”巨星堕つ”

 

先週に作家で元東京都知事である石原慎太郎氏がお亡くなりになりました。

 

石原氏の言動には賛否両論あるのは知っています。しかし、私だけでなく訃報を聞き喪失感を覚えた人が多かったのではないでしょうか。

 

いつも堂々として舌鋒鋭く発言される姿、そして時に見せるはにかむような人懐っこい笑顔・・・もう見られないと思うと淋しい気持ちになりますね。

 

亡くなる一週間前まで病に伏せながら執筆を続けておられた。最後まで作家であり続けようとされた。

 

そして『葬式不要、戒名不要、我が骨は必ず海に流せ』と遺言に記されているそうですね・・・実に潔い。

 

人は生きたように死んでいく・・・自身の美学を最期まで貫く。凡人にはハードルが高いですが、私自身もこうありたいと思います。

 

石原氏の死生観についてもう少し書きますと、最近のインタビュ-で『死ぬことは虚無になること。天国も地獄もない。意識もなくなるのでそれでいいじゃないか』というような発言をされていました。

 

たしか車椅子の物理学者として有名だったホーキング博士も同様な事をおっしゃっていました。『全て無に帰し死後の世界などは存在していない』と。

 

ホ-キング博士はブラックホールの研究家でもあるので説得力がありますね。

 

私は以前から”死後の世界”は人智を越えたものだと考えています。どれだけ科学が発達しようとも、AIが進化しても究明出来ない事象だと考えています。

 

天国も地獄も人間の創造物でしょう。しかし、最近までどうにも自身が無に帰すという考えに抵抗を覚えていました。虚無という言葉がどうにもやるせなく感じていました・・・。

 

ところが歳を経るにつれこの考えがしっくりくるように思い始めています。うまく表現できませんが、もっとも収まりがいいように思うのです。

 

来世がないのならまさしく”人生二度なし”です。石原氏は見事に”石原慎太郎という人生”を生き切った。

 

私自身も唯一無二の”石田希世士の人生”を全うしたいという気持ちになっています。

 

それでは人生を全うする生き方とは何か?これまたホーキング博士の言葉です。

 

”自らの行動の価値を最大化するために努力をすること”であります。

 

最期に石原氏の言葉を送ります。

 

”人生に代行などありはしない。生きるということは一人のものでしかない。誰も君に代われぬし、君も誰のために代われるものではないのだ”

 

”情熱的に生きるということが、男らしく生きるということならば、それは自分の自我を通し、自分の個性的現実を貫き、社会的現実に屈しないという生き方だと思う”