劇団青年座『明日 -1945年8月8日・長崎

 

 

観劇した会員の感想を紹介します。

ネタバレを含む場合がありますので、これからこの作品をご覧になる方はご注意ください。

 

 

5月に乾杯サークル Iさん

目の前の舞台上の人々は、1945年8月8日を昨日と同じように、明日が来ることが当たり前のように生きている。何度「明日は・・・・」という言葉を発しただろうか。翌日の破滅的な原子爆弾投下を知っている私はそのセリフを聞くたびに、心におもりがずんと埋め込まれていく。人々は戦時下という状況の中で、結婚式を行い、出産があり、離れて療養している病気の娘を心配し・・・・、一生懸命平凡な日常を愛して生きていたのだ。そうだ、庶民への理不尽な暴力は突然やってくる。私はウクライナの人々のことを思わずにはいられなかった。2月24日のロシアによる侵攻。報道される映像は過去の歴史の中の出来事ではなく、現在の私たちの目の前にあるという現実。いい劇を観た。

 

リアンサークル Kさん

今年ほど、戦争について思いを巡らすことはないのではないか。まさか、侵略戦争が起こるとは。周りの大国が、それを止めることもできず、ずるずると続いている。すぐに終結すると思っていたそれは、未だ、解決の糸口すら不透明のまま続いている。町や家、家族をなくした人の嘆きのニュースに触れる度、私は、「ああ、七十数年前の日本も同じだったのだろうな」と思っていた。侵略する側もされる側も、市井の人達が被害を受けるのは、昔も今も同じだと痛感する。だから、若い人たちに伝えなくてはならない。戦争ほど愚かなことはないと。

ベートーべンの「悲愴」の調べが静かに流れる中、舞台は始まった。私は、とりわけチェロの音色が好きだ。黄泉の世界からやって来た人たちが現実の時間空に現れて、そして帰って行くという設定は、死者への敬愛の念が感じられた。すてきな演出だと思う。

私は、舞台上の「時計」の時刻が気になってずっと見ていた。刻々と迫る「その時」を、ドキドキしながら見ていた。そうだ、「明日」は何が起こるか誰も知ることができない。こんな世界情勢だからこそ、今、「明日」を上演することは、ことさら意味があることだと思った。たくさんのメッセージを受け取ることができた舞台だった。「劇団青年座」の皆様、ありがとうございました。

 

東皐サークル Kさん

この劇の題は、「明日」だ。明日、何があるのか観客の誰もが知っている。そして、舞台上の人物は誰も何も知らない。彼らは、生きている、あたりまえの日常を。私たちが同じような状況にあれば、同じようにし同じように感じたであろうように。それなのに、彼らの生きる姿から目が離せない。明日の約束をし、明日に希望を抱き、今日を生きている人たちが、尊く見えるのはなぜだろう。明日に起こることがとてつもない悲劇だから今日の彼らが尊く見えるのか。それはおかしい。彼らは何も知らず、私たちと何も変わらない今を生きているだけなのだから。彼らの今がこの上なく尊いものならば、私たちのありふれた毎日も同じように尊いはずだ。

結婚した妹に「わたしがいちばんきれいだった時」(茨木のりこ)という詩を思い出した。全身に光を浴びて姉が新生児を抱いて顔をあげる終幕からは、この世に生を受けることの衝撃と勇気が伝わってくる。明日を生きんとする人間の意志のみが、この世界を覆う暴力に対抗しうるものなのか。

 

つくしサークル Mさん

お話の内容は、どこにでもある日常のでき事を淡々と描いた作品でした。その時、8月9日11時2分が劇的に終わると思っていた予想に反して、とても静かに幕が閉じてしまいました。ピアノとチェロとバイオリンの生演奏の音色がとてもやさしく美しく、悲しい余韻にひたりながら、明日を奪われた人々の無念さをひたひたと感じました。

それにしてもウクライナで同じような状況におかれている人々がいるということに憤りを感じます。おまけに核の使用までにおわせていて、77年前と同じ悲劇が起きたらどうするのでしょう。平和を願わずにはいられません。

 

エーデルワイスサークル Aさん

華やかな婚礼の様子から始まり、最後は出産シーンで終わるという一見ハッピーエンドのようなこの劇の題名は「明日」。「明日」をいう言葉は輝かしい未来さえ感じさせるが、この題に続く「1945年8月8日・長崎」の文字で物語は悲劇へと変わる。観客は、舞台上の人物たちが次の日の11時にこの世から姿を消してしまうということを知っている。儚いものであることを知っている。だから登場人物の言葉や動作の一つ一つが愛おしい。

劇中のピアノ、ヴァイオリン、チェロが奏でるベートーベンの「悲愴」第2楽章。「悲愴」の言葉の意味は、辞書には「悲しくいたましいこと」とある。しかし、当のベートーベンは、自分の苦難を乗り越えようと作った曲であるらしい。長崎での出来事を忘れず、伝え、いかにして乗り越えていくかが、残された者の課題であろう。劇団の皆さんがとても大切にしているテーマであることが伝わってきた。今、世界は大変な時であり、私たちも無関係ではいられない。

 

ひまわりサークル Oさん

  • 戦時下、みんなの懸命に生きる姿を演じてくださった青年座の方々に感謝です。
  • 結婚式でうたわれた数え歌はとても楽しく良かったです。
  • 世話役の声は聞きとりやすかったです。
  • 「悲愴」の生演奏も作品にうまくなじんで、もり上げてくれました。
  • 時間だけが着々と進んでいき、赤ちゃんの元気な産声で終わる。
  • 原爆は悲惨でむごい、祈りしかないのだろうか?
  • 今、憲法改正、大軍拡(軍事費2倍、敵基地攻撃能力の保有…)などがすすめられている。
  • 核兵器のない平和で公正な世界がいい。
  • 今を絶対に「戦前」にしない為に私達一人一人がなんでもできることを。

 

花散里サークル Kさん

「八月の空を見上げて その2」

31年前のその夏、青年座の「明日」に出会った。まだ若かった自分に明日という日が重くのしかかった記憶がある。

3年前の夏、28年振りの「明日」に会うため、劇場へ足を運んだ。その夏、地元では「夏の雲は忘れない」が上演された。いつの頃からか、夏になると空を見上げる。今日の空を見上げて明日を思う。そうして、あの夏の空を思う。あの夏、ヤエさんもハルさんも満江さんも、みんなが明日を思った。誰もが明日、愛しい人との生活を疑うことはなかった。その朝、ツル子さんは愛しい赤子を生んだ。「今日もよか天気になるじゃろう。よか日和たい。ほんなこつ。」その夏奪われてしまった明日と今日。なんびとも誰かの明日を奪うことは許されない。そう強く願って、今日も夏の空を見上げよう。「明日も良い天気になりますように。」

 

【ひとくち感想】

  • 何気ない日常を過ごしている人が一瞬のうちに人生が変わってしまう。今の私たちの日常が…。二度と起きてはいけないことをまた考える時間を持てたことがよかったです。
  • 毎年の様に8月は重苦しい季節でテレビの放送を見るのも気が重いので戦争を題材にしたお芝居を見るのは出来れば見たくない私でしたが、直接的な表現のない(戦争シーン)この「明日」は子供達にも是非鑑賞して頂きたい演劇だと思います。大変良かったです。
  • しっかりした舞台作り、生演奏がよかった。こういうものをもっと増やしていきたい。
  • 生演奏がお芝居を豊かにしていた。
  • 戦時中ということで必死に生きている人々の姿や思いが日常の何気ない会話から伝わってきた。
  • 山場のような場面は特になく淡々と進められていくのが、それだけに終わった後もじんと心にしみる舞台でした。
  • まわり舞台の使い方や中央とまわりの芝居など対照的で興味深かった。
  • とても素晴らしかった。
  • 舞台装置も凝っていたと思う。
  • 戦争のむごいシーンがなくても、これほど強くその恐ろしさを感じられる、その迫力に圧倒された。

 

この公演は、劇団招待の中学生も観劇していました。

学生の皆さんの感想もご紹介します。

 

【中学生の感想】

  • 原爆が落ちる前の平和が一瞬になくなったと思うと、終わった後にちょっと悲しい気持ちになります。いままで、見た中で一番わかりにくく、一番わかりやすかったです。とても心にのこりました。
  • 劇とマッチする曲や、入りのタイミングが良かった。
  • 恐ろしい、一瞬にしてたくさんの命が失われる悲しさを痛感した。
  • 音楽もあって、雰囲気がでてよかったです。
  • とても面白く集中して見ることができました。 少し方言が難しかったです。また機会があったら見にきたいと思います。
  • 戦争時の人々の暮らしや大変さが改めて分かりました。音楽もとてもきれいでよかったです。明日が当たり前にあることに感謝をしたいと思いました。
  • 「悲愴」のイメージと合っていてとても素晴らしかった。
  • 今回は初めてしっかりとお芝居を見ました。とっても感動しました。声の大小や感情の表現など、とても繊細でした。時計にも注目して観劇しました。あと2分で原爆が落ちるということに気づいて無念でした。命の大切さ、一人一人の人生の大切さ、たくさん学ぶことができてよかったです。
  • 最初は、言葉が難しいと思ったのですが、だんだん分かってきて、言葉はみんな「ハキハキ」していて、すごくわかりやすくて、長崎に原爆が落ちる前の平和なお話を聞いて悲しくなりました。来てよかったです‼
  • 説明している人?の一言一言のインパクトがよかった。悲しい時の表現がとてもよかった。かずの歌がおもしろかった。
  • それぞれの人物の見た「明日」が一瞬で灰になってしまった。明日を生きられるかも分からない中で、精一杯生きようとする人々の命が、それでも奪われてしまうことが悲しかった。
  • 原爆が投下される前のできごとは、今、私達がくらしているのと同じで、平和だったが投下された後どんなことが起きたかなどを調べるいい機会になりました。
  • 観劇中、何度も鳥肌が立ちました。感動しました。
  • 明日がかならずしも来るとは限らない。だから明日が来ることを大切にしなければならないと思いました。音楽と物語がとってもあっていてすてきでした。

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