劇団青年座『明日 -1945年8月8日・長崎

 

 

観劇した会員の感想を紹介します。

ネタバレを含む場合がありますので、これからこの作品をご覧になる方はご注意ください。

 

 

5月に乾杯サークル Iさん

目の前の舞台上の人々は、1945年8月8日を昨日と同じように、明日が来ることが当たり前のように生きている。何度「明日は・・・・」という言葉を発しただろうか。翌日の破滅的な原子爆弾投下を知っている私はそのセリフを聞くたびに、心におもりがずんと埋め込まれていく。人々は戦時下という状況の中で、結婚式を行い、出産があり、離れて療養している病気の娘を心配し・・・・、一生懸命平凡な日常を愛して生きていたのだ。そうだ、庶民への理不尽な暴力は突然やってくる。私はウクライナの人々のことを思わずにはいられなかった。2月24日のロシアによる侵攻。報道される映像は過去の歴史の中の出来事ではなく、現在の私たちの目の前にあるという現実。いい劇を観た。

 

リアンサークル Kさん

今年ほど、戦争について思いを巡らすことはないのではないか。まさか、侵略戦争が起こるとは。周りの大国が、それを止めることもできず、ずるずると続いている。すぐに終結すると思っていたそれは、未だ、解決の糸口すら不透明のまま続いている。町や家、家族をなくした人の嘆きのニュースに触れる度、私は、「ああ、七十数年前の日本も同じだったのだろうな」と思っていた。侵略する側もされる側も、市井の人達が被害を受けるのは、昔も今も同じだと痛感する。だから、若い人たちに伝えなくてはならない。戦争ほど愚かなことはないと。

ベートーべンの「悲愴」の調べが静かに流れる中、舞台は始まった。私は、とりわけチェロの音色が好きだ。黄泉の世界からやって来た人たちが現実の時間空に現れて、そして帰って行くという設定は、死者への敬愛の念が感じられた。すてきな演出だと思う。

私は、舞台上の「時計」の時刻が気になってずっと見ていた。刻々と迫る「その時」を、ドキドキしながら見ていた。そうだ、「明日」は何が起こるか誰も知ることができない。こんな世界情勢だからこそ、今、「明日」を上演することは、ことさら意味があることだと思った。たくさんのメッセージを受け取ることができた舞台だった。「劇団青年座」の皆様、ありがとうございました。

 

東皐サークル Kさん

この劇の題は、「明日」だ。明日、何があるのか観客の誰もが知っている。そして、舞台上の人物は誰も何も知らない。彼らは、生きている、あたりまえの日常を。私たちが同じような状況にあれば、同じようにし同じように感じたであろうように。それなのに、彼らの生きる姿から目が離せない。明日の約束をし、明日に希望を抱き、今日を生きている人たちが、尊く見えるのはなぜだろう。明日に起こることがとてつもない悲劇だから今日の彼らが尊く見えるのか。それはおかしい。彼らは何も知らず、私たちと何も変わらない今を生きているだけなのだから。彼らの今がこの上なく尊いものならば、私たちのありふれた毎日も同じように尊いはずだ。

結婚した妹に「わたしがいちばんきれいだった時」(茨木のりこ)という詩を思い出した。全身に光を浴びて姉が新生児を抱いて顔をあげる終幕からは、この世に生を受けることの衝撃と勇気が伝わってくる。明日を生きんとする人間の意志のみが、この世界を覆う暴力に対抗しうるものなのか。

 

つくしサークル Mさん

お話の内容は、どこにでもある日常のでき事を淡々と描いた作品でした。その時、8月9日11時2分が劇的に終わると思っていた予想に反して、とても静かに幕が閉じてしまいました。ピアノとチェロとバイオリンの生演奏の音色がとてもやさしく美しく、悲しい余韻にひたりながら、明日を奪われた人々の無念さをひたひたと感じました。

それにしてもウクライナで同じような状況におかれている人々がいるということに憤りを感じます。おまけに核の使用までにおわせていて、77年前と同じ悲劇が起きたらどうするのでしょう。平和を願わずにはいられません。

 

エーデルワイスサークル Aさん

華やかな婚礼の様子から始まり、最後は出産シーンで終わるという一見ハッピーエンドのようなこの劇の題名は「明日」。「明日」をいう言葉は輝かしい未来さえ感じさせるが、この題に続く「1945年8月8日・長崎」の文字で物語は悲劇へと変わる。観客は、舞台上の人物たちが次の日の11時にこの世から姿を消してしまうということを知っている。儚いものであることを知っている。だから登場人物の言葉や動作の一つ一つが愛おしい。

劇中のピアノ、ヴァイオリン、チェロが奏でるベートーベンの「悲愴」第2楽章。「悲愴」の言葉の意味は、辞書には「悲しくいたましいこと」とある。しかし、当のベートーベンは、自分の苦難を乗り越えようと作った曲であるらしい。長崎での出来事を忘れず、伝え、いかにして乗り越えていくかが、残された者の課題であろう。劇団の皆さんがとても大切にしているテーマであることが伝わってきた。今、世界は大変な時であり、私たちも無関係ではいられない。

 

ひまわりサークル Oさん

  • 戦時下、みんなの懸命に生きる姿を演じてくださった青年座の方々に感謝です。
  • 結婚式でうたわれた数え歌はとても楽しく良かったです。
  • 世話役の声は聞きとりやすかったです。
  • 「悲愴」の生演奏も作品にうまくなじんで、もり上げてくれました。
  • 時間だけが着々と進んでいき、赤ちゃんの元気な産声で終わる。
  • 原爆は悲惨でむごい、祈りしかないのだろうか?
  • 今、憲法改正、大軍拡(軍事費2倍、敵基地攻撃能力の保有…)などがすすめられている。
  • 核兵器のない平和で公正な世界がいい。
  • 今を絶対に「戦前」にしない為に私達一人一人がなんでもできることを。

 

花散里サークル Kさん

「八月の空を見上げて その2」

31年前のその夏、青年座の「明日」に出会った。まだ若かった自分に明日という日が重くのしかかった記憶がある。

3年前の夏、28年振りの「明日」に会うため、劇場へ足を運んだ。その夏、地元では「夏の雲は忘れない」が上演された。いつの頃からか、夏になると空を見上げる。今日の空を見上げて明日を思う。そうして、あの夏の空を思う。あの夏、ヤエさんもハルさんも満江さんも、みんなが明日を思った。誰もが明日、愛しい人との生活を疑うことはなかった。その朝、ツル子さんは愛しい赤子を生んだ。「今日もよか天気になるじゃろう。よか日和たい。ほんなこつ。」その夏奪われてしまった明日と今日。なんびとも誰かの明日を奪うことは許されない。そう強く願って、今日も夏の空を見上げよう。「明日も良い天気になりますように。」

 

【ひとくち感想】

  • 何気ない日常を過ごしている人が一瞬のうちに人生が変わってしまう。今の私たちの日常が…。二度と起きてはいけないことをまた考える時間を持てたことがよかったです。
  • 毎年の様に8月は重苦しい季節でテレビの放送を見るのも気が重いので戦争を題材にしたお芝居を見るのは出来れば見たくない私でしたが、直接的な表現のない(戦争シーン)この「明日」は子供達にも是非鑑賞して頂きたい演劇だと思います。大変良かったです。
  • しっかりした舞台作り、生演奏がよかった。こういうものをもっと増やしていきたい。
  • 生演奏がお芝居を豊かにしていた。
  • 戦時中ということで必死に生きている人々の姿や思いが日常の何気ない会話から伝わってきた。
  • 山場のような場面は特になく淡々と進められていくのが、それだけに終わった後もじんと心にしみる舞台でした。
  • まわり舞台の使い方や中央とまわりの芝居など対照的で興味深かった。
  • とても素晴らしかった。
  • 舞台装置も凝っていたと思う。
  • 戦争のむごいシーンがなくても、これほど強くその恐ろしさを感じられる、その迫力に圧倒された。

 

この公演は、劇団招待の中学生も観劇していました。

学生の皆さんの感想もご紹介します。

 

【中学生の感想】

  • 原爆が落ちる前の平和が一瞬になくなったと思うと、終わった後にちょっと悲しい気持ちになります。いままで、見た中で一番わかりにくく、一番わかりやすかったです。とても心にのこりました。
  • 劇とマッチする曲や、入りのタイミングが良かった。
  • 恐ろしい、一瞬にしてたくさんの命が失われる悲しさを痛感した。
  • 音楽もあって、雰囲気がでてよかったです。
  • とても面白く集中して見ることができました。 少し方言が難しかったです。また機会があったら見にきたいと思います。
  • 戦争時の人々の暮らしや大変さが改めて分かりました。音楽もとてもきれいでよかったです。明日が当たり前にあることに感謝をしたいと思いました。
  • 「悲愴」のイメージと合っていてとても素晴らしかった。
  • 今回は初めてしっかりとお芝居を見ました。とっても感動しました。声の大小や感情の表現など、とても繊細でした。時計にも注目して観劇しました。あと2分で原爆が落ちるということに気づいて無念でした。命の大切さ、一人一人の人生の大切さ、たくさん学ぶことができてよかったです。
  • 最初は、言葉が難しいと思ったのですが、だんだん分かってきて、言葉はみんな「ハキハキ」していて、すごくわかりやすくて、長崎に原爆が落ちる前の平和なお話を聞いて悲しくなりました。来てよかったです‼
  • 説明している人?の一言一言のインパクトがよかった。悲しい時の表現がとてもよかった。かずの歌がおもしろかった。
  • それぞれの人物の見た「明日」が一瞬で灰になってしまった。明日を生きられるかも分からない中で、精一杯生きようとする人々の命が、それでも奪われてしまうことが悲しかった。
  • 原爆が投下される前のできごとは、今、私達がくらしているのと同じで、平和だったが投下された後どんなことが起きたかなどを調べるいい機会になりました。
  • 観劇中、何度も鳥肌が立ちました。感動しました。
  • 明日がかならずしも来るとは限らない。だから明日が来ることを大切にしなければならないと思いました。音楽と物語がとってもあっていてすてきでした。

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劇団NLT『マグノリアの花たち』

 

観劇した会員の感想を紹介します。

ネタバレを含む場合がありますので、これからこの作品をご覧になる方はご注意ください。

 

 

スノードロップサークル Hさん

「マグノリアの花たち」の原題は(鋼鉄のモクレン)です。和名:タイサンボクとは外見は花の様に美しいけれど、中身は鋼鉄の様に強く優しいアメリカ南部女性の気質を表す言葉としても使われるそうです。
【作者の妹が2歳の息子を残し33歳の若さで糖尿病で亡くなりました。夫は半年後に再婚し2歳の息子は再婚した女性を早くもママと呼んでいました。実の母親の記憶も無い甥に、母親が自らの命を削ることもためらわずに自分を生んでくれたこと。祖母が満身創痍の娘に自分の腎臓を分け与えてまで孫の誕生を支えたこと。この二人の女性の尊い愛が彼の出生の背景にはあったのだという事を何とかして伝えたいという思いで、たった10日間でこの作品を書き上げたそうです。そして1年も経たないうちにオフブロードウエイで上演され、そのわずか1年半後にはハリウッドで映画化されたそうです。】
美容院という、女たちの心の本音が出やすい場面設定で繰り広げられる、まさにマグノリアの花のような6人の女優さんの言葉や感情に、多くの共感を得ることができました。重い内容でしたが、上演後は清々しい気持ちに満たされました。心に残る作品になりました。

 

ウィステリアサークル Oさん

マグノリア(泰山木)…直径15㎝余りで、白色の芳香を放つ6花弁の大輪の花。
澄み渡る青空の広がる大地とマグノリアの森に囲まれた田舎町の気さくなママの営む美容院が背景の舞台。それぞれが何らかの「負」を背負っている6人の常連客。難病を抱えた娘とその母親の葛藤を挟みながら、お互い言いたい事を言い合いながらも相手の心を深く傷つけはしない女性たち。妊娠、出産を希望した娘に苦悩する母親の心情と、各々が抱えていた「負」を見つめ直すキッカケともなった娘の死から希望への明るい兆しを感じさせるドラマを6人の役者が見事に演じ切っていた。
今回は所望して齧り付きの席からジックリと観劇したので一人ひとりの所作、息使いなども十分に観察できました。あ~ぁ懐かしいな、半世紀も前に少しばかり、舞台で熱いライトを浴び一生懸命に覚えた台詞を放っていた自分……。運営サークルの一員として大道具、小道具の搬入、搬出を手伝いながらそこには若かった昔を思い出していた一人の老人がいました。最後の片付け時に早めに出番の終わったシェルビー役の吉越さんと馬鹿を云いながら楽しく仕事が出来ましたルンルン。

 

ウィステリアサークル Kさん

美容室に集う強くしなやかに生きるマグノリアの花たち6人は、それぞれが個性豊かで愛らしく魅力的な女性。騒々しく交わされる会話はウィットに富み、それぞれの人生観が乗った言葉も多く、納得したり、笑ったり、泣いたり。特にトゥルーヴィーの包容力と弾むような会話の中にある気遣いは、親しい友人への愛情を感じます。(話しながら髪のセットが仕上がっていくのも凄い)。 シェルビーの「・・人生をダラダラ生きるより、30分でもいい、心がワクワクするような時間が欲しい。」という言葉に母マリンになって考えている自分がいました。終盤マリンが堪えていた怒りと悲しみを吐露し、前を見て強く生きようとする姿に救われました。


ウィステリアサークル Mさん

マグノリアの花? どんな花なんだろうと検索してみた所、モクレン科と出て来たので、この芝居の女性達の包容力と友情がこのマグノリアの花を表していると思いました。
ラストの母マリンの娘を失った哀しみ、苦しみを心の底からの叫びに涙しました。生命をあつかった芝居でしたが、コメディもあり肩を張らずに観られました。
身近でプロの芝居が観られるってすばらしいですね。ありがとうございました。

 

はなみずきサークル Nさん

女性だけのお芝居を初めて観させて頂きました。1人ひとり個性ある演技に吸い込まれていきました。
糖尿病・出産という実話が元になっていると知り、私も父を糖尿病(2型ですが)で亡くし、娘は去年初めての子供を2,000gで緊急出産しました。そんな事を思い出しながら、それでも最後には皆で励まし合いながら生きていこうとする、母マリンと女性たちに勇気をもらいました。拍手喝采!!

 

ルートサークル Tさん

出演者すべてが女性、女性の世界へようこそという演劇でした。男としてはその世界に素直には入りにくい感じを抱きながらの観劇でしたが、終わってみると温かい雰囲気の余韻を感じることができました。舞台は一昔前のアメリカの田舎町、今となっては懐かしく郷愁を感じる人間関係が描かれていました。友情、思いやり、幸せ、生きがい、希望、・・・いろいろな言葉のやりとりの中に感じることができました。女性だけの演劇を今までにも何回か観ましたが、男だったらちょっと違うかなということを感じることがよくあります。もう少しあっさりした人間関係になるのかもしれません。人間関係もねたみ、嫉妬、哀れみなど醜いものもありますが、今回の演劇はそういったものがなかったので、いい余韻が感じられたのかもしれません。日本の社会は男女平等、女性の活躍推進がなかなか思うように進みませんが、演劇では女性の活躍が大きいとも感じました。

 

ウィステリアサークル Yさん

本日のお芝居は、とても分かりやすいストーリーでした。
登場人物も6人の女性たちで町の美容院の常連客です。日常の楽しいおしゃべりでテンポよく展開していくので、気負わずに観ることができました。
それぞれ6人は、楽しいおしゃべりの中にも個々に色んな問題背景が織り込まれていて、ユーモアのある会話にも、6人の友情や信頼感が伝わってきました。そして命の大切さや命の繋がりを考える作品になっていました。
まだ入会1年で、初めて運営サークルに参加しました。ちいさな協力しかできませんが、また参加したいと思います。

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劇団民藝『グレイクリスマス』

 

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アンセルモサークル Oさん

演劇鑑賞会に入会して間もない私です。第2次世界大戦を経て、反戦の思想は世界共通のものと思っていたところに、ロシアのウクライナ侵攻におどろくばかりか毎日放映されるウクライナの惨状を悲痛な思いで見ている中で、「グレイクリスマス」の舞台を観る機会を得ました。戦争にかかわったどの国も教科書では習ってこなかった悲惨な歴史の事実があったことを改めて知りました。脚本、演出、舞台装置、どれもすばらしく、心を打つ魂のこもった舞台を堪能することが出来ました。実は、前日の夜、夜なべ仕事をしてあまり睡眠がとれていなかったので舞台を観ながら寝てしまうかと思いましたが、とんでもなくて、俳優さん達の気迫のこもった演技と、劇場の最後部までとどく発声のすごさに、日々のたゆまぬ訓練と稽古を重ねる努力はいかばかりかと感服して、眠るどころかまばたきをするのも忘れるくらい舞台にくぎづけになってしまいました。こんなに身近に生の舞台芸術に触れる非日常を体験できる鑑賞会の存在を有難く、微力ながら応援していこうと思いました。本当にありがとうございました。

 

彩の会サークル Kさん

クリスマスには雪のホワイトがよく似合い、静寂さの中に楽しさを感じられるのは、平和なればこそであろう。終戦直後の混乱のつづく五年間の物語のステージからは、何もかも激変していく不安一杯の人々の生活も心境も、グレイな状況であっただろうと、その様子がよく伝わってくる。敗戦後間もない時に、進駐軍の大きな六輪車のトラックや、ジープが列をなして次々と草津方面に走っていくのを、疎開先の地で、怖々と見ていた幼い日を思い出す。背の高い色白のアメリカ兵も見かけたが、近づくことはしなかった。生活用品や食糧の入手に追われる大人の苦労を、本当に理解できたのは、暫く後のことだった。今、ウクライナの状況を知る時、愚かな戦争の罪深さに心痛め、一刻も早い停戦をのぞみ、人々の安寧な生活のもどることを願うばかりだ。戦禍で失われた多くの尊い人命や数知れぬ文化財や建築物、荒廃した国土など、取り返しのつかないこの損失は、心がえぐられるような残忍極まりない罪悪である。終戦後の復興の大変さが思いやられる。五條伯爵一家が離れから本宅に戻る際に運ばれる立派な荷物の多さや、舞台装置の豪華さなども見応えを感じたが、搬入出の大変さも推察した。華子夫人の美しい声で読み上げられた憲法について、今こそ真剣に考える必要があると思わされた。季節に関係のない「グレイクリスマス」の脚本、演出、出演者、スタッフのすべての皆様に、心からの大きな拍手をおくりたい。

 

IMHサークル Oさん

とても素晴らしい演劇を拝見できました。台詞ひとつひとつがとても丁寧でとても聴きやすくよかったです。戦時の話はつらいと思います。でも、この舞台を若い方にみせたかった。そう思います。

 

エスポワールサークル Kさん

戦争ものですが、戦い場面はなく、美しいセットの中での場面なのでよかったなーと思っていたのです。最近のニュースにも心しずむ日々を送っておりましたので、気分が晴れるかと。でも、見ているうちに、戦争の影響が一人1人の生き方に大きな影を落としているなと思いました。つらいなーと思いました。いろいろな人が出ておりましたが、私だったら、どの人が私かなーと考えたら、女中さんのもくもくと働いていた人が、私だなーと。あまりまわりにかかわらず、マイペースに生きている。

 

IMHサークル Sさん

何年か前までは演劇鑑賞会に参加していましたが、仕事が忙しく時間を合わせられず休んでいました。仕事に区切りをつけたこの機会に再度参加させてもらう事にしました。やはり演劇を観られることは、私にとって非日常的な事なのかもしれない。演技に引き寄せられ興奮して観ていました。参加してよかったと思いました。また、戦争が背景にあるこの演目も、今のウクライナ問題も重なるものもあり、何とも言えない余韻が残りました。これからも楽しみにしています。

 

なかまサークル Kさん

「グレイクリスマス」を観て、改めて感じたことは、敗戦後も変わることのできなかった日本人の問題である。あの戦争に責任のある者たち、あの戦争で甘い汁を吸った者たちが戦後の日本を牽引していくことになる。変わることのできない日本という問題は、現代を生きる私たちの問題でもあると思った。そして、私たちの「日本国憲法」は、奇跡の産物であることを改めて考えることができた。この作品は、まったく色褪せない。それどころか現代の私たちに強く問題を投げかけている。

 

IMHサークル Nさん

私は戦争を知らない。映像や書物から知り得ている。この作品で、日本は敗戦により、衣食住や価値観などすべて変わってしまい、それを受容せざるを得なかった。その思いを五條家の人々が教えてくれている。五條家の人々がデモクラシーと夢物語の言葉で未来を見つつ毎年のクリスマスで変化する様は見ていて楽しい。そこに人間のたくましさや生き抜く力を感じた。また、人種、民族、思想性、貧富等の差別は、戦勝国の人にも敗戦国の人にも重く心にのしかかる悲しさを感じた。だからこそ、華子が暗唱した日本国憲法の一部は、強く心に残った。この作品の舞台は、70年以上前であるのに、今、同じような戦争が世界で起きている。人間は変わっていないのかと残念に思う。しかし人間は、この戦争を五條家の人々のようにたくましく、乗り越えるであろうと信じたい。

 

花散里サークル Yさん

岡本健一さんのファンだったので楽しみにしていました。4列目のど真ん中という最高の座席で観劇できました。岡本さんをこんな近くで見るのは、ほぼ30年ぶりだったので、初めのうちは彼ばかり目で追ってしまいましたが、次第に他の演者さんの熱演や間近で見る迫力に夢中になりました。全く予備知識もなく観劇に挑みましたが、内容はなかなか重く考えさせられることも多く、大変見応えがありました。切なく泣けるところも、そして笑えるところも多々有、とても貴重な時間を過ごせました。岡本さんは渋い役者さんになったなと、時の流れを感じましたが、最後にカーテンコールで出てきた時の笑顔には、時間が逆戻りしたようで嬉しかったです。

 

アルビレオサークル Hさん

日本の国が太平洋戦争に敗戦し、多くの人々の死と国土の破壊から、苦しみつつ立ち上がり、悲しみの涙をぬぐいつつ、歯を食いしばれたのは、何が希望となったのか・・・。進駐軍に母屋を接収され、夜ごとの将校たちの歓声は、五條家の人々に、不思議な希望の光をあてたのでは!

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劇団文化座『恋からはじまる物語』

 

観劇した会員の感想を紹介します。

ネタバレを含む場合がありますので、これからこの作品をご覧になる方はご注意ください。

 

 

ドリームガールサークル Sさん

「恋からはじまる物語」が始まった。

えっ何これと緊張し、私の頭の中がやっと落ち着き、舞台に集中出来たのが始まってから5分ぐらい過ぎたころから私の想像力が少しずつ膨らんできて、以前、田端の文化座を訪れた時の町並みが浮かんできた。

そんな中で、芥川は(つい最近、ある新聞広告に若い三十代前後の写真が記載されていた)この写真を見る限り、恋をして失恋したことのない男性に思え、そして文さんとの恋文、その文には、優しさもあり、又年下の文さんへの元教員という職業柄か、なんとなく教え込むような所もあり、筆一本で家族を支えたりと、私には、何も知らないことばかり。「羅生門」「戯作三昧」「杜子春」の舞台は、七色以上の色でとても、新鮮でした。

 

紫雲サークル Kさん

舞台の最後で私は涙ぐんでしまいました。私が、中学生のとき、はじめて手に取って読んだ小説が、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でした。14歳離れた兄の本棚にあり、その後、山本有三の「路傍の石」、夏目漱石の「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」などを夢中で読み漁りました。当時は、小説の世界は、家庭と学校の外の広い世界という感覚と刺激でたまりませんでした。その中学生の時は、「蜘蛛の糸」では、〝自分の欲望のために他人を蹴落としたりしてはいけない゛というテーマそのままを素直に受け取るだけでした。

自分がその後成長するに従い、作家の生い立ちや資質、思想などを知りたくなりました。芥川龍之介は数奇な生い立ちと強い自意識を持ち、この「杜子春」の作品後は精神的に病んで自死してしまう人生だった ことを知りました。

明治から大正、そして昭和初期(~2年)という時代の変化の中を生き、第一次世界大戦を経て、関東大震災では夥しい死者を眼のあたりにしたといいます。

私は、今回の舞台の最後で、「杜子春」は、作者、芥川龍之介自身の生い立ちと強い自意識による他者からの脅迫観念に苦しんできたことからの〝離脱〟と〝鎮魂〟として書かれたものだと思ったのです。

私には、七人の役者さんたちが、舞台から、芥川自身の深い心の叫びをわかってくださいと必死に訴えてくるようでした。そう思った時、舞台の最後で私は涙ぐんでしまったのです。舞台でなければ得られない心に残る体験でした。

 

 ローズマリーサークル Nさん

芥川龍之介を3作品から紹介するというこの様な形体の芝居は始めての経験でした。作者(芥川)はすごい文豪であることは知っていました。本は読んだことはない私でしたが、語りの人から伝わってくる芥川を少しは理解できたかなと思います。中でも、「杜子春」は、舞台ともいえない小道具と語りで、物語が少しではありますがわかってきて、見入っていた私が居ました。

芥川は現在で例えるなら多重人格の持ち主でしょうか? 教員、作家(短編・歴史もの)、随筆家、評論家、詩人等、そして恋多き人格が一人の中に備わっている。羨ましいです。

 

TOMOサークル Iさん

劇はこのようなものを想像していませんでした。でも、いつしか同じ空間の中に引き込まれていました。

明治の時代に、芥川の知られざる一面を垣間見てホッとしました。

ひと時、時を忘れ、劇の中に自分を遊ばせることができました。良い時間を持つことができました。

 

藤の会サークル Kさん

芥川龍之介と聞けば、「羅生門」や「杜子春」を、教科書などで触れた程度。どんな内容なのかと興味が沸きつつも、難しいのではという不安もあった。芝居では、芥川の生い立ち・妻・家族への想いが、演じる俳優さんのセリフに込められ、一人一人の個性が輝いていた。また、劇中劇での「羅生門」などでは、人間の弱さや醜さが鮮明に描かれ、もう一度、読み返してみたいと思わせるほどの演技だった。幻想的で、心の声が重なり合うような不思議なストーリー展開に引き込まれ芥川龍之介の魅力・人柄にも触れることができた。

最後の座長さんの挨拶では、コロナ禍での大変さが伝わってきた。また、芝居や俳優(チームワーク)としての情熱、鑑賞会(観客)と共という思いや優しさが心に響いた。コロナで滅入る気持ちが晴れやかになるひと時だった。

 

リゲルⅡサークル Hさん

今回は芥川龍之介の作品で、教科書や子供の頃スライドでみたり知ってはいても、何やらとっつきにくいという感じでいましたが、奥さんとの恋の話を中にはさんで1時間半あきないでみることができました。

若い方たちばかりで、お芝居のような、朗読のような、とてもパワフルでよかったと思います。

 

ブルームーンサークル Aさん

「杜子春」は私の中学生の時に読んで、人間の欲望やお金のある時は人が寄って来るが、なくなれば離れていく非情性が心に残っていて、その芝居をどう表現するのか興味をもって見せてもらったが、仙人とのやり取りの中で、最後に両親の悲痛に耐えられず仙人になることを断念した心で人間性が伝わり良かった。小谷佳加さん演技の迫力に圧倒された。

 

風車サークル Sさん

3つのお話を並列的に演じるんだと、散漫になってしまって、盛り上がりに欠けるかなと思っていたが、芥川の恋文を中心にして、作者の生き様を追求していくので、芥川龍之介の人間味あふれる姿がクローズアップされてきた。身近な存在として感じられ、他の作品を読み出した。最後に演じた人の充実した顔と目に光る物を見て、舞台で演じる人と客席で見ている自分たちといっしょに作り合っていくものだと感じた舞台だった。感動しました。

 

アンセルモサークル Sさん

今回の作品を楽しみにしていた。朗読劇の中に劇中劇が入ると知り、どんな演出になるのかなと…。最初は、七人の朗読による声を楽しんでいた。いつの間にか目をつぶり、若い女性の声の中に、小谷さんお落ち着いた低めの声、唯一の男性岩崎さんの声が混じり、世界が広がっていく。もう一人男性の声が欲しいなと思いながら・・・。3つの物語の中で、杜子春はスペクタクルで音響と連動して面白かった。舞台の最後、芥川が妻文に向けた恋文を読む。芥川が無くなった家で、彼の養父母を看取った文の気持ちはどんなものだっただろう。印象的な幕切れだった。

 

紫雲サークル Kさん

芥川が失恋したとき、恋をしたとき、子供ができたときに書いた三つの「文学」作品を7人の俳優さんが、案内役となって、演じていく、今までにない演出が新鮮でした。若い役者さんをしっかりまとめ育てている小谷さんの演技に重みと安心感を受け取りました。深谷での観劇でした(深谷が関越最終日だった)が、最後の挨拶で、若い役者さんたちが、感極まって涙を流していたのをみて、特にそう思いました。

 

運営サークルアンケートより

・芥川の作品への理解(知識)により、大分おしばいの解釈が人によってちがうかなと感じた。三つの作品のつなぎ・関連など、大分頭をつかった。もっと想像力を働かせなくては・・。刺激的な作品でした。

・構成が大変だったと思いますが、例会は自分の好みだけで無い作品がみられて良かったと思います。

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劇団1980『こい』『榎物語』

 

観劇した会員の感想を紹介します。

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ローズカクテルサークル Hさん

榎物語』が始まった…。一人芝居を観る時は、観客の側も妙に緊張するものである。役者の台詞を聞き逃すまいと舞台に集中しなければならない、ぼんやりなどしていられない。そんな事を考えていたら、つい台詞を聞き逃してしまった。話は、ひとつの罪(ネコババ)から始まる住職の懺悔録。人間の煩悩や業の深さを候文に乗せてテンポ良く進んでいった。しかし途中で何故か、自分が針のむしろに座らされ一緒になって自分の悪行を懺悔させられている様な、なんとも居心地の悪い感覚に陥ってしまった(私とて煩悩のひとつやふたつあり候)。

続く『鯉』は、伊勢崎は五回目?となる柴田義之さんの登場。最初の一言で客の笑いをさらっていった。さすが親戚以上の人である。主人公は鯉とともに生き、変わりゆく時代の中、鯉とともに老いて行く。鯉と一緒に生きた濃厚な時間(思い出)は、いつしか鯉そのものに自分自身を投影し、まるで〝同志〟の様な存在に・・・。劇中、主人公の真っ直ぐさと頑固さがにじみ出ていた。そして、鯉が威勢よく泳ぎ回っている姿が目に浮かぶ様だった。

家に帰り、酌をしながら機関誌の表紙を眺め、滝を登る鯉を見た。確かに頭の所に〝一銭禿(はげ)〟があった

 

花散里サークル Sさん

一人芝居を二題も観られて贅沢な時間でした。しかもまったく形態の違う二つのお芝居だったのでなおさらでした。

 『榎物語』は講談師のように語られる演者の山本さんの候文の語りに引き込まれていきました。聞きなれない候文ですが、聞いていくうちに癖になりそうで、私の頭の中に物語の情景がどんどん広がっていきました。

 『こい』は柴田さんの老いの演技にこれまた引き込まれました。マッチを擦って煙草を吸うシーンは煙まで見えた気がしました。

 二題とも私の乏しい想像力がちょこっと覚醒したように思います。 柴田さん山本さんの最後のおかめひょっとこ踊りもかわいらしくて、楽しかったです。

 

イフサークル Kさん

私が、演鑑の存在を知ったのは、上毛新聞で高崎演鑑のクラウドファンディング募集の時からです。そのチケットで「吾輩はウツである」を観て、プロの演劇に感動しました。アマチュアのミュージカルは沢山観てきましたが、やはりプロ劇団にはかなわなくいせさき演鑑に入会しました。

「こい」「榎物語」とも老人の孤独感がテーマであり、若き日を回顧し、愚かな行状を後悔し出会った人たちを懐かしむ。まさに自分が今そんな境遇であり同感しました。

永井荷風の「榎物語」は候の文語体で書かれていますが、わかりにくいのでスマホの電子書籍で読み直して少し理解できました。殺人と奪った金を榎に隠す罪人の懺悔。

「こい」は、多摩川に棲む大鯉を追い続ける老農夫の生き様を描いた物語で、投網と共に川の流れをみてきた日々を顧みる想い。この2本の一人芝居で人情劇場が楽しめた事は大変よかったです。これからも生のステージで演劇の感動を続けたいと思います。

 

キャロルサークル Iさん

入会してから数年は1人など少人数で舞台装置が簡素なものは、テーマが絞れて判り易いという人が多いと思うが、自分は情景がイメージしにくく少し苦手であった。今回の2題はテーマが自分に近いためかイメージし易く判り易かった。

「榎物語」は講談なのかと思わせる話し方、進め方が興味深くおもしろかった。良乗が犯した罪とは全く違うが、自分も若い時は多少のことはしており思い出すと汗が出たり恥ずかしくなったりした。「こい」は魚のこいとの関係性を対決する相手が長い時間でいないとさびしい相手になるというのを対決は特に迫力満点に演じられていた。動物との関係では今回とは方向性は違うと思うが、自分にもネコと係わる時間があった。大げさだが必死に生きようとする姿勢や賢さ可愛さに心動かされ、亡くなった時にはこんなに涙が出るのかと思うぐらい泣いた。今回の作品により改めて自分のことを振り返り、いろいろ思い出すことで懐かしい気持ちになったり後悔したりしたが、これから生きて行くのに身体の老化や衰えを受け入れながら楽しいと感じることを行っていこうと思うことができた。ただ、最後のおかめひょっとこは亡くなればなかったことになる?ということかよく判らなかった。一人芝居は難しく奥が深いと思えた作品でもあった。

 

花散里サークル Sさん

劇団四十周年を経た「劇団1980の一人芝居 二題」見応えがありました。

「榎物語」の山本隆世さん、凄い!の一言です。実は、私は「たかよ」という名前の音から女性が演じると思い込んでいました。ポスターやチラシの版画も作っている…と事前に聞いて、たかよさんが候文で一人芝居??感じてました。始まってびっくり!男性ね!どうしてあれだけの台詞を覚えて言うことができるのでしょうか?その驚異の記憶力に圧倒されました。舞台には何の景色もないのに、山本さんの「~そうろう」の台詞と仕草の向こうに、はっきりと見えました。私にも良乗が見ていた景色が。あたかも同じ場面に一緒にいるように感じられました。 「こい」もそうでした。全く舞台上には存在しないのに、柴田義之さんの動きだけで、鯉がピチピチと跳ねる様が見えました。その大きさ、力強さ、憧れ、親しみが伝わってきました。ただ、自分は魚がはねるのが異常に苦手なので…いまいち感情移入できなくて残念でした。柴田さんごめんなさい。

 

運営サークルアンケートより

・二人の役者がそれぞれ異なる個性を発揮して面白かった。 

・榎物語の「‥候」の言葉が付くだけなのに、聞きなれてないと言うことはむずかしいものと感じました。

・「ユーモアとペーソスをまじえて舞台化しました。

・老農夫を演じる柴田さんともう一人?の主人公「こい」の物語‥‥自然の中で確かに生きている二人の姿に魅かれた。歳を重ねると愛しく思えるのはなぜだろう。小説ヘミングウェイの「老人と海」が重なった。

・演者ひとりだけなのに、まわりの状況が目に見えるようで、とても一人芝居の凄さに引き込まれました。 

・初めて一人芝居を観ました。前半50分、後半40分一人で全て演じる凄さに感動しました。 他の一人芝居も観てみたいです。

・今回初の会場担当で検温作業しました。いせさき演鑑の半天を着て気持ちが引き締まりました。沢山人が来場されてよかったです。

・コロナ禍で対応することが増え会員数も減少するなか皆さんよくやっていると思います。お誘いはなかなかうまく行きませんができることを続けていきたいと思います。

いせさき演劇鑑賞会では、いつでも会員募集中です。
詳しくはこちらのホームページをご覧ください!
 

 

劇団民藝『野の花ものがたり』

 

観劇した会員の感想を紹介します。

ネタバレを含む場合がありますので、これからこの作品をご覧になる方はご注意ください。

 

 

彩の会サークル Sさん

「ユーモアとペーソスをまじえて舞台化しました」とチラシにあり、徳丸先生役の杉本さんのメッセージには「泣きながら笑ってください。笑いながら泣いてください」とありました。これは完全に私の好きなタイプだ、と期待して観たのですが、期待以上でした。

ヒット続きの今年の鑑賞会の作品の中でも、ホームラン級だと思います。

笑いは、各病室の家族の掛け合いも良かったのですが、関西弁のボランティアのおばちゃんが良い味を出していました。しかし、この方も患っていたとは、しかも、アル中だったとしても、孝ちゃんをあっさり、いなくしてしまうとは。

泣きで言うと、トロイメライのラウンジの、南波妻と松永妹の弱音を言い合うガールズトークから始まる、怒涛のストーリー展開ですね。

「浮気野郎の元妻に謝りたい」とか、「頭を撫でに行くお地蔵さんツアー」とか、サスガは患者さんがやりたいことはやらせてあげるがモットーですね。

中でも、「妻に書いた手紙を渡してほしい」は、看護師さんの「自身で投函してください」は良かった。配達は花火大会、にくい演出です。

ゼロから無限の間に"「死」があるとか、「死」は生きることの一部です、と言う台詞がありましたが、私は、普通(?)に、死ぬまでは生きる派なので、「死」に対する考え方って、人それぞれなんだなぁ、と思いました。

でも、癌を告知されて、余命とか言われたら、私はどうするんだろう、私にはまだ分かりません。

 

キャロルサークル Hさん

「死」に直面した人の心の動きが、診療所にいることで、段々癒されていき、家族へのお互いの思いやりが通じていく様子を感じる、とても良いお芝居でした。

 

花盗人サークル Oさん

あれ、もう休憩か・・一幕が終わったとき、まるで75分の時間が経過したとは思えなかった。それだけ引き込まれていた。後半も同じ。最後の、花火を亡くなった患者も含め、皆で楽しそうに見るシーンで涙があふれた。20年前、くも膜下出血で意識を戻すことなく亡くなったおふくろ、5年前脳梗塞で倒れ、一時は回復しそうだったが結局5か月後に亡くなった親父のことを思い浮かべていた。

徳丸医師の語らいで、時々間が空いたのは人の死を語ることへのためらいなのか?本当に言葉が出なかっただけ? 患者のベッドを一段高いところに遠近も考慮して配置して、それぞれの人生をやり取りすることを繰返す。その中で患者たちが少しずつ弱くなっていくのを化粧やしぐさで感じさせた。願いのかなった3人の患者とようやく穏やかな気持ちになれた、遅れて入院した患者…あ、皆一緒に死んでしまうんだ!と思ったが、松永は花火を楽しそうに見ることができた。ずっと苦虫をつぶしたような表情だった松永が、本当にうれしそうな笑顔で花火を見ていた。演出、舞台、俳優…皆最高!伊勢崎に感謝、演劇に感謝。

 

ルートサークル Aさん

それぞれの入所者の終末期の迎え方が自身の体験と重なりあい、涙がとまらなかった。

死は生きることの延長線上にある、だからこそ自分らしく生きることが大事。死を待つのではなく死ぬまで生きる。その日がくるまでどういきるか、大きな課題がつきつけられた。

 

東皐サークル Kさん

この春、退職して、パート労働者になった。自由な時間が多くなり、ほっと一息つけた。そんな日々の中で、ふと思った。これからの自分の人生の意味って、何なのだろう。残りの時間を好きに使っていいのだろうか。死ぬまでに、自分は何をすればいいのか。疑問は一瞬浮かんで、やがてどこかにしまい込まれてしまった。

ホスピスの患者たちを見ていて、その時の疑問がよみがえった。死を見つめても意味など見つからない。必要なのは、ともに生きてきた人と向き合い、語り合い、素直になる時間を持つことなのだ。失礼を承知で書けば、高齢化の進むこの演劇鑑賞会も、残り時間の多い少ないはあるにしても、死に至る日常を生きるホスピスと同じだと思えてきた。ポジティブに、日常を賢く明るく生きている皆さんは、私に答えを与えてくれる。

 

彩の会サークル Kさん

スポットライトに浮かぶ夫々の患者の様子と様々な人生が見える。

怖れ悲しみの死が迫りつつある病床で、苦しむ人たちに寄り添うやさしい心遣いの先生と看護師の明るい対応、ピアノやハーモニカのメロディーに和むホスピスに好感を覚える。

死は終着点ではない、通過点であるという考え方に気付かされた。

「皆、立派に死ぬ」という先生の言葉にも、望むことは何でもかなえてあげたいという優しさにも感動した。

 

キャロルサークル Kさん

医学が進んでも治らない病。残された時間は限られています。そんな患者の話を聞いてくれ、無理なお願いでも、先生・看護師さんは叶えてくれます。とても心温かい診療所です。ラウンジも明るくて心地よさそうです。死はいずれおとずれますが、その時は安らかに逝きたいです。

 

彩の会サークル Kさん

鑑賞会の当日、なんとなく気が重かったのです。ハンカチを二枚用意しまして。

診療所に入院している四家族の物語です。

自分の旦那を罵倒するおばあさん、妻を気遣う旦那様、そして、若い時に好き勝手をして、家族を捨てた父親を見舞う娘とのやりとり、絶望してヤケになっているお兄さんを支える妹、それぞれの人生を生きてきた人、これから歩む人、みんながその日が来る事を宣告され、わかっていても生きていかなければならない。そう、生きていかなければ・・・。

患者さんひとりひとりにサラリと明るく接する看護師さん、院長先生の神がかった人柄、特に心に残ったシーンが大阪弁のおばちゃんです。自暴自棄の若者に花瓶に挿した野の花(七草)を教え、自分と床みがきをしている青年を同じ患者だと伝える、ステキな場面でした。

私も死はまだ怖い、生きたいと思う。ホスピスや柔和ケアで働く方々に手を合わせます。

いせさき演劇鑑賞会では、いつでも会員募集中です。
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