うごく七夕まつり@岩手県陸前高田市
もう二カ月以上も前の事ですが
参加してくれた皆さんへの感謝の意味も込めて書きたいと思います
異常に長いので
ご興味のある方だけご覧いただければと思います…
8月6日、7日、高田小学校にて
6月に炊き出しで陸前高田を訪れた際
地元の「うごく七夕まつり実行委員会」の方から
協力の相談を受けました
陸前高田では勇壮な山車を引いて練り歩く
七夕祭りが各町で伝統的に行われてきましたが
今回の大津波で街が壊滅状態になり
山車も多くが流されてしまいました。
しかし祭りは東北の人々にとって特別な行事
なんとしても開催したいという思いは強いものの
飲食の屋台などを出すほどまで復興していないのが実情
そこで東京の飲食店などに参加してもらえないかという
相談をいただきました。
宮城県に比べれば
比較的岩手の方が復興が進んでると言われていますが
なんせこの状態です…
そもそもの被害が甚大すぎますから
復興は長い道のりです
なんでもない空地に見えるかもしれませんが
この辺は建物が流されて、
基礎だけが残っている状態です…
少しでもお役に立てるならと引き受けたものの
僕だけでは何のお役にも立てませんので
いろんな飲食店に協力を呼び掛けました
しかし残念ながら
「炊き出しならともかくお祭りじゃ…」
という返答が多く、ちょっと難航しそうな気配が漂いました
被災地の方々も、ただ衣食住を満たすだけでは生きていけません
喜びや楽しみも必要だし、
何より未来への希望が必要で、
それを実感するのには
あの大震災から半年でお祭りが実行出来たというのは
大きな希望につながると思うので
意義のある事だと思ったのですが
残念ながら僕の伝え方が上手じゃなかったのだと思います
そんなとき、力になってくれたのは
やはりラーメン業界の人々でした
声をかけたラーメン店のほとんどが二つ返事でOKしてくれました
なかには僕がツイッターでこの件に呟いたのを見て
自ら名乗り出てくれたお店も
震災以降、全国の多くのラーメン店が
被災地へ炊き出しや物資配送に向かっていましたが
今回も皆さんに即答いただき
被災地の皆さんを裏切ることにならず、
本当に助かりました
こちらは、つけ麺元祖「大勝軒」
五反田店の方が参加してくれました
関西からは全国的な豚骨のカリスマ
「無鉄砲」さんが特製のチャーシュー炭火焼きで参加
赤迫代表自ら車で駆けつけてくれました
宮崎風をアレンジした地鶏もも焼きです
無鉄砲さんは僕のツイッターを見て、
すぐに参加表明してくれました
今回、参加店探しに一番苦しんだのがカレーです
我々が参加した地域の七夕まつりでは
お祭りの後で子供にカレーを振る舞う慣習があるそうで
どうしてもカレーを出してほしいという希望をいただきました
しかしカレー店は夏場が繁忙期という事もあり
どこのお店に聞いても、
カレー関係の仕事をしている知人に聞いても
良い返事はいただけませんでした
そんな中、TVチャンピオンのカレー職人選手権をはじめ
数々のコンテストやランキングで優勝常連の
市谷の名店「パク森」さんが即答でOKしてくれました
カレーの味はについてもいろいろ悩んだ結果
お年寄りや子供も多い事を考え
甘めのマイルドなカレーに仕上げてくれました
もちろん絶品♪
こちらは埼玉ラーメン有志のブース
311以降の絆キッチンでの炊き出しも含めて
毎回大勢で参加してくれて、本当に助かってます。
今回も二日間合わせて多くの店舗から
大勢のスタッフが参加してくれて
他のブースも手伝ってくれて大助かりでした
これまでの炊き出し経験や季節を考え
今回はアッサリ目の醤油ラーメンを提供
参加店舗は「中華蕎麦瑞山」「中華そば専門とんちぼ」「麺屋信玄」
「麺家うえだ」「和風ラーメン凪」
「麺匠喜楽々」「笑堂」「手打ちうどん如水」の面々です
豚骨醤油ラーメンでの参加は
池尻や八幡山で人気を博す「誠屋」です
今回は戸越銀座の「えにし」さんと共に
保冷車まで出して参加してくれたので
二日目に参加する店舗のカレーを回収して保管してくれたり
本当に助かりました。
炊き出しも何度も行っているので手際抜群です
目黒の塩ラーメン店「あいうえお」さんは
子供のためにワタアメで参加してくれました
こちらも震災以降、
頻繁に炊き出しを行っていて頭が下がります
ちなみにこちらの社長は、
僕が通っていた中学のすぐ近所の中学校で、
二日目、ちょっとしたドラマが…
こちらは我々のブース
前回の陸前高田の炊き出しも手伝ってくれた
TVディレクター長沼氏が
舎弟の太田氏を連れてやって来てくれました
彼とは20代前半の頃にTVで知り合ったのですが
年齢も一緒で中学も同じ世田谷という事で
なんだかんだ15年くらい交流が続いています
「料理の鉄人」などを担当していた事もあって料理には詳しく
今回はお好み焼きを担当
ちなみにどのブースも被災者の皆さんは無料
観光客など外部の方だけ募金をという呼びかけだったのですが
(集まった募金は全額、実行委員の方にお渡ししました)
それでも被災者の方も「無料では気が済まないから」
と言って募金しようとします
“0円”を大きくアピールしても、
皆さん、なんとしても募金しようとするんです
東北の人達の律義さには本当に舌を巻くしかありません
1日目は無事に終了
美しく勇壮な山車
こんな素晴らしいお祭りに参加できて
本当に良かったです
しかし、参加してくれた皆さんの中には
喪服姿の方が多かったのも忘れられません
311で亡くなった遺族の方の
初盆の供養の意味も込めて、
足を運んでくれた方も大勢いたようです
七夕祭りは明日への希望を養うと同時に
亡くなった方々への鎮魂の意味も大きいのだと思います
二日目もスタートです
こちらは「麺や七彩」さんのブース
七彩さんも一日目から手伝ってくれています
震災以降は南三陸を中心に腰を降ろして
積極的に支援活動を行っています
以前、南三陸の炊き出しも手伝ってくれた
津田沼の人気焼鳥店「きんちゃん家」は
仲間の九州ラーメン店「南木商店」さんや
渋谷の焼き鳥店「ぐりどっちん」さんと共に
いくつものブースを出してくれました
輪投げ等のゲームスペースから…
冷製パスタ、カキ氷、
さらにお客さんの流れを見て
即興でキュウリの一本漬けを作るなど
獅子奮迅の活躍です
1日目に引き続きの「誠屋・えにし」チーム
この日は戸越銀座「えにし」の
丸鶏と煮干しを大量に使った贅沢なラーメンです
我々のお好み焼きブースは
長沼・太田に加えて亀田氏が参戦
「東京Vシュラン」の黄金ディレクター陣です
唯一の飲食素人ブースでしたが
干し海老と紅ショウガを超大量に使った
「紅のお好み焼き」が思いのほか好評でした(^^;)
渋谷や新宿、さらに香港でも大人気の
「ラーメン凪」さんです
凪は震災以降、南三陸に深く根を降ろして
どうすれば現地の復興に役立てるか考え
地道に根気よく現地に張り付いて活動しています
代表の生田氏をはじめスタッフ何人もが
長期間にわたって南三陸の歌津で寝泊まりし
復興支援活動を行っています
本当に頭が下がります
1日目に書いた、ちょっとしたドラマ…
ま、凄く個人的な事ですが(^^;)
今回「あいうえお」の二日目に参加してくれた彼は
「あいうえお」社長の同級生で
炊き出しに一緒に参加している縁で、
今回も二日目に参加してくれたのですが
実は僕とはただならぬ縁がありまして…
僕が通っていた中学と彼の中学は仲が悪く
特に僕と彼は激しくトラブったのですが
逆にそれで卒業後は仲良くなりました
若い頃には、僕があるライブに参加した際
彼は偶然にもスタッフ側で参加していたりして
ちょっと縁を感じるような出会い方をしたのですが
まさか遠く離れた岩手のお祭りで会おうとは…
さらに驚いたのが
まぁ今や彼は僕と違って結婚し子供もいるので
あまり詳しく書くのは控えますが
中学時代の彼は野獣のような恐ろしい男だったので
ワタアメの列に並ぶ子供とジャンケンして喜ばせる姿を見て
「人は時間で変わるんだ」と、ひしひしと実感しました。
ちなみに彼がちょっと休憩している間に
僕が代打でワタアメを担当した時間もあったのですが
子供のテンションの下がり方が半端なかったです…
子供の心を掴むのは難しいですね…(;_;)
2日目のカレーは
渋谷のカリスマ焼肉店「ゆうじ」と
池尻の予約が取れないフレンチ「OGINO」を半分ずつ
お店の方は参加できませんでしたが
カレーは二つ返事で提供していただきました。
「ゆうじ」さんは超狭い厨房で
この日のために無理をして大量のカレーを仕込んでくれました
「OGINO」さんは震災以降、
各所の炊き出しにカレーを提供しています
運んでくれたのは「えにし・誠屋」チーム、
調理・提供してくれたのは「埼玉ラーメン有志の会」です
大勢の皆さんの心意気が詰まったカレーです
埼玉の皆さんは2日目はラーメンのブースがないにも関わらず
このために参加してくれて、
本当に助かりました
二日目も無事終了しました
参加してくれた皆さんのおかげです。
そして、なんと言ってもこのお祭りを実行出来たのは
仙台のラーメン店「五福星」さんのお陰です
機材の貸し出しからセッティング、トラブル処理まで、
何から何まで五福星さんがやってくれました
五福星さん自身、仙台で被害に遭った立場ですが
震災以降、被災地への支援をずっと行っています
そして、全国のラーメン店が炊き出しなど行う際のサポートも。
実際、他所の支援を行っていられる状況じゃないと思いますが
今回も何から何まで手伝ってくれて
感謝の言葉もありません。
こんな事を書かれるのは本意じゃないかもしれませんが
店主の早坂氏は数年前に事故で片腕を無くしてますし
その上で被災し、想像を絶する大変さだと思いますが
それでも他人の力になろうとする姿勢は
僕ごときではちょっと理解できません
本当にありがとうございました
山車にはこんな短冊が貼られてました
我々が被災地の役に立てることなんて
本当に微々たるもの、
焼け石に水にしかならないと思いますが
このお祭りが少しでも被災者の皆様の
希望に繋がればと思います
今回の「うごく七夕まつり」は
他にも大勢の皆様が協力してくれました。
ここにご紹介させていただきます
赤穂化成(ドリンク提供)
日清製粉(食材提供)
(有)Y&S(資金援助)
マルサヤ(食材提供)
幹書房(ポスター作製)
どれ味(食材提供)
ケーピーコーポレーション(厨房器材提供)
(敬称略)
皆様、本当にありがとうございました。
被災地の復興を心より願います。
もう二カ月以上も前の事ですが
参加してくれた皆さんへの感謝の意味も込めて書きたいと思います
異常に長いので
ご興味のある方だけご覧いただければと思います…
8月6日、7日、高田小学校にて
6月に炊き出しで陸前高田を訪れた際
地元の「うごく七夕まつり実行委員会」の方から
協力の相談を受けました
陸前高田では勇壮な山車を引いて練り歩く
七夕祭りが各町で伝統的に行われてきましたが
今回の大津波で街が壊滅状態になり
山車も多くが流されてしまいました。
しかし祭りは東北の人々にとって特別な行事
なんとしても開催したいという思いは強いものの
飲食の屋台などを出すほどまで復興していないのが実情
そこで東京の飲食店などに参加してもらえないかという
相談をいただきました。
宮城県に比べれば
比較的岩手の方が復興が進んでると言われていますが
なんせこの状態です…
そもそもの被害が甚大すぎますから
復興は長い道のりです
なんでもない空地に見えるかもしれませんが
この辺は建物が流されて、
基礎だけが残っている状態です…
少しでもお役に立てるならと引き受けたものの
僕だけでは何のお役にも立てませんので
いろんな飲食店に協力を呼び掛けました
しかし残念ながら
「炊き出しならともかくお祭りじゃ…」
という返答が多く、ちょっと難航しそうな気配が漂いました
被災地の方々も、ただ衣食住を満たすだけでは生きていけません
喜びや楽しみも必要だし、
何より未来への希望が必要で、
それを実感するのには
あの大震災から半年でお祭りが実行出来たというのは
大きな希望につながると思うので
意義のある事だと思ったのですが
残念ながら僕の伝え方が上手じゃなかったのだと思います
そんなとき、力になってくれたのは
やはりラーメン業界の人々でした
声をかけたラーメン店のほとんどが二つ返事でOKしてくれました
なかには僕がツイッターでこの件に呟いたのを見て
自ら名乗り出てくれたお店も
震災以降、全国の多くのラーメン店が
被災地へ炊き出しや物資配送に向かっていましたが
今回も皆さんに即答いただき
被災地の皆さんを裏切ることにならず、
本当に助かりました
こちらは、つけ麺元祖「大勝軒」
五反田店の方が参加してくれました
関西からは全国的な豚骨のカリスマ
「無鉄砲」さんが特製のチャーシュー炭火焼きで参加
赤迫代表自ら車で駆けつけてくれました
宮崎風をアレンジした地鶏もも焼きです
無鉄砲さんは僕のツイッターを見て、
すぐに参加表明してくれました
今回、参加店探しに一番苦しんだのがカレーです
我々が参加した地域の七夕まつりでは
お祭りの後で子供にカレーを振る舞う慣習があるそうで
どうしてもカレーを出してほしいという希望をいただきました
しかしカレー店は夏場が繁忙期という事もあり
どこのお店に聞いても、
カレー関係の仕事をしている知人に聞いても
良い返事はいただけませんでした
そんな中、TVチャンピオンのカレー職人選手権をはじめ
数々のコンテストやランキングで優勝常連の
市谷の名店「パク森」さんが即答でOKしてくれました
カレーの味はについてもいろいろ悩んだ結果
お年寄りや子供も多い事を考え
甘めのマイルドなカレーに仕上げてくれました
もちろん絶品♪
こちらは埼玉ラーメン有志のブース
311以降の絆キッチンでの炊き出しも含めて
毎回大勢で参加してくれて、本当に助かってます。
今回も二日間合わせて多くの店舗から
大勢のスタッフが参加してくれて
他のブースも手伝ってくれて大助かりでした
これまでの炊き出し経験や季節を考え
今回はアッサリ目の醤油ラーメンを提供
参加店舗は「中華蕎麦瑞山」「中華そば専門とんちぼ」「麺屋信玄」
「麺家うえだ」「和風ラーメン凪」
「麺匠喜楽々」「笑堂」「手打ちうどん如水」の面々です
豚骨醤油ラーメンでの参加は
池尻や八幡山で人気を博す「誠屋」です
今回は戸越銀座の「えにし」さんと共に
保冷車まで出して参加してくれたので
二日目に参加する店舗のカレーを回収して保管してくれたり
本当に助かりました。
炊き出しも何度も行っているので手際抜群です
目黒の塩ラーメン店「あいうえお」さんは
子供のためにワタアメで参加してくれました
こちらも震災以降、
頻繁に炊き出しを行っていて頭が下がります
ちなみにこちらの社長は、
僕が通っていた中学のすぐ近所の中学校で、
二日目、ちょっとしたドラマが…
こちらは我々のブース
前回の陸前高田の炊き出しも手伝ってくれた
TVディレクター長沼氏が
舎弟の太田氏を連れてやって来てくれました
彼とは20代前半の頃にTVで知り合ったのですが
年齢も一緒で中学も同じ世田谷という事で
なんだかんだ15年くらい交流が続いています
「料理の鉄人」などを担当していた事もあって料理には詳しく
今回はお好み焼きを担当
ちなみにどのブースも被災者の皆さんは無料
観光客など外部の方だけ募金をという呼びかけだったのですが
(集まった募金は全額、実行委員の方にお渡ししました)
それでも被災者の方も「無料では気が済まないから」
と言って募金しようとします
“0円”を大きくアピールしても、
皆さん、なんとしても募金しようとするんです
東北の人達の律義さには本当に舌を巻くしかありません
1日目は無事に終了
美しく勇壮な山車
こんな素晴らしいお祭りに参加できて
本当に良かったです
しかし、参加してくれた皆さんの中には
喪服姿の方が多かったのも忘れられません
311で亡くなった遺族の方の
初盆の供養の意味も込めて、
足を運んでくれた方も大勢いたようです
七夕祭りは明日への希望を養うと同時に
亡くなった方々への鎮魂の意味も大きいのだと思います
二日目もスタートです
こちらは「麺や七彩」さんのブース
七彩さんも一日目から手伝ってくれています
震災以降は南三陸を中心に腰を降ろして
積極的に支援活動を行っています
以前、南三陸の炊き出しも手伝ってくれた
津田沼の人気焼鳥店「きんちゃん家」は
仲間の九州ラーメン店「南木商店」さんや
渋谷の焼き鳥店「ぐりどっちん」さんと共に
いくつものブースを出してくれました
輪投げ等のゲームスペースから…
冷製パスタ、カキ氷、
さらにお客さんの流れを見て
即興でキュウリの一本漬けを作るなど
獅子奮迅の活躍です
1日目に引き続きの「誠屋・えにし」チーム
この日は戸越銀座「えにし」の
丸鶏と煮干しを大量に使った贅沢なラーメンです
我々のお好み焼きブースは
長沼・太田に加えて亀田氏が参戦
「東京Vシュラン」の黄金ディレクター陣です
唯一の飲食素人ブースでしたが
干し海老と紅ショウガを超大量に使った
「紅のお好み焼き」が思いのほか好評でした(^^;)
渋谷や新宿、さらに香港でも大人気の
「ラーメン凪」さんです
凪は震災以降、南三陸に深く根を降ろして
どうすれば現地の復興に役立てるか考え
地道に根気よく現地に張り付いて活動しています
代表の生田氏をはじめスタッフ何人もが
長期間にわたって南三陸の歌津で寝泊まりし
復興支援活動を行っています
本当に頭が下がります
1日目に書いた、ちょっとしたドラマ…
ま、凄く個人的な事ですが(^^;)
今回「あいうえお」の二日目に参加してくれた彼は
「あいうえお」社長の同級生で
炊き出しに一緒に参加している縁で、
今回も二日目に参加してくれたのですが
実は僕とはただならぬ縁がありまして…
僕が通っていた中学と彼の中学は仲が悪く
特に僕と彼は激しくトラブったのですが
逆にそれで卒業後は仲良くなりました
若い頃には、僕があるライブに参加した際
彼は偶然にもスタッフ側で参加していたりして
ちょっと縁を感じるような出会い方をしたのですが
まさか遠く離れた岩手のお祭りで会おうとは…
さらに驚いたのが
まぁ今や彼は僕と違って結婚し子供もいるので
あまり詳しく書くのは控えますが
中学時代の彼は野獣のような恐ろしい男だったので
ワタアメの列に並ぶ子供とジャンケンして喜ばせる姿を見て
「人は時間で変わるんだ」と、ひしひしと実感しました。
ちなみに彼がちょっと休憩している間に
僕が代打でワタアメを担当した時間もあったのですが
子供のテンションの下がり方が半端なかったです…
子供の心を掴むのは難しいですね…(;_;)
2日目のカレーは
渋谷のカリスマ焼肉店「ゆうじ」と
池尻の予約が取れないフレンチ「OGINO」を半分ずつ
お店の方は参加できませんでしたが
カレーは二つ返事で提供していただきました。
「ゆうじ」さんは超狭い厨房で
この日のために無理をして大量のカレーを仕込んでくれました
「OGINO」さんは震災以降、
各所の炊き出しにカレーを提供しています
運んでくれたのは「えにし・誠屋」チーム、
調理・提供してくれたのは「埼玉ラーメン有志の会」です
大勢の皆さんの心意気が詰まったカレーです
埼玉の皆さんは2日目はラーメンのブースがないにも関わらず
このために参加してくれて、
本当に助かりました
二日目も無事終了しました
参加してくれた皆さんのおかげです。
そして、なんと言ってもこのお祭りを実行出来たのは
仙台のラーメン店「五福星」さんのお陰です
機材の貸し出しからセッティング、トラブル処理まで、
何から何まで五福星さんがやってくれました
五福星さん自身、仙台で被害に遭った立場ですが
震災以降、被災地への支援をずっと行っています
そして、全国のラーメン店が炊き出しなど行う際のサポートも。
実際、他所の支援を行っていられる状況じゃないと思いますが
今回も何から何まで手伝ってくれて
感謝の言葉もありません。
こんな事を書かれるのは本意じゃないかもしれませんが
店主の早坂氏は数年前に事故で片腕を無くしてますし
その上で被災し、想像を絶する大変さだと思いますが
それでも他人の力になろうとする姿勢は
僕ごときではちょっと理解できません
本当にありがとうございました
山車にはこんな短冊が貼られてました
我々が被災地の役に立てることなんて
本当に微々たるもの、
焼け石に水にしかならないと思いますが
このお祭りが少しでも被災者の皆様の
希望に繋がればと思います
今回の「うごく七夕まつり」は
他にも大勢の皆様が協力してくれました。
ここにご紹介させていただきます
赤穂化成(ドリンク提供)
日清製粉(食材提供)
(有)Y&S(資金援助)
マルサヤ(食材提供)
幹書房(ポスター作製)
どれ味(食材提供)
ケーピーコーポレーション(厨房器材提供)
(敬称略)
皆様、本当にありがとうございました。
被災地の復興を心より願います。