交通事故鑑定人になるには2 最初の一件 | 事件鑑定人のブログ@鑑定人イシバシ

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私が事件鑑定人としてこれまで経験したことを書きます。
特定を避けるため、一部、ぼかしたりフェイクもありますが、概ね実体験です。

今回は前回「 交通事故鑑定人になるには1 兼業鑑定人 」の続きである。

 

仮に交通事故鑑定人が資格制度であれば取得時がゴールである。
資格がない現実は、ゴールが見えないことに他ならない。
資格制度の不在は、誰でも自称できる反面、鑑定人をまじめに志す者にとっては大きな壁であろう。
 

 

私の場合は、法律に疎かった分、鑑定を確立するまで暗中模索であった。

志して、鑑定人と自称しても差し支えなくなるまで十年要したのは、徒手空拳であったからに他ならない。
交通事故鑑定人は、警察・保険会社・自動車関連のバックボーンがある者が多くを占めている。
土木、しかも道路というバックボーンを持つ鑑定人は私だけだった。
そもそもの生業であった土木設計は、一見すると事故鑑定業務は無関係に思える。
しかし、交通事故はその殆どが土木構造物である道路上で発生する。
道路の新設・改良等の設計に於いては、対象道路において円滑な交通を担保し、事故を回避しつつ安全な交通を確保するという重要な命題が存在する。
私は、土木設計を通じてこれら技術を習得できた。
つまり、事故が起きないように設計されている筈の道路で事故が起きたということは、そこに何らかの過失があったことになる。
その過失を洗い出すことは道路設計の逆作業だ。
しかも、道路は道路法・道路構造令・道路運送車両法といった法令に準拠し設計され運用されている。
これらは全て法律に準拠したものであるため、これに基づいた鑑定書の弾劾は法律の否定に繋がる。
相手側の弁護士としては相当にやりにくかったであろうと想う。

当初、私の鑑定に対して出される弾劾は人格攻撃のみであった。

これまでのマニュアルにない鑑定内容に対して、手も足も出ないといった状態であったのであろう。
私の道路に着目した鑑定手法は当たった様である。
 
ところで、鑑定に限らず何の仕事であれ、最初の一件が難しい。

そもそも、鑑定にまつわる裁判には莫大な金が絡む。

経験も実績も不透明な人間に、その一件を委ねる側にも大きな決断が必要だ。

最初の一件、いわゆる機会を得ることは新人にとって乗り越えるべき大きな壁である。
つまり、最初の一件という機会に恵まれなければ秀でた能力も日の目を見ることはない。 
私の場合、機会を与えられたことによって、鑑定人として芽が出たことは紛れもない事実だ。
一介の土木屋に過ぎなかった私に、とある弁護士は機会を与えてくれた。

また、法科学鑑定研究所の当時の社長で現在の会長も、新人の私に躊躇なく機会を与えてくれた。
この二方には感謝してもしきれない。

 
私は、謙虚な姿勢で門を叩く者に対しては、学ぶ機会は与えるように努めている。

法廷レーサーの吉道 にしても然りだ。

彼らは、みな自身のスキルと経験を活かし、活躍できている。
これは私自身が、大きな機会を与えられた事に由来する。

私自身は、自分のできることと、世間様の求めていること これが幸いにも一致した。

大きな機会が与えられたことによって、鑑定人と自称しても差し支えない立場を得ることができた。

もし、一致することがなければ、もし機会が与えられなければ・・・・

今の私は、一介の土木屋であった筈だ。

 

勿論、私の真似をしたからといって鑑定人になれるとは限らない。
鑑定のバックボーンや、経験してきたことが一人一人違うからだ。

ただ、私の経験が、鑑定を志す者にとって、何らかのヒントになれば幸甚である。