毎日生徒の様子を見て、顔色が優れない生徒がいれば担任に留意するよう指導していたそうです。また、家庭環境が複雑で身支度が出来ない女子生徒には、女性教師を付けて母親役を担ってもらった事など、そこまでして子供達を思って育ててくれたのだと胸が熱くなりました。
助川小学校の一角には、戦没者の慰霊碑が今でも残されています。茨城師範学校の同期が艦砲射撃で犠牲となり、毎年大越先生は慰霊を欠かさず、志半ばで犠牲となった同期の分も、情熱を持って教育に取り組んだそうです。
大越先生の様な教師を目指していた時期もありましたが、今日私があるのは大越先生のご指導の賜物です。昨年までは普段と変わらないご様子でしたが、節分の頃に家族に見守られて旅立たれました。
これからは師範学校の仲間と再会し、天国のピッチで思う存分サッカーを楽しんでいただきたいと願っています。大越先生、本当にありがとうございました。
謹んで御冥福をお祈り致します。