怪談の上手い人というのは


自分で恐怖を感じている。


おそらく稲川さんは


語りながら自分でも


背筋に感じているはず


冷たいものを…


「群馬の山あい、橋の向こうの電話BOXにね、髪の長い女がジイっとこっちを見てるんだ、夜中の2時ですよ……見ると車なんかどこにもない!歩いてこられる場所じゃないんだ…」


これと同じで


神様と交流しようと思えば


神様は魂ですから


自分の魂が感じてなけりゃ


動かない


自分の魂が感動している


だから神様も感動している、というわけ


神様を動かす一厘は愛です。


愛念…


だから事柄の成就を祈るんではなくて


「受験合格」とか「商売繁盛」ね


人の幸せを祈る


という角度で神様に寄ってゆく。


祈りが通じると


ジワーンと胸が熱くなって


涙が滲んで


神様が神気を「安心の気」「歓喜」を


流して下さる。


フワフワと至福が続く。


ここがゴール。


淋しいとか哀しい、


不安も恐怖も全て吹っ飛ぶ!


それでまた、元気に親の介護とか出来るわけです。


だから神様に向かう時


祈りながらいつも


感情を動かそうと探してるわけです。


自分の魂という楽器を引きこなすために


愛の情感を出す種を…。


「熱田の大神様、知っておられましょうか

夕方の食卓、3人のチビちゃん、子どもたちがコロッケをおかずにご飯を箸でつついてる、

スーパーで売れ残ったカボチャのコロッケ…

「ぐうっ」とお腹の音が鳴る

母の顔見て末の娘が半分おかずを差し出すと、首を横に振って微笑むお母さん。

自分は水を飲んでいる。

コップの水を何杯も

節約を、

子供の学費を払うため…

はたまたお湯を…片栗粉にダシを溶かして…

スープ替わりに舐めている

ああ、何と悲しい、

切なさで胸が締め付けられる!

そんな母子家庭が溢れております!この国に。

大神様、どうかお助けを!

なにとぞお力添えを!

熱田の大神様の御神力を現し

地に顕現させ奉れ!

どうぞ、全ての困窮する母子(ははこ)の災い、貧困を祓って富と喜び、笑顔を与え奉りて皆を救い、確実に幸せへとお導き下さい」




おまけ↓稲川さんの怪談、「バス停」6分47秒