以前、交通事故鑑定の修行しているとき、解体屋で手伝いをしたことがある。
不定期で体が空いた日ではあったが、足かけ3~4年くらいであろうか。
解体屋での手伝いは、鑑定人として自立した後も続いた。
少しうるさいが、人のいい在日のご夫婦がやっている小さな解体屋。
当初、菓子折を持って勉強させてください・・・とタダ働きを申し出た。
報酬は、飯さえ食わせてもらえばイイです と付け加える。
かなり訝しんでいたが、平身低頭にお願いすると受け入れてくれた。
どうせなら、バイトとして賃仕事と思われるかもしれないが、その考えは甘い。
ホワイトカラー出身者が、異業種のブルーカラーの世界に馴染む事は困難である。
私の場合、土木の現場で工具やバーナーなどの扱いは囓っていた。
それでも、背広と作業着の両者には決定的な溝がある。
たとえ現場を経験していようと、ホワイトカラーは異物として排斥されるだろう。
夫婦者がやっている解体屋を選んだのは従業員との煩わしい人間関係がないためだ。
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私が解体屋の手伝いをすることは目論見があってのことである。
道路構造や作図について私は当時から誰にも負けない自信があった。
じかし、車両構造については全くの素人。
事故車を観察したり、解体することが習得の一番の近道と考えた。
事実、歪んだりへしゃげた事故車を通して、車の構造を肌で知ることができたのである。
このときの経験は交通事故の解析上、大きく役に立った。
この経験をジャンプしていれば鑑定人としての自立は難しかったと思う。
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ところで、解体屋のご夫婦についてである。
当初は私を訝しんでいたがとてもよくしていただいた。
民族性なのであろうが、一旦、人間関係ができあがると、親戚以上の濃密なつきあいとなる。
希薄な関係しか知らなかった私にはとても新鮮で、暖かく感じた。
何を話すわけでもなく、交わす言葉も少ないが、濃密な何かがそこにある。
鑑定人として仕事が増え始め、手伝いができなくなってもつきあいは続いた。
顔を見せに行って、土産とキムチの物々交換のようなつきあいである。
傍目から見て奇妙なつきあいは、ご主人の急逝を機に終わった。
相続問題を抱えるリアル親族にとって、可愛がられていた私の存在は異物でしかない。
説明しても訝しがられるであろうし、奥様は私のことを庇ったら庇ったで板挟みになる。
奥様は、直情型で、他人のために損を平気で引き受ける人だった。
知り合いの弁護士を手配し、相続のゴタゴタが落ち着くまで、私は身を引いた。
着手金は、いらないと固辞したのに、ご夫婦から持ってけとポケットにねじ込まれた手間賃で賄えた。
解体屋が更地になり、瀟洒なアパートが建った頃を見計らって、私はご存命の奥様を訪ねた。
権利関係が複雑で、解決にはかなりの時間が必要だった。
すべて片がつくまでの、時間が彼女を老けさせていた。
少し、痴呆気味であったが、私のことはよく覚えていて下さっていた。
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アンタもテレビにでれる
交通事故鑑定人になりんしゃい!!
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そう、私に言ってくだすった、大切な恩人であり、何物にも替えがたい親戚である。
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