結局、祈りというのは


自分の魂!


魂の声を引きずり出す作業


なのでございます。


諏訪でも鹿島に三峰神社…


拝殿で神に向かいながらも


自分の魂と向き合っているわけで


ございます。


自分の魂とは神様でございます。


あなた自身…


言霊、言葉の力を使って自分の意識を変えてゆく


神様も魂なので


自分の魂が感動しているということは


神様も感動しているということです。


で、その大敵となるのが


マンネリと惰性です。


飽きてくる


沢田知可子さんの「会いたい」を


歌って震える感動も


100回歌えば飽きるでしょ。


感情が動かない!


私も毎日、それとの戦い


祈りの真中


いかに自分の琴線に響くような


フレーズ、言葉を使うかの工夫です。


「かけまくも畏き熱田の大神様…」


拝殿に立って


毎日これじゃ、響かないので


出だしも工夫して


「あれあれ、三種の神器とは珠はお江戸の皇室に

八咫の鏡は伊勢神宮、剣は何処にありまする?

此処ぞまさしき熱田神宮!」


とか


「熱田の天照大御神様、姫、ご機嫌麗しゅうことこの上なく祝着至極に存じます」


だの


「ヤマタノオロチの腹の中!ピカリと光る物ありて、これは何じゃ?とスサノオの神が取り出したりますは、まばゆく輝く破邪の剣!そを祀りし蓬莱のここは尾張の熱田神宮!…」


あるいは


「令和6年、5月25日土曜日、ここへ来るまで、道中事故なく怪我なく転倒衝突、車と接触、ケンカ争い財布の紛失、タイヤのパンクに故障まで一切の災い置きたてまつることなく私を守り、絶大なる守護を授ける熱田の大神様…」


など


リズムやテンポ、スピード、言い方


(歌舞伎や能楽風とか)


全て工夫することで


自分の感情を揺さぶり


魂を出動させて


祈るというのが「神との交流」


祈りの本質でございます。





https://youtu.be/fmAVcnTmT6Y?si=NrF7czdc2Wz47A2m