Tomokoです。

ごぶさたしております。

今日(昨日)は母の日でしたが

先日のこどもの日にちなんで

思ったことを書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が息子は小学3年生になりました。

私は、出身は大阪ですが

今は東京の都心に住んでいます。

この辺りでは、約半数くらいが

中学受験をするらしく

そのためにSA○IXなどの受験用の

学習塾に通うそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経験者(の母親)から聞くと

かなり壮絶で、受験の1か月前には

学校を休んで塾で勉強するとか。。

もう大学受験どころか

司法試験受験よりも過酷な勉強をしているらしく

それでも第一志望に受かるわけではないという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、息子に立派な大人になってほしい。

人を助ける力のある大人になってほしい。

社会のため、日本のために尽力できる大人になってほしい。

と思っています。

だけど、その熾烈な中学受験には

私がついていけそうにない。。

中学受験は母子の二人三脚らしいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それより何より

息子がそれだけの勉強を喜んでやるのならいいけど

かえって勉強が嫌いになったり

子供らしさを満喫する機会を失ったり

志望校に受からなくて幼心に劣等感とか

人生に対する絶望を感じたり

逆に、人を見下すようになったり

そうなるなら嫌だな、と思うんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、そもそも勉強するのは何のため?

自分のため?

というのもあると思うけど

自分のためならそこまでモチベーション上がらない

と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、紆余曲折を経てから

司法試験を受験して合格して

検事になって今は弁護士だけど

その頃のモチベーションは

自分のためではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祖父母が敬虔なクリスチャンで

小さい頃、教会の日曜学校に通っていた。

神様にお祈りするのだけど

自分のために祈ってはいけないと教わった。

世界中で死ぬほど貧しい人に

食べるものが与えられますように。

病気で苦しんでいる人が治癒しますように。

全ての人の家庭が幸せでありますように。

世界中で起きている争い事がなくなりますように。

そういうことばかりを祈っていました。

もちろん、世界中で起きている問題についての

勉強も、日曜学校でしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その習慣があるからかな、と最近思ったのだけど

その頃私は、家の中での不満や学校での不満は

もちろんあったけど

平和な日本で食べ物に困らずに生きている。

それだけで、どれだけ恵まれていることだろう

そう思っていましたし

そのことに対して、神様に感謝していました。

今日の日用の糧を与えてくださり

誠にありがとうございますって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の中で、自分が幸せになることなんて

願うまでもなく、既に神様に与えていただいているもの

だから私は、そうではない人のために

自分の人生を費やしたい。

そう考えていました。

当時はそんなことは当たり前のことで

世の中の「偉い人」はみんなそうだよね

というくらいに思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、だからこそ頑張れたのだと思う。

自分が幸せに生きる、なんて

私にとっては大前提のことで

そんなことは人の世話になることではない

と思っていたし

世の中のため、と思うからこそ

力を発揮できたんだろうな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、息子にもそれを伝えればいいんだ、と思いました。

それを伝えるためには

息子が既にもう幸せであること。

自分ひとりが幸せに生きることなんて

当たり前で簡単で、既に恵まれているということ

それが大前提だと思うから

毎日毎日、息子を大切にしよう。

夫と共にたっぷりの愛情を注ごう。

愛を形にした美味しい手料理や手作りお菓子を

食べさせてあげよう。

と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうやって育てれば

劣等感や優越感にまみれずに

自分の力を発揮できるんじゃないかな

と思いました。

というわけで作ったクッキー✨

息子が周りの人を幸せにできるように

まずは息子自身が幸せに生きられるようにするのが

親の務めなのかな、と思ったこどもの日でした。