駒沢鑑定人と狂騒 その2 | 事件鑑定人のブログ@鑑定人イシバシ

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私が事件鑑定人としてこれまで経験したことを書きます。
特定を避けるため、一部、ぼかしたりフェイクもありますが、概ね実体験です。

今回で駒沢鑑定人の記事を書くのは二度目だ。

https://ameblo.jp/ishibashi-kantei/entry-12492493188.html
伝説というのは少し大仰かもしれない。
同時代、日の当たらない場所で粛々と鑑定をこなしてきた人物は大勢いたからだ。

氏はその中の一人に過ぎない。
駒沢鑑定人の鑑定技術の多くは昭和の鑑定で現在ではロストテクノロジーである。
しかし、氏は既に故人であるが死後、奇妙な現象が起きたことは先の記事でも述べた。
後継者と名乗る人物が頻発したのである。
中でも一番弟子を自称する人物は私が知るだけで、5~6人はいたと思う。
個人事業主の浅ましさというか、名乗った者達は駒沢鑑定人の知名度に群がった。
こういう現象が起きたのも、氏にも責任の一端がある。
駒沢鑑定人は生前、惜しげもなく知識を求める人に伝授していた。
実は、私も教えを請うた一人である。
氏は教えを請うた全ての人に
「後のことは君に任せた」
といって、別れ際に教示を受けた者の手を堅く握る悪癖があった。
詐欺事件を起こした人物もその一人で、無節操な感が否めない。
弟子との名乗りを上げる人物や勘違いする人物が頻発したのもこのためである。

ただ、駒沢鑑定人の鑑定手法は手相見と揶揄されつつも、痕跡の判読に傾注されていた。
しかし、バンパー素材が弾性のあるポリプロピレンに置き換わったのが2000年以降からである。
一旦ぶつかって凹んでも弾性の効果で元に戻ってしまう。
そのため、肉眼での事故痕跡のは難しく色分解などでデジタル的に判読する必要がある。

奇しくも、2000年頃から痕跡判読の技術の多くはロストテクノロジー化しはじめていた。
来る人来る人全ての手を握ったのは自身の技術が消え去る寂しさがあったのかもしれない。
実は、最近になって私も駒沢鑑定人の気持ちが少しわかるようになってきた。
それは時代と共に移り変わる鑑定技術の変遷である。
10年前使っていた鑑定手法が段々と役に立たなくなってきているからだ。
最近の交通事故では専ら動画の解析が主流であり、従前の手法で鑑定するのは年間数件。
殆どゼロから立ち上げた鑑定手法が消えゆくことに一抹の寂しさを感じている。

ところで、駒沢鑑定人の鑑定手法の多くはロストテクノロジーとなった。
しかし、その考え方や物の見方は普遍化し常識化している。
交通事故専門の弁護士や実務者なら誰でも知っている知識になった。
鑑定するまでもなく、嘘を見抜き、適正な賠償がなされている。
この普遍化・常識化された知識こそが駒沢鑑定人の願った世界だったのかもしれない。

 FAL