去る6月5日、84歳でご逝去された庄山悦彦さんのお別れの会が、ホテルニューオータニで開かれました。

庄山さんが、工場長として勤務した栃木と日立でも同時に開かれたとのことでした。

日本が核融合炉J Tー60の開発に着手した時、その製造を担当したのが日立製作所の庄山さんだったと父から聞かされています。

 

今では、その2号機であるJ Tー60SAを整備中です。

時折、議員会館にお越し頂いて様々なお話を伺っていたとき、心底から日本の科学技術の将来を心配しておられました。

私の選挙も心配して下さり、かつての部下に電話をしてくださっていたと、後から聞きました。

庄山さんは、いつもニコニコとした笑顔の印象で、周囲を明るくするキャラクターの方でした。そのお人柄を慕って、本当に多くの方が、お別れの会に来られていました。

 

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。