暑い毎日が続いています。汗拭き用の手ぬぐいが,本当にびっしょり。絞ると汗が滴る。ただ,今朝も立川の改札を抜けたら,西の方から心地よい風が吹いてきました,昨日は,ほんのつかの間としか感じませんでしたが,本日はしばらく心地よさを味わいました。

 行きかえりの道筋,都知事選のポスター掲示版を数か所で見かけます。張ってないスペースが多く思えますね。問題になるような,ポスターを張るような候補者が何人かおり,警察から注意をされたとも聞きます。立候補者が50人以上で,ポスター掲示板のスペースが足りなくなり,遅れて立候補された方は自分で作成して掲示板外に手作りで張るようになっているという話も耳にしました。ポスターを張るほうも管理する方も…,そんな話を聞いていると,バリバリ昭和時代の私などにとっては,大げさな表現ですが,「世も末だなあ…」,と考えてしまいます。

 

 張るほうで言えば,選挙用のポスター掲示板に,「他のヒトの写真」や,「子供に見せられないような写真」,を張るなんて,おまけに,「そのスペースを人に貸してお金を頂く」,なんてこと,法律とか関係なく,だれが考えたって,普通じゃないと思いませんか?規則に書いてないから,やっていいというものではないと思います。いくら価値観が変わってきたからと言っても,何でも許されるものではない。

 同時に,管理する方・報道の対応も今一つ納得いきません。ちゃんとした選挙管理委員会もあって,選挙が行われるのであれば,期限内に正規に立候補されたヒト達に対してはやはり平等に,ポスター掲示板の貼付場所を責任をもって確保するのが普通だと思います。「予想以上に立候補者が多数になったから,張る場所が追い付かない」。そのために立候補者が手作りで張る場所を作る,笑止千万ですね。発展途上国ではあるまいし…。

 

 書いている途中,今回のようなことって何と表現すればよいのかなと思い,「不文律」という言葉が頭をよぎり調べてみました。

 

不文律とは『口に出して明言しないものの,言葉にしなくてもみなが了承しているさま』,と理解しました。

 ただ,あくまでも,集団や組織の間に発生する概念であり個人の中には存在しない,「ここではこうするべきだ」という規範のようなものだそうだ。「皆が了承しているさま」と定義されているように,暗黙の了解(暗黙のルール)がいつしか理解されない不文律となり組織の力を弱め,成長を阻害す要因になってしまうことが問題で,そのような状況を変えるため,その不文律を変えるべくコミュニケーションの見直しを図るべきである。(「#コミュニケーション#チームビルディング#組織開発)」より抜粋)

 

 上記の抜粋した文章のように,不文律とは,どちらかというとnegativeにとらえられているものが多いように書かれているかなと思いました。確かに,「忖度」,「年功序列」など,悪弊もあるでしょう。しかし,組織・社会に対して「相手を気遣ったり」,「これはまずいだろうな」,なんてことはやるべきではないでしょう。

 

ここで不文律を定義するのも変なのかもしれませんが,社会生活を行っていくための最低限のルールとして立候補された個人,選挙を管理する組織の方々は不文律をもう一度思い返し,事に当たってほしいと思いました。

 

 以上,2024.6.27 朝に書いておりましたが投稿せず,今日まで至ってしまった。

 今朝は,これの手直しをしている時,家の前に住んでいる,小2と1歳半の孫がやってきて,邪魔をされました。

 でも,朝からかわいい孫たちに会えるとなんだか元気が出て,頑張らなきゃって気になります。

 

今日も頑張っていきましょう。

 

2024.7.3 朝  Y.Ishii