運命に噛みついた馬 | 悠飛@FGOブログ

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色んなことを題材に上げていこうと思ってます

『運命に噛みついた馬』といわれてピンと来るのは競馬ファンならではだろう。

その馬こそ日本近代競馬を変えた平成三大種牡馬であり、日本競馬を変えた馬、大種牡馬サンデーサイレンスである。



父ヘイローはあまりにも気性が荒く、ネコを殺したという逸話があり、サンデーサイレンスもその気性を受け継いで気性難である。


サンデーサイレンスは生まれつき後ろ足がX字に歪んでおり、当時のアメリカ競馬は馬体と血統至上主義でサンデーサイレンスは「視界にも入れたくない醜い馬」と言われたほどに嫌われ、更には生まれて間もなくウィルス性腸炎を発症して生死の境を彷徨った。この時アメリカの感謝祭に被っており、獣医も投げ出した程だがサンデーサイレンスは驚異的な生命力で回復。そして競りに出されるのだが、先程述べたようにアメリカの馬体と血統至上主義で希望額に達せず、2度買い戻された。

そして2度目に買い戻された帰り、馬運車の運転手が心臓発作で横転事故を起こし、サンデーサイレンス以外の馬が皆死んでしまうという事態に。

おそらくはサンデーサイレンスもこの時運命を共にするはずだったのだろうが、この馬はそんな運命に噛みつき、重症を負いながらも生還。何とか競走馬としてのスタートラインに立つことができた。

それからのサンデーサイレンスは騎手との折り合いを覚えていき、後に終生のライバルとなる『セクレタリアトの再来』と言われた馬体も血統も超一流、そして過激なファンが着くイージーゴアと死闘を繰り広げることになる。

アメリカ競馬の三冠はダートコースで構成されており、サンデーサイレンスはアメリカ競馬クラシック三冠の内ケンタッキーダービー・プリークネスステークスを、イージーゴアは最後の一冠のベルモントステークスを勝利。

以後も何度も対戦し、2頭が走ったレースでは他の馬が置き去りにされる正にマッチレースであったが、お互い同時期に怪我をして引退。まるで互いが互いを必要としていたような関係であった。


そして引退後お互い種牡馬となるのだが、アメリカ競馬は何度も言っているが血統至上主義。サンデーサイレンスのところには全く繁殖牝馬が来ず、イージーゴアの方に殺到していた。


そんなサンデーサイレンスに惚れ込み、馬主を説得して日本に輸入したのが他ならぬ社台グループの吉田善哉氏である。


その吉田氏の英断は後に『サンデーサイレンス旋風』と呼ばれるようになった。


初年度から質の高い繁殖牝馬が当てられ、サンデーサイレンス産駒95年世代最初の軌跡である『幻の三冠馬』ことフジキセキがまずは台頭。クラシック直前に屈腱炎を発症しそのまま引退したが、産駒の成績が良くフジキセキ自身のポテンシャルが未知数だったため『幻の三冠馬』と呼ばれるようになったのだ。

他にも二階級制覇のジェニュイン、タヤスツヨシ、ダンスパートナー、後の宝塚記念馬となるマーベラスサンデーなど初年度からGⅠ馬を排出。



以後も3歳(旧4歳)で天皇賞(秋)を勝った天才バブルガムフェロー、イシノサンデー、菊花賞馬ダンスインザタークなどの96年世代。

『異次元の逃亡者』サイレンススズカ、『黄金旅程』ステイゴールドの97年世代。



『日本総大将』で『天才』武豊に夢を掴ませた『最強世代のダービー馬』スペシャルウィークの98年



『天才』武豊にダービー連覇させた『世紀末覇王世代のダービー馬』で『輝く一等星』のアドマイヤベガの99年世代。



『サンデーの悪いところが全部詰まった』と言われる二冠馬エアシャカール、武豊の師匠である『河内洋の夢』を叶えたアグネスフライトの2000年世代。

サンデーサイレンス産駒2頭目の『幻の三冠馬』たる『超高速の貴公子』アグネスタキオンや『世紀末覇王』テイエムオペラオーに引導を渡した父にそっくりな馬体のマンハッタンカフェ率いる01年世代。




サンデーサイレンスのダート適正を受け継いだゴールドアリュール、『聖剣の切れ味』兼『池添四天王』ことデュランダルの02年世代。

『三冠牝馬』スティルインラブ、『女帝』エアグルーヴとの娘アドマイヤグルーヴ、ネオユニバース率いる03年世代。



『英雄を討ち取りし馬』ハーツクライ、『皐月賞馬』ダイワメジャー率いる04年世代。

『無敗の三冠馬』で『七冠馬』こと『英雄』ディープインパクト、『高松宮記念覇者』スズカフェニックスの05年世代。




ラストクロップとなる『中山を祭りに変えた馬』マツリダゴッホの06年世代と希代の名馬たちを排出。

そして06年世代がラストクロップと言ったのは、2002年に彼がフレグモーネという感染症に罹ってしまい、この年の8月19日に16歳という若さでこの世を去ってしまったからでもある。

さすがのサンデーサイレンスも寿命には勝てず、フレグモーネになった直接の原因が特定できなかったのもあってか早死してしまったのである。


生涯戦績14戦9勝(内GⅠ6勝)

獲得賞金は4,968,554ドル(日本円で約7億3608万2074円である)


死後彼は社台スタリオンで火葬され、

敷地内に墓が建てられた。

彼の死はAP通信で祖国アメリカにも報じられ、

偉大なる種牡馬の死に悲しみが広がった。


彼の血は世界に広がり、受け継がれている。


ちなみにだが彼の産駒には脚部不安が多く、

実際に故障による引退やサイレンススズカのように

レース中に粉砕骨折する馬もいた。

それでも10年間リーディングサイヤーに君臨し続けたのは

彼の種牡馬としての能力によるものだろう。


余談だが、サンデーサイレンスとイージーゴアを比喩

するにあたり、

サンデーサイレンスが『曲線番長』、

イージーゴアが『直線番長』と言われたほどに

2頭の個性が出ていたようである。


そしてこれまた有名な話だが、

サンデーサイレンスが唯一心を許したのが

『名優』メジロマックイーンでこの2頭の血の相性も

高であった。



メジロマックイーンを見つめるサンデーサイレンス

今回はここまで。

次回は第二次競馬ブームの平成三強を語ろうかと。