人の世には道は一つという事はない。道は百も千も万もある | 石原まい子の赤と黒の履歴書

石原まい子の赤と黒の履歴書

夢がある人にはやる気があり
やる気がある人には目標がある
目標のある人には計画があり
計画のある人には行動がある
行動がある人には結果があり
結果がある人には反省がある
反省がある人には未来があり
未来がある人には夢がある♪

生きることは呼吸することではない、行動することだ

 
秩父市にある三峰山に鎮座する三峯神社は秩父三社の中の一社であり、狛犬が狼という珍しい神社として有名です
 
 
当山大縁起によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりと伝わります。
 
 
 
 
 

景行天皇の命により東国平定に遣わされた尊は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中三峯山に登り、山川が清く美しい様子をご覧になり、国をお生みになられた二神をおしのびになって仮宮を建てお祀りし、この国が永遠に平和であることを祈られました。

 

この時、尊を道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神様の使いとして一緒にお祀りされています。

 

その後、景行天皇は日本武尊が平定した東国を巡幸された折に三峯山に登られ、三山高く美しく連らなることから「三峯の宮」の称号をたまわりました。

 
 

降って文武天皇の時、修験の祖役小角(おづぬ)が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。

淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、社殿の脇に本堂を建て本地堂としました。

こうして徐々に佛教色を増し、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。

 

 
 
鎌倉期から畠山重忠などの東国武士を中心に篤い信仰をうけていましたが、正平7年(1352)足利氏を討つ兵を挙げた新田義興・義宗等が、戦い敗れ当山に身を潜めたことから、社領を奪われ、山主も絶えて、衰えた時代が140年も続きました。
 
 
文亀二年(1503)、修験者月観道満がこの荒廃を嘆き、27年という長い年月をかけて全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。
 
 
天文2年(1533、)山主龍榮が京都の聖護院へ参じ、「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。
 
狛犬ではなく、です
オオカミは“大神”とも書きます。動物界では徳の高い神様の遣いとして知られています。
 
ヤマトタケルを導いたのが狼キラキラ
 
三峯神社は標高約1100メートル
 
クローバー御祭神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉册尊(いざなみのみこと)
配祀神
造化三神と呼ばれる3柱
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)宇宙と繋がる神様 厄除、長寿
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)創造神、男女の縁結びを司る
神産巣日神(かみむすひのかみ)創造神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)太陽神、日本の祖神
 
 
いたるところに龍神さまキラキラ
 
色鮮やかですねキラキラ素晴らしい
 
 
 
神域
 
 
三峯神社は修験道の場でもあり厳しさのある神社として崇拝されてきました。”呼ばれる人”はそれなりに頑張っている人とも言われれてるようです。
 
 
創建は第12代・景行天皇の皇子である日本武尊と伝えられています。

 

今から約1900年前、東征の際に甲斐・酒折宮から雁坂峠を越えて碓氷峠に向かう途中、東国の平安を祈りこの地に伊弉諾尊・伊弉册尊の二神をお祀りされたのが始まりです。

本体5.2mの高さの銅像。左手に持っている剣は三種の神器「草薙の剣」

 

続く