旅の報告というより 今回は。。。


感じたことを写真とともに綴りたいと思います。




私たちがこのツアーで見てきた宮城県南三陸町の風景です。  2014年7月20日。














3年前。 


「何年かかるだろう・・・」 と絶望的な気持ちになりましたよね。



3年たった今。


「まだまだ・・・あと何年かかるだろう」 と

3年という時間があっても、そこに立って感じることはさほど変わりませんでした。




人のいない崩れた故郷を毎日見ながら

雨の日も嵐の日も仮設住宅で過ごしている方が大勢います。






このツアーでは必ず現地の語り部さんに 被災地の今のお話をお願いしています。


今回は 「ようやく3年が経ち、話す勇気がわいたので・・・・」と

ふるさとのために語り部となった宮川ルミさんとご縁をいただきました。

その内容は、あまりにも壮絶で辛い現実でした。


津波が来たときは、目の前で知り合いが流されていき

助けたかったのにどうしようもなかったことを ずっとずっと悔やみ・・・




仮設住宅は2人家族で四畳半。 4人家族ではそれが二間。

受験生の娘さんの勉強部屋は 二段ベッドの二階だけ。




お年寄りの中には、狭い部屋でずっと天井を見つめ

その息苦しさに耐え難いストレスを抱えていらっしゃる方もいるそうです。



3年間です。そんなところに3年。 現在進行形。 そして見えない未来。


もっともっと弱音を吐いて欲しい・・・そう感じました。 辛そうで苦しそうで。。。


でも宮川さんは毅然とした口調で、時折涙をこらえながら伝えてくださいました。







お仕事でいろいろなところに行きますが。。。


東北の被災地と 他の地域の温度差というか

状況の差が大きすぎることを改めて実感しました。



そりゃ東京オリンピックは悪くない。

でも、そのために技術を持った人たちや資材の多くが

もし流れているのであれば、やっぱりそれは違うと思う。



莫大な経済効果は魅力的。


でも、被災地に行ってわかることは

明日を生きようかどうしようか迷うほど苦しい状況の日本人がいる。



仮設商店街の方がおっしゃいました。


「表向きはおらたち前向いて元気に頑張ってっから!

 どうか東北に遊びに来て 現状を見て欲しい!」



「おもてむきは」 という言葉が 胸を締め付けました。




もう少し


被災した方々の気持ちが前を向けるような出来事がないかな・・・。



希望が持てるような。。。


現実はそうなることが難しくても、 なるかもしれないよ!っていう希望でもいい。


私たちが明日も生きていたいって思えるのって


やっぱり誰かの優しさだったり、交流だったり。。。 


美味しいものだったり、楽しいことだったり。。。


~~~~かもしれない!でもいいから、 希望。 HOPE。





大勢の人が被災して 今も苦しんでいるから


大勢の人の気持ちや助けが 今も必要です。




むしろ、 今からが必要です。