人は本来、善なるものか、悪なるものか。
声高に性善説を唱える人には会ったことがないが、
「善人なんていないんだよ。みんな腹の奥じゃ何考えてんだか分かんない。あー、怖い怖い」というような文脈で性悪説が語られるのは聞いたことがある。
でも、そんな両極端に考えなくて良いと思うんです。
完全なる善人も、
完全なる悪人も、
そんなにたくさんはいないように思う(少しはいらっしゃいます)。
ほとんどの人は、
ちょっぴり善人寄りか、
ちょっぴり悪人寄りかだ。
友人がタンスの角に小指をぶつけたとする。
そんな大怪我じゃない。
とはいえ、まったく痛いわけでもない。
「いってぇ~~!」と友人は悶絶している。
それを見たとき、とっさに、
「大丈夫!?」と心配する人は、
ちょっぴり善人寄りだ。
そのあと、そこまで大怪我ではないことを確認したら、
「何やってんだよ、どんくさいな~笑」と笑うこともあるかもしれない。
逆に、とっさに、
「ぷぷっ」と笑ってしまう人もいる。
悪意はない。馬鹿にする気もない。
無意識にとっさに笑ってしまう人。
そういう人はちょっぴり悪人寄りだ。
そのあと、「も~う、大丈夫かよ~」と心配するかもしれない。
大事なのは初動だ。
この「とっさ」の行動によって、
人はちょっぴり善人寄りと、ちょっぴり悪人寄りに二分される。
ちょっぴり善人寄りの人と、
ちょっぴり悪人寄りの人は、
基本的には共に生きていけるが、
ふとした瞬間、感性がずれる。
私は自分のことをちょっぴり善人寄りだと思ってるが、
こうして感性がずれた際、
そのことに気づいて、少なからず傷つくのは、
ちょっぴり善人寄りの人間だと思う。
ちょっぴり悪人寄りの人々は、
「人は皆、ちょっぴり悪人寄りである(もしくは完全なる悪人である)」
と思っていることが多いからだ。
そういう人に、
「ちょっぴり善人寄りもいるよ」
「私はちょっぴり善人寄りだ」
と反論しても、
「馬鹿言ってら」というリアクションが返ってくるのがオチだ。
「本当の善人は自分のことを善人とは言わない」という根拠のないことを言ってくる。
どうですか皆さん、「本当の善人は自分のことを善人とは言わない」ってよく聞きますよね?
でも、これの根拠ってなんですか?
ちょっと考えてみてください。
根拠ないんです。
でもよく使われる言い回しなんです。
よく使われる言い回しなので、正しいような気がしてくるんです。
もちろん、
「たとえば、100点満点中、80点ほどの善行をしたとして、真に善人でない人は『80点分も善行をしたぜ!俺えらい!俺善人!』となるかもしれないが、真に善人である人は『私は80点分しか善行ができなかった。私は善人ではない』となるから、真に善人たる人は自分を善人とは言わない」
ということも言えなくはないが、
善人で、なおかつ、自分の善が世間と比べてどれぐらいのものなのかを客観的に正しく判別できる人も、
この世にはいるだろうと思う。
善人をなめるなよ。
「本当の善人は自分のことを善人とは言わない」だなんて、まるで善人はみんな自己分析ができないみたいじゃないか。
しかも今回私が言いたいのは、
善人ですらなく、
ちょっぴり善人寄りなのである。
ちょっぴり善人寄りであり、
なおかつ、
自分がちょっぴり善人寄りであることを正しく自己分析できる人間がいたって良いじゃないか。
というか、いるだろう。
また、自分が善人か悪人か、という話と並行して、
というかそこに端を発して、
他人を善と思うか悪と思うかという話もある。
これもまた同じで、
「この世の人間はみんな善人(悪人)だ!」
という人もいないではないが、
そんなに見たことがない(どちらかと言うと完全なる性悪説論者の方が出会う)。
だいたいみんな、
「世の中には悪い人もいるってのは分かってるよ。でも、まぁ、だいたいの人はそんなに悪いこと考えてないんじゃないかなぁ」か、
「世の中には良い人もいるってのは分かってるよ。でも、まぁ、だいたいの人はそれなりに悪いこと考えてるんじゃないかぁ」だろう。
それらを、ほんのり性善説・ほんのり性悪説と呼ぶことにする。
そして、ちょっぴり善人寄りの人はほんのり性善説を唱えることが多いし、
ちょっぴり悪人寄りの人はほんのり性悪説を唱えることが多い。
基本的に、自分が基準になっているからである。
自分が、ちょっぴり善人寄りだからこそ、周りの人間も、よほどのことがない限り、そんな悪いことを考えてなさそうに見えるし、また、そうであってほしい。なので、ちょっぴり悪人寄りの人の発言に心痛める。
自分が、ちょっぴり悪人寄りだからこそ、周りの人間のことも悪いことを考えているように見えるし、そうだと確信している。なので、ちょっぴり善人寄りだと自称する人間はうそつき(でないとしたら愚か)に見える。
ここまでの文章を読んでくれて納得いてくれた方はありがとう。
しかしほとんどの人類は、この文章を読んでいない(か、もしくは読んだが納得できなかったか)ので、
ちょっぴり善人寄りで、なおかつ、ほんのり性善説論者で、そのことを正しく自己分析できている(つもりの)私は、
今後も行きにくい世の中を生きていくことになるであろう。