家庭学習についてちょっと後悔していること | 育児やら何やらバタバタしがちな日常 in イギリス

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イギリスでの生活、子供たちのことなど。

眠いので、前置きなく行きます。(寝なよ!)

 

これの続きな。

 

ブルーハートおう、先生すごい、と思ったやつ

 

これも意外に楽しかった。

 

まず1日目に、シーリア・ウォーレンという詩人の詩について学んだんですけど、その後にビーチの情景を描いたイラストを見て、このイラストについて質問を5個考えましょう。っていう課題に、息子が考えたのは以下5つ。

 

こういうやつ。

 

いつ太陽は顔を出すの?

海はどれくらい大きいの?

カニはどこへ行くの?

凧はどうしてお空を漂ってるの?

海のお水はどうして冷たいの?

どうして海は、人々の方へ動いてくるの?

 

で、次の日には自分で作った質問に自分で答えを書きます。

 

いつ太陽は顔を出すの?

雲がいなくなったら。

 

海はどれくらい大きいの?

とても大きくて、果てしないんだ。

 

カニはどこへ行くの?

ご飯を食べに行くんだよ。

 

凧はどうしてお空を漂ってるの?

風が息を吹きかけているから。

 

海のお水はどうして冷たいの?

氷が溶けて海の水になるから

 

どうして海のお水は、人々の方へ動いてくるの?

それは、人々は海が大好きだからだよ。

 

 

 

おお、意外に詩になっている!!

 

しかもシーリア・ウォーレン風の詩。

(そうでもない?訳が悪いのYO!)

 

ブルーハート意外に大変そうで、そうでもなかったやつ。

 

文芸創作。(1ページ目、娘にいたずら書きされた)

これは完全に息子の裁量に任せたら、よくわからん大作を書きましたが、それはそれで意外に良かった(あくまで曇りに曇った親の贔屓目でございますよ!今日のブログこの辺、全部適当に読んで下さいね)。

 

大作。

 

詩だの文芸創作系は、頭韻法だの直喩だの脚韻だの色々やらされてしんどかったですが、自由創作はお話でも詩でも意外に息子が抵抗せずモリモリスラスラ書いたので、楽でした。



 

 

とか、こんなこと書いてると、どんだけ自分の子供に満足して達成感に満ち溢れているんだ、このババア、とお思いでしょう。

 

それが、そうでもございませんの。

 

この家庭学習という、壮大なタスクを終えた今、私、普通に激しく後悔しているんですけど。

 

何もこんなに学校からの課題を全部やらせないでも、取捨選択して、必要以上に時間がかかるのは切り捨てる勇気を持つべきだった。

 

と思っております。ムチャ今更ですが。

 

いや、家庭学習って、いわゆる宿題ではなくて、実際の学校のカリキュラムを家でやっているわけではないですか。

 

なので、学校から課題が出されると、もう学校の課題ってだけで、特に私なんてアジア人の生真面目さを発揮して、明らかに量が多すぎる、明らかに年齢に対して難しすぎるのがわかってても、来る日も来る日も結構な割合で終わらせて提出しましたけど。

 

ちゃんと終わらさないで、学校が再開したときにカリキュラムから遅れてたらどうしよう、みたいな気持ちにもなりましたし。

 

でも今思うと、絶対、あんなに張り切ってやる必要なかったと思う。


本気で頭韻法とか、愚痴愚痴言うくらいなら、絶対やらないでも良かったよ!

 

これも一昨日にママ友たちと話していたときに話題になったんですけど、

 

こんだけストレスフルな状況で、友達にも会えない、外で思う存分遊び回ることもできない子供たちを一日家に閉じ込めて、ぎゅうぎゅう学ばせて、どんだけ身についたんかいな!

 

だって、どう考えても、学校という環境でお友達に囲まれて、教材も何もかも揃った状況で先生から教えてもらった方が身につくだろう。

 

家庭学習はもっと勇気を持って、ゆるゆるに本人が楽しめそうなのだけやって、もっと学校の課題に囚われずに好きなことすれば良かった。


多分そうしても、他の子達に対してカリキュラムにそんなに遅れを取っていたとも思えないし。

 

いや、上に書いたように、楽しんでやった課題もいっぱいあったし、それらからは色々学んだし、親としても自分の子供が学校で何学んでるのかとか、先生の授業とか、自分の子供の強みとか、もっと改善の余地アリな部分とか、本当によくわかったし、かけがえのない機会だったとも思います。


なので、全部後悔とかでは全然ないんですけど。

 

でもですね、去年の最初のロックダウンの時はですね、学校もまだ準備ができていませんでしたから、学習パックと称したプリントの課題とかが送られてきた以外は、基本、家庭学習は本人が好きなことしていたんですけど、そっちの方が達成感というか、何か学んだ感は強かった気がします。


うちなんかは、この機会に息子が好きな宇宙について結構掘り下げて、一緒にたくさん調べたり実験したり、まさに遊びながらいっぱい学んだし。


この辺とか。


サイエンスの実験も、お絵かきも、工作も鬼のようにたくさんしました。


それ以外にでもですね、例えばある日、息子が地球儀(一昨年のクリスマスプレゼントの一つ)をクルクル回して、世界で一番大きな国を探してたんですよね。


そこで、ふと思いついて、ちびむすドリルから大きな白地図をプリントアウトして、


面積が大きい国トップ10を調べよう!


って渡したら、息子がSiriに聞きながら調べて、場所も探して地図に書き込んだら、俄然興味が湧いてきたらしくて、トップ10だけじゃなくて、全部の国を面積の大きい順に調べるんだ!って自発的に言い出して、夕食の後にちょっとずつ自分で調べたり、最後の方、国が小さ過ぎて場所が見つからない場合はわたしか夫が見てやりながら、数週間にわたって書き込んだ地図がこれなんですけど。


お見せできないのが残念なくらい満面の笑み


全部、息子が書きました。


文字を書く練習にもなりましたけど、何より、こうやって地名を書いていると、親も勢い色んな国について話すことになるじゃないですか。


私たちも馴染みのない国に当たったら、ネットでどんな国なのか何があるのか調べたりして、今現在も続いている息子の世界の国に対する興味は、これがきっかけで始まりましたの。


今となっては、息子は世界の国の名前をサイズ順に全部言えますし、国旗や首都などや天候や地理についても、一般的な大人より遥かにオタクな知識を持っています。



暇があれば、国名当てるゲームしたり(テレビ周りムチャ汚い。娘がマグを掴もうとするので、コーヒーテーブルを片付けてしまったので 汗)


ポスターも色々と頑張って作ったし


まさに好きこそ物の、って感じ。


じゃあ、親として、このままこの息子の興味が持続して、将来宇宙飛行士になるとか、地理学者になるとかは流石に思っていません。


多分、長じるに従って、また違う興味が出てきて


昔、あなたすごい宇宙が好きだったよねー。


っていうくらいの感じになるんだとは思う。


でもなんていうんですかね、じゃあ無駄だったかっていうと、それは違うと思うんですよね。


学校の勉強とは関係ないところで、何かにすごい興味を持って、色々自分で調べるのが嬉しくて、どんどん知識を吸収する、つまり、学ぶ喜びを感じる経験をしたっていうのは、とっても大事なことだと思うんですよね。


学校でやるお勉強だけも大事だけど、それが全てじゃないし。


そもそも学校のお勉強というのは、あくまで将来に向けて自分の可能性を広げるための手段であって、それ自体が目的じゃないですしね。



ちなみにわたしってば、そんなわけで実は先取り学習にも懐疑的。


本人が学校の授業が好きすぎるあまり、希望してどんどん先に進みたがったとかじゃない限り、先取りする暇があったら、もっと他の興味を育てる方が大事じゃないかな〜、とも思います。


学習っていうのは、高校大学のお受験だけじゃなくて、この先いくつになっても、ずっとしていくものだし。


学校で学んだこと、それ以外の自分の興味、パッション、それらが、最終的にぐるっと円を描いて大きな知識になってほしいなと思うのです。


というわけで、もっともっと本人がやりたいことに時間を割けなかったのが多少の後悔ですが、最後に家庭学習について、一言総括を言うならば。


もう2度としたくない。


で、ございます。

おやすみなさい。


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