映えます
今や浅草とスカイツリーを結ぶ橋
親柱の下の方は黒いのは
焼けたからだとか
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲
アメリカ軍が行った空襲はドカンと爆発して市民即死ではなく
焼夷弾は水をかけても消えず住宅を燃やし、市民を焼き殺す爆弾です
浅草側の人は「川の向こうに行けば助かる」
スカイツリー側の人も「川の向こうに行けば助かる」
どちらの地区も火の海で、橋の上で両者ぶつかり身動きできない状態
そこに、焼夷弾が降りそそぎ、言問橋周辺だけで1,000人以上が亡くなったと言われています
市民を対象にしたアメリカ軍の空襲は2時間半に及んだようで、ロシアとウクライナの戦争なんて火遊びのように感じるぐらい
言問橋の上にある白鬚橋から吾妻橋まで
まで、遺体が横たわっていたようです
こんな歴史を知らずか
吾妻橋のたもとでポーズを取って写真を撮っている白人
知っていたら虐殺記念写真か?
アメリカ軍が使用したM69焼夷弾は高温で燃えるゼリー状の油脂(ナパーム)を使っている
落ちた後、3~5秒後燃焼が始まり、多数の火の玉が最大30m迄吹きだし、家はもちろん人にも張り付いて燃え続ける
その温度は900~1,300度
付着した燃えるゼリーはふるい落とせず、水をかけても消えない
慰霊碑にはこのように書かれています
あゝ 東京大空襲 朋よやすらかに
今の日本を見て安らかにしていられるのか?
戦争で亡くなった人に
恥ずかしくない国に
なってくれますように