2019年7月1日:ホーム・スイート・ホームⅡ | たっくう投げ釣りと日々

たっくう投げ釣りと日々

大好きな投げ釣りと、日々の忘備録です。
最近物忘れが激しいのであります。

(前回からの続き)

隠そうとしても隠し切れない、僕の”シロートオーラ”がきっかけでした。

牛窓で「博士」に声を掛けていただき、そのまた紹介で、僕は「泰皇夢庵」へ出入りさせていただくようになったのです。

 

ひと月かふた月に一度、「いらっしゃいますか?」と電話を掛けて、「おーっ、おるよ」と返事があったらお邪魔して、コーヒーをごちそうになりながら一時間かそこらお話して帰る、そんな感じでした。

 

 

当時の泰皇夢さんは諸事情あって殆ど釣りに出かけず、工房で友達からの依頼を請け負って竿をモディファイしたり、例の”珠玉の”仕掛けを作っていたり、教えを乞うためにやってきた人へ、「道場」でキャスティングを指南していたりする毎日を過ごされていました。

 

なので、僕も釣りにご一緒したことは一度もなくて、大抵突然電話かショートメールで、「○○で○○が今釣れとるよ」なんて教えてくれて、「じゃぁこれから行きます!」と返事をすると、「○○へ行ったら○○という男が釣っとる。よう云うとくけぇそいつに色々教えてもろうて。。。」こんな調子でした。

 

そして実際に行ってみると確かにそれらしい人がいる。。恐る恐る声を掛けると、「おー聞いとるよ」とおっしゃって、ポイントの事、仕掛け、釣り方、本当に色んな事を教えていただきました。

一度は深夜の波止で、キャスティングの熱血指導を受けたこともあります。ヘタすぎてみておられんって。←ホントにこう云われました(^_^;)。

 

<かならず寄ってくるにゃんこ>

 

そうやって一年以上経ったある日、ある方から「あの人」がかつてキャスティング競技のチャンピオンだったことを聞いたんですね。

 

びっくりしましたよ(@_@。!、、もちろん一度でも工房を訪れたことのある人なら、タダものではないのは判りますが、まさかそういう「オフィシャルな人」だとは夢にも思っていなかったんです。

単に投げ釣りにハマり過ぎて、「こんなこと」になっちゃった人だ、と勝手に整理していたんですね。

 

驚いた僕がそのことを尋ねると、「今はただのオジンや」といって笑いながら、二枚のDVDを「帰ったら観て」といって手渡してくれました。

 

それがこれです。

これは泰皇夢さんがカテゴリー優勝した2008年全日本サーフキャスティング大会の映像を収めたものです。

 

ご本人によると、「いつまでもワシらが出しゃばっとったらイカンと思うて出るつもりもなかったが、どうも偉そうなことを言うとるヤツがおるらしい。それでペシャンといわしてやろうと思うて、やってやったわ」と笑っておられました。当時、既に還暦越えてらっしゃいます(@_@。

 

更にびっくりしたのがこちらの映像です。ちなみにDVDのラベルは1998年のシマノ投カタログで、表紙は泰皇夢その人であります。ひえ~なんてこった(+o+)、、、僕、このカタログ持ってましたよ。あなただったんですかこの写真(*_*;

 

映像は1995年当時、シマノのスポンサードで放映されていた「シマノ釣りロマンを求めて」という番組で、ご本人によるスペシャルなキャスティング映像が収録されています。

 

<当時マザーテープからVHSへコピーしたものですね>

いわゆる釣りガールのはしりでしょうか?初心者の女性にベテランが釣り指南、という番組構成は25年前もまったく同じです。今と違うのは「釣りガール」がずいぶんとゴツイ。調べてみるとすごく有名な女子プロレスラーの人でした。

インターラインも懐かしいです。番組中では「遂に投げ釣りも新時代を迎えた」なんて紹介されていますが、当時の人が今を知ったら。。。

 

ですね。

 

でたー!泰皇夢さん。わ、若いwwww

 

キャスティング部長。。。(゜o゜)

 

ここからです。ご覧ください。


 

別アングルから、もう一度

かっこいい。。。特に最後の一枚、足の角度がセクシーです。

こりゃモテるわ。。。

 

専門的なことはまるで判りませんが、僕にとっては永久保存すべき動画ですね。

 

実は、これらの画像を紹介したくて、二回に渡りブログを書いてまいりました。

 

お知り合いになってわずか3年程でしたが、この間にかなり僕は投げ釣りが「らしく」なったと思っています。それでこんなもんだから、以前はもっともっと惨憺たる有り様だったわけです。

 

帰任が決まって引っ越し荷物を送りだし、大家さんに鍵を返した後、工房へご挨拶に伺いました。手間暇掛けた大量の仕掛けを「餞別じゃ(笑)」といって手渡してくれて、僕はスイートホームに別れを告げ、かなりゲンナリしながら海のない土地へと向かったのでした。